(コロロ禁止)と、領域侵犯と

その日、性格診断のことを調べるために5chを漁っていた、と思う。
スクレイピングしていくうちに辿り着いたのかな、よく覚えてない。とにかくエントロピーが膨れ上がった、プラナリアだらけの泥水みたいなインターネットの湖を彷徨ってるうちに辿り着いたのが、「グミ総合(コロロ禁止)part57」というスレッドだった。

何?(コロロ禁止)って。意味わかんない。コロロもグミでしょ。グミが本当に好きならそんなルール無しで同等に語るべきなんじゃないの?

土俵の外側の人間からすれば、意味分かんないよね。まるで豚肉を食べてはいけない宗教みたいな、定期的に生贄を捧げないといけないアステカ文明の掟みたいな、限りなく閉じた世界の、年寄り臭くて呪いっぽいルールだ。

でも、そのコミュニティに属す人間からすれば、この掟を破ることと、村八分で追い出されることはほとんどイコールで繋がってるんだよね。答えにたどり着くまでの計算過程はそのコミュニティーに属す人だけが知ってる訳。

結局のとこ、グミ好きの中にはコロロをグミとして認めない少数派がいて、その話題になるたびに論争でスレッドがどんどん消費される事態が発生したらしい。

答えだけを目の当たりにした外側の人間から見れば、(コロロ禁止)ルールは限りなく稚拙で、論理を欠いていて、みんな仲良く話せば良いのに、何でお互い意地を張って衝突するんだろうって、普通は考える。

でも、同じ轍を歩んできた人々からすれば、小さく見えるルールでも、それまでの歴史から見て、それを侵犯することがどれだけ恐ろしい事なのか、それを破ることで本質的な物をかき消してしまうのか、明確に理解出来てしまうんだよね。

タブーである理由を語ることは、皆が頑張って埋めた呪物をもう一度掘り返して白日の下に晒す事になるから、皆必死に詳細な理由を述べようとしないし、ただその掟だけを伝えようとする。これは語りうることではないから。触ってはいけないパンドラの箱だから。

人間がそうやって築いてきたルールは星の数ほどあるんだけど、
ルールから逃げて、壊すことこそが真の開放だと信じてやまない人がこの世界にはごまんといるらしい。

本当に何が起こるのかわからないよ。錆びついた鎖をほどく行為は、自分たちの枷を外すだけでなく、過去に塞いだはずの棺を開ける事になるのかもしれない。
ルールを解体することが結局、惨劇のリバイバルになるかも知れない。

僕たちはこれから、過去の人間が嫌というほど見てきた悲劇の数々を、身をもって得ることになるよ。

いつでも結論は同じ。僕たちは開放の名の下にまた新たな境界線を生み出す。何千も、何万の人間を巻き込みながら。僕たちがその渦から逃れる事なんて、結局不可能なんだ。

僕たちが本当にするべきことは、解体なんだろうか?知識や経験を経ないまま、インターネットを介して、便利な万能感だけを得てしまった人類に今更問いかけてももう遅いのかもしれない。


僕はその日考えて、グミ総合にコリスとフエキのラムネの素晴しさをふんだんに語った。争いを起こしかねないグミの話題よりラムネのほうがよっぽど素晴らしいって伝えたかったんだけど、スレチだって怒られちゃった。

あーあ。


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