無題

 死んだので、冥界の関所に着いた。しばらくして自分の番が来た。閻魔様(?)が重々しい声で私の罪を告げる。「お前は例えば、食卓に並んだトマトを食べる時、『スーパーで買ったこのトマトは、現代日本の車に支えられている物流システムが無ければ、決してこんな風には手に入らなかったものだ。ということはつまり、このトマトを食べた時点で、車社会の存在を承認したということであり、ひいては年間およそ三千人の、交通事故による死者の存在を承認したということであり、ようするにこのトマトは、年間三千人の死者の血液が詰まった、血みどろトマトなのだ』と、考えながら食べていただろう。そのような形で自分の様々なカルマに気づいていながら、開き直ってトマトにかぶりつき、皮が弾けて果汁が飛び散った様子に、“何かの場面”が重なった時でさえ、平気な顔でトマトを食べ続けた。お前はサイコパスだ。そういう地獄に落ちてもらう。」


 全く不服な判決であったので、大胆に抗議することにした。「お言葉ですが、この判決は不当です。なにしろ現世には、今おっしゃられたようなことに全く無自覚に、つまり、トマトを食べる時には、そのために死ぬ大勢の人間のことを考えず、水を無駄にする時にも、泥水をすする黒人のガキの顔を思い浮かべず、のうのうと、屍や苦しみの上に成り立っているあらゆる恵みを享受している人間が大勢います。そのような者たちのほうがずっと罪深いでしょう。例えばほら、あそこの彼。彼はまさしくそういう者の外見的特徴を有していますよ。なぜ一番軽い地獄に入っていくのですか。」


 「ここ数十年で、地獄の方針が大きく変わったのだ。地獄は本来お前の言うように、死者が現世では無自覚だったり、罰を受けなかったりした罪に対して、様々な罰を与えて魂にその後悔を刻みこみ、次の輪廻では絶対に同じ罪を犯さないようにするための、魂の更生施設だ。地獄の運営は皆、そうすることで現世が良くなっていくと信じてきた。だが近年、世の中は急速に様変わりした。世の中はもはや、人間一人が心を改めたところでどうにかなるような規模をとうに超えた。そんな社会では、いろいろなことに自覚のある人間は不幸になる。自分の置かれている状況が冴えないことを、つらいほどわきまえていながら、それを解決する方法は一切思い浮かばない、聡い無能ばかりになった。決して人間の能力水準が下がったわけではなく、多少頭がいい程度では何も出来ないほど、この世が難解になったのだ。最近は特に、政治や何やらのせいで、不満を抱いたまま死んだ魂ばかりやってくる。お前は割と楽しくやっていたようだが、レアケースだ。そこで地獄では、罪人に自覚を与える活動を完全に停止した。自分のことなど、犯した罪も含めて、何一つわきまえないで暮らすほうが幸福だからだ。」


 「では地獄では、何のために魂に罰を与えているのですか?お話どおりなら、私もまた、現世で犯したサイコパス?の罪を、後悔すべき魂ではないはずです。」

 「今は、魂に“自覚”を後悔させているのだ。」信じられないことに、閻魔様(?)は正義と決意に満ち溢れたまなざしで言い放った。「『いろいろなことに自覚を持たなければよかった。』『もっと狭い世界のことで必死になったりしていればよかった。』『自分の分際をまるでわきまえなければよかった。』・・・転生していく魂が、皆そういう後悔をもって次の人生に生まれることが出来るように、ここではいろいろなことに自覚の強かった死者たちに、特に大きな苦しみと罰を与えている。そうすることで、現世は絶対に良くなっていくのだ。お前はしゃべり方からしても、一番自覚をもっていた部類の人間だ。サイコパスの地獄は一番辛いが、全てはお前の自覚のせいだ。さぁ行け。そして後悔するが良い。余計な自覚があったことを。」


 無理すぎる。なんだその独断は。最悪だ。なんという飛躍。にもかかわらず、あの自信。思い込みと正義感の激しい奴が権力を握ると本当にダメだ。確かに自覚を後悔したことで次の人生ではうまくやれる魂もあるかもしれない。そういう魂は、ひょっとするとこのシステムに感謝するかもしれないが、間違いなく限定的だ。酷すぎる。あんまりな仕打ちだ。俺は現世で、誰よりも善い行いをしてきたというのに・・・。


 俺は現世では総理大臣だった。権力欲でもなく、金のためでもなく、純粋に日本をよくする為だけに、この地位まで上り詰めた。そしてあらゆる改革の末、理想の社会を作り上げた。俺は感謝の言葉を訴える人たちに病床を囲まれて死んだ。つまり、国民全員が俺のおかげで幸福になったということだ。それだけ徳をためてきたのに、“自覚”だと・・・。俺が自分の行いにこんなにも自覚的だったが故に、ここまで酷い仕打ちに合うということなのか?


 鉄の鎖でつるされて、マグマより熱い地獄の釜の上まで連行された。もうろうとする意識の中で、何度も何度も人生を振り返った。───長い一瞬のあと、鎖が動き出し、釜の中で沸騰する血の水面が近づいてきた。罰を受け入れた。

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