SF創作講座 第3回実作感想

●泡と意志

 とうとう、というべきか、第一作「都市と石」の直接の続編、と言って良い作品が出てきた。朱谷さんは選出はされていないけれど、今回でSF創作講座の受講生の中で特別な位置に立ったと思う。この文章を書きながら、僕は第一作のラストを読み返す。この先の作品で、過去作も新しい意味を持たされるー長編では当たり前のことなんだけれど、この講座をウォッチし続ける上の楽しみが増えた。講座のコンセプトである、雑誌に掲載できる「完成した短編」を、ということを考えれば中心を少し外れるけど、小説家、作家として「読者が楽しみに待つ」状況を作ることは、本来のどまんなかのはずだ。

 まず、これまで提出された2作品に比べると、圧倒的に読みやすく感じる。文体もそうだし、物語の展開も、探索、回想、研究所での日常、戦闘、と盛りだくさんだし、それらの配置のバランスも書き込みも良くてどれかが蔑ろにされている印象はない。今回の実作を全部見ても、最も景色、場所を立ち上げていた作品だと思った。具体的には「ベース」でのエレベーターの上昇シーン、もちろん青い都市のイメージが印象に残ってる。

 僕は児童文学が好きだ。最初の目覚めの場面から、シタルとクンのやりとりに児童文学の匂いを嗅ぎとっていた。読みなおしながら、シタルという人物のどこか感情を抑制された様子がむしろ彼女への感情移入を助けているように感じていた。半分は彼女の視点で、もう半分はシタルとクンの隣で歩くように、青い街を探険していたように思う。

 好きなシーン、表現は沢山ある。例えば装備を外したクンに「その方がずっと良い」と呼びかけるところ、ラストの「自分の血は赤いんだ」という感想。クンのレーザーでシタルの身体の両腕が切断されるところは「身体がモノとして扱われて見える」ことや、シタルの身体をクンが傷つけている、という構図、ファンタジックな世界がSFの冷たさに切断されるイメージもあって、印象的だった。クンが「シタル、引き返してください」という言葉のみ繰り返し、「記録された情報をただ再生するだけの機械のように感じられ」る場面にもうそ寒い感じを受ける。梗概に書かれていた「精神なき身体」と「身体なき精神」の対比、この二つの場面から感じることが出来た。テーマとして拡大するのが難しくても、描写の積み重ねで出来たのかも、と思ったり。

 逆に違和感のあった点。一番は、パトロール隊員が泡に飲まれたとき、シタルがその死についてはほとんど感慨を抱かず、すぐに行動を初めるところ。彼女の、身体を失ったことでの受動性、他者との関わりの薄さ、みたいなところはしっかり描かれていたものの、物語の中で誰かの死を(夢の景色の中でも)完全に見過ごす主人公、というところには違和感。もし僕が、ということなら、ほかの名前のあるキャラクターを「溶かし」て、それでもなお心を動かされない(動かせない)シタルを描いて強調したかな。

 そういや「鉄の味がした」というような表現は……みたいなことを実作で言われていたのだけど、もちろん場合によるんじゃないかな、ということも思う。この作品のラストは、傷跡に「ほんのりと優しい鉄の匂いたした」という一節で終わってるんだけど、僕にはこの感覚はリアルで、なにより「よく怪我をしていた少年期を思い出させる」という効果を持ってたと思う。


●虚構のシールド

 ダールグレンラジオで「単色」で「リズムが悪い」「魅力的なファーストコンタクトが無味乾燥なものに」など、さんざんに語った。今、再読を終えたのだけど、この感想は変わらなかったし、物語が把握できた分余計に瑕疵が目立った、というのが正直なところ。

 これまでの常森作品の中で最も読みづらいし説明が足りていないと感じる。何より「理解不能な存在」が、「鉱物生命体MRL」と「無人艦隊のAI」の2つあるところが巨大な混乱のもとになっている。描写を切り詰めて、詩的な雰囲気が出ているところもあるが、圧倒的に説明が足りず、だれがどのような意図をもって何をしようとしているのか、が全く分からない。一度目に読んだときには頭が「?」に埋め尽くされたままだった。長めに引用すると、以下の部分。

「分割された画面に映し出されたのは、鉱物型知的生命体MRLだった。一番左は黒い岩石のような姿、真ん中には水晶のように白く濁った姿、その隣は磨き上げられたダイヤモンドのごとく透明な物体に変化していた。そして一番右側に映った姿を見て、イブラフは人間の盾の正体を理解した。透明な鉱物の表面に、人間の顔が複雑に反射していた。鏡に反射するといったレベルではなかった。石が捕虜の顔そのものに変化していた。」

 捕虜の正体が明かされる重要な場面のはずなのだが、主人公イブラフが「理解した」のと違い、読んでいるこちらは何が起きているのか、どのような状況なのかさっぱり分からない。こうした描写が足りないと思える部分がかなり多くの場所に見られた。ワラポンやアスマ、ハーヴィーという登場人物もほとんど色を与えられていない。梗概で書かれていた「暗闇の中の息詰まる場面」も再現されていたとはいいがたいと思う。

 より個人的な感想、前々回のラジオで話したように「人間の盾」に思い入れがある。これは捕虜ではなく、市民が「自らの意志で」盾になることに意味があるため、この物語の「敵が捕虜を盾として利用する」という状況は全く意味合いが異なる。フィクションと現実をどう関連させるか、というのはもちろん作者の自由だけど、少なくとも僕であれば「人間の盾」という語は使わなかっただろう。


●賢者の選択

 一万字と短い短編だが、つらい読書だった。様々な点において、ひたすら悪い部分、整合性のない部分が目立って見える。まず登場人物に魅力が感じられない。ユージという主人公はAIのプレディにある種人生、自己を操られているようにさえ見えるのだが、それに対する応答はラストの「けれど、涙が溢れて来る…」の一文くらい。テーマから思い出すのは、例えばサンデル教授の「トロッコ問題」でもいいのだけど、アキと雪乃の命の価値を一種功利主義的に予測するプレディ。しかし、この人工知能プレディの価値判断基準があまりにも普通に思える。『罪と罰』のラスコーリニコフの方がよほどロジックがあるように思う。セリフ回し、情景描写も単調で、読みやすさはあるが引っかかりがないし、ラストのプレディによる種明かし部分は、それこそ「梗概」そのもの、あるいはネタバレを読んでいるようでつまらない。SF的な部分を考えると、プレディというAIの優秀さに比べて、スマホというデバイスのリアリティのあってなさ、中でも「LINEに既読が付きました」の一文は致命的。一気に読む気を削がれた。他の登場人物には厚みがなく、悪役の秀人、同情を誘うアキ、ヒロインの優華、全員が装置にしか見えなかった。

 正直に言うと、この作品のつらさが、次の梗概「宇宙をお花でいっぱいに」を推せなくなった理由にもなっている。

●田中シンギュラリティ

 再読してみたらがらりと印象が変わって面白く感じた。メイヤスーが登場して哲学的な話に接続するところも良い。実際、僕自身もこれまで書いた実作の中で、最初はバタイユとハイデガー、二作目ではパットナムと大澤真幸にフォーカスしてきたので、その点については親近感。自分がこれらについて書くときに注意したのは、これらの哲学・思想に全く触れたことのない人でも分かるように、ということ。この点に関して言うと、メイヤスー、ハイパーカオスの説明はあまりにも足りなかった、これなら固有名詞を入れないでおくか、もっと長くして厚みを持たせるかするべきだった、ということ。僕もメイヤスー未読なわけで、結局この「神がやたて来たる」という点と、訪れるシンギュラリティ、というのが重ねられているのは分かるのだけど、つかめるのは外形だけでもったいない。とはいえ、その架橋をこんなに「エンタメ」な筆致で行おうとしてるのはすごいことだし、面白さもちゃんと担保してるな、ということを感じさせられた。

 初回で読むのに躓いた、と感じたのは、後半のバトルでの会話部分。説明が長いことと、彼方と刀の関係がどうも陳腐化というか、よくある人間像に収まってしまった、という感じ。本当は泣き虫の彼方、一人語りする刀、《宿鼠》のアイディアや展開は面白いのに、二人の感情・意志の流れがテンプレで、新人漫画家の王道バトルマンガ、その打ち切り最終回を見てるような気持ちで全然メイヤスー話に引き込まれなかったのかも。行動原理だけではなく、内面、感情の部分にも2重・3重の厚みがあると良いのでは。とかいいながら、前半の彼方の紹介パートはとっても素晴らしいと思いました。「彼方はあいさつがうまい」って辺りは大好き。

 あとむっちゃ適当なこと言いますが、シバルバーも人間化、つぎつぎとやってきたシンギュラリティ超え宇宙人がどんどん人間化して彼方を奪いあうラブコメ展開になったら楽しそうだな。

 これも蛇足ですが、「将来……太陽系外まで電波を飛ばせる装置」とあるけど、どうも電波は既に3000光年は到達・受信できる様子。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%AF%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%96SETI


●アケミ(梗概リライト)

 前梗概よりも格段に明確になっている。面白そうだから書いて欲しい。こういう「時間制限」のある話、好きなんですよね。こないだの『プラスチック・メモリーズ』みたいにイマイチになる場合もあるのだけど、古くは黒澤明の『生きる』とか、そういえばブレードランナーも「命に制限がある」話でしたね。そこに「体温」を絡ませるところも面白い。梗概の背景描写みたいなものもしっかりしていて良い。一方で、これが仮に先に提出されていても、選出されなかったんじゃないか、という推測がある。最大の問題は、「物語」や「キャラクター」がほとんど描かれていなかったところ。これは梗概というより設定に終わっている。また、綺麗な設定であると思える一方で、意外性はそこまで強くない。その点はむしろ「名づけ」や「彗星が遠くなるとともに体温が下がる」というどこかファンタジックな前梗概の方が魅力的だったかもしれない。

 むちゃくちゃ個人的な感想ですが、新教育で有名なドイツのシュタイナー教育は、人間の発達段階を7歳、14歳、21歳で区切って、それぞれに意味づけを与えている、というのを思い出した。

●選出作品

・以下選出作品について、もちろん本講義でしっかり触れられたのと、ダールグレンラジオでも長めに触れたこと、せい、トキオ・アマサワについては本人に直接色々お伝えしたので、ごく短くメモ的に書きます。

●神託

・直接話した気がするけど、「たい焼き」の下りの描写が良かった。他の場面が室内など情景描写が少なかったので、どうしてもヴァーチャルというか、ゲームの中の話みたいに見える中で、雪をサクサク踏みながら歩く主人公の様子が好きだった。

・うずめとの会話も、テンポよくて好きなところが結構ある。積み重ねの中で、主人公の思考の輪郭が段々見えてくるバランスもいいな、と。

・「科研費はどこが審査していると思っている?」うっ頭が……

・直接も言ったけど、誤字脱字は改めて読んでも多すぎましたよ……次選ばれたら出す前に校正を頼むべし。僕ですか。オムライス一皿で手を打とう。

●ふたり

・「ロジックの説明のところがいいんですよ」という話をダールグレンラジオでしたら、大森さんが講義で同じこと言ってて嬉しくなった。序盤の「宇城にとって空間とは」で始まるところで早速それを感じられる。脱線だけど、この「奥行きを理解できない」って話、ルネサンスの透視図法の発見とか、むしろボルヘスみたいな幻想文学っぽくもあって楽しい。

・とはいえ、一方で後半で説明部分が長くなるところはちょっと辛くも感じた。藤井さんが言ってたように「アクションを入れて、説明」にうなずいたところ。

・YUKIという名前は長門有希を思い出すので……という話があり、それで「アイ」になったのかもしれないのだけど、今度は名作SF『アイの物語』を思い出しちゃうという悲しさが……「アイ」は I 愛 Ai i(虚数) と意味がむっちゃくちゃ重なってしまうので、これも微妙だったかもな、と。

・中盤、アイの空間認識にまつわる話は分かりづらく……というかもともと複雑なんだなこれ。とはいえ、文章の読みやすさは前回に比べて格段に向上していると思いました。

●きみのタオ

・序盤のタイシとの会話、決して悪くないんだけど、ミンフンと重なってしまう。言い回し、対立点まで似てる気がする。

・本講義でも触れられてたけど、ヒロムの行動というか、監禁、学校でのいじめについてもテンプレに見える。「犬になれ」とか、「あばずれ」とか。もしそれが幼さの表現なんだとしたら、そうだとわかるようにすべき。

・悪意の果実を食べるシーンは本当に良かった。一種の人肉食い描写でもあるんですよね。ここの目を背けたい感じ、ビジュアルに訴えてくる感じはすごい。個人的にはもっと密度を上げて分量多くてもよかったような。監禁シーンについて色々言われてたけど、僕はこっちの場面にシーン強度感じてた。

・ラストシーンのちょっと前、「悪意のなくなった世界」で、ヒロムとダブルベッドに入る辺りが好きです。「長年つきあってきた恋人同士みたいに」おなじベッドに入るところ。清潔な部屋、静穏な時間、ハッピーエンドの世界。それがドチャっと崩れるラスト。ヒロムの頭を果実のごとく食べてもよかったんじゃ、とか思ったけどさすがにやりすぎか。

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