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『かめくん』北野勇作◆SF100冊ノック#16◆

■1 あらすじ

 これはかめくんのお話しです。かめくんは、ある日そのアパートにやってきた。かめくんは図書館が好き。かめくんはフォークリフトの運転が得意。かめくんは、カメ形のマシンを操作して戦う。かめくんは銭湯にあこがれてる。かめくんは猫が好き。かめくんは昔の記憶を忘れている。かめくんの甲羅は宇宙だ。かめくんは―そういう風に作られた。
 あの、みんな知ってるけど、何が起きているかは誰も知らない「戦争」のために作られたという「かめくん」ことカメ型のロボット兵士……のはずなんだけど、この「かめくん」は狭いアパートで甲羅干しをして、ときどき図書館に出かけたりしてのんびり過ごしている。そんな「かめくん」のなんでもないような日々がゆっくりと過ぎて行く。

■2 ユーモラスで、不条理

 すぐに思い出すのは『となり町戦争』という小説だ。どうやらとなり町との間に戦争が起きているらしい。けれど、その実態が何なのかまるで分からない。『かめくん』でも同じように、奇妙で、起きているのかいないのか、終わったのか続いているのか分からない「戦争」が各所で言及される。そもそも主人公のかめくんも戦争の道具らしい。それだけ重要な背景設定のはずなのに、肝心の戦争はよく分からない。むしろ、

「この疑似戦場体験システムの人気が出てきたので、現実のほうもそれにあわせなければならなくなり、それでまた戦争をはじめたのではないか」

 どうもこの戦争は、リアルというよりヴァーチャル。人間が行ってきたそれよりも、ゲームや物語の中のそれに近い。その意味では『となり町戦争』のように、既に私たちにとっての戦争は表象―報道やネットの中にしかないことを思わされる。

 ……のだけど、『かめくん』の不条理な世界観はこれとは全然異なる。戦争は確かにちりばめられた重要な要素なのだけど、それは「かめくん」の日常を描くなかでどんどん背景に消えていく。星新一のような「ユーモアと不条理の共存」が、ここではさらに更新されていてるように見える。ユーモラスだし、ノスタルジックでもある。古いアパート、小さな図書館、壊れるエアコン、路面電車、銭湯、ロボット特撮の世界……「かめくん」を取り巻く世界はまるで「昭和」の夢にも見える。『となり町戦争』や不条理な世界では、日常は侵食されていく側にあるけれど、『かめくん』ではその逆に、どれほどはかなくても、ノスタルジックな日常は―その記憶は―永遠に続くものとして暖かく感じられる。

■3 イメージ、欠落、愚かさ

 かめと宇宙、と言えばうる星やつらの映画『ビューティフル・ドリーマー』……を知ってる人もそんなにいないかもしれないけど、古代インドなんかでカメは「世界を支える存在」として描かれている。あるいは「カメは万年」の言葉のように、長老、記憶……といったイメージも、甲羅と一緒に背負わされている。あるいは、そのゆったりとした動きから、「愚かさ」ということも。

 「愚かな存在の価値」を描いたSFと言えば『アルジャーノンに花束を』がある。もっと有名な作品では『くまのプーさん』も。『かめくん』は愚かとはいえないが、記憶を喪失し、欠落を抱えたまま生きている―最も本人はその欠落をちっとも気にしていないように見えるけれど。彼はいつか、すべてと別れる日が来ることを確かに知っている―二度と好きな人たちに会えなくなることも。けれど、『プー横丁にたった家』のラストのように、彼にとってそれは人間の喪失の実感とは異なる。それがたまらなく哀しく思えて―と同時に、僕たちはかめくんを鏡として、人間の感情というのを確認するような気持になる。

ミワコさんの字だった。それを見つめていると、かめくんは不思議な気持ちになった。なんだかよくわからない不思議な気持ちだった。

 そして、かめくんにも確かに人間の心を感じる。けれどドラマになる前に、彼はカメにしては素早く去って行ってしまう。

あれはたしか、『マクベス』という映画だった。いや、『蜘蛛の巣城』だったかな。未来を観測するという行為が、結局は未来を確定してしまうことになる、という量子力学的側面を持った映画

 本筋とは外れるが、この一文にはうならされた。僕にとって、「運命」という言葉は非常に強い意味がある。それはおそらく、一つの人生を「物語」として見ているからだろう。例えば神話の英雄にとっての「運命」は一対のものだ。運命が彼を英雄にするが、同時に英雄は運命から逃れようとする。そうした物語的なものが、量子力学と結ばれているイメージが面白かった。

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