『教養としての10年代アニメ』読書ノート

※あんまり内容まとめてません
※考察多め。考察部分は基本 ※米印 がついてます

はじめに

1. アニメを「情報娯楽」インフォテインメントとして眺める。文脈・情報が付加されていることが一つ
2. インターネット…ニコニコ動画やtwitter等感想の共有、バズりといった作品外とのかかわりが増えたことも
3. 「セカイ系」…2002年ぷるにえの提唱。このときは一種の蔑称。社会が飛ばされ個人の一人語りが世界と直結する
4. ゼロ年代批評は、当時は空気系⇔セカイ系の対比だった ※現在は空気系は別の枠に見える
5. ジャンル批評のアポリア…ジャンルにくくることで個別性が欠落するという話
6. 7本のアニメ。まどマギ、中二恋、俺ガイル、ノゲノラ、SAO、超電磁砲、コッペリオン
7. ※まどマギのみオリジナル、コッペリオンはマンガ、他5作品はラノベ由来(超電磁砲はラノベのスピンオフマンガ)

1 まどマギ

1. ゼロ年代の総決算… ①セカイ系 ②空気系 ③サヴァイヴ系 ④ループもの ⑤戦闘美少女
2. サヴァイヴの系譜…リヴァイアス、デスノート、ブラスレイター、Fate、ガンツ、舞姫、セキレイ、Btoom…
3. ループものは…うみねこ、未来日記、ハルヒ →ライプニッツの可能世界の話
4. ビジュアル・アートの話…シュヴァンクマイエル等アート系への引用、ゴシック的世界観。メルヘンホラー
5. ※「書割」の表現方法としては、同様に新房のぱにぽにだっしゅ、特にそのOP辺りも思い出す
6. まどマギから派生した「絶望少女もの」さらに「絶望的状況もの」がその後出てくる
7. シャーロット、リゼロ、魔法少女育成計画、幻影ヲ駆ケル太陽、結城友奈
8. ※もっと言えばリョナ・グロに通じる身体的欠損、身体を病ませるような表現が増えた気も
9. ※最後のニーチェの引用…「深淵」は微妙では。ニーチェの「深淵」が便利に使われ過ぎている傾向。

■考察■
10. ※最初の指摘は「ループもの」について。そもそも虚淵の出身であるノベルゲー業界が超強烈な「ループ」世界の名作を生みだしてること。YU-NO、Ever17、クロスチャンネル、シュタインズゲート、つまりヒロイン攻略型ゲームというアーキテクチャの帰結としてのループもの、という話。動ポモ参照。あるいは永劫回帰的なループでジョジョ六部の話がある。

11. ※虚淵という作家が幾度も「絶望的状況」の一種バッドエンドとも思えるようなラストを描いてきたこと。幾度やってもバッドエンドになってしまう、というFateZero でのインタビューについて。特にヴェドゴニアという作品での自身がむしばまれながら戦っていく構図がまどマギに感じられる。

12. ※物理学、量子力学の話をするならば、エントロピーの話は外せなかったし、『スマガ』というもう一つの、ループを繰り返しながらエントロピーによって終わる世界を救う魔法少女ものを語る必要があった。

13. ※絵画の問題もそうだが、蒼樹うめというまさに「空気系」の作家のキャラクターが首をちぎられたり、身体を破壊されたり、というそのギャップ的な絵、「絵面」の問題にも触れてほしい。あるいは3話で豹変するのはスクールデイズ的な裏切り(もともとのゲームは全くそうしたヤンデレ的ラストは加味されていなかった)さらに百合の問題もある。鎧武との比較はどうか

14. ※叛逆の物語は、『リベリオン』(=叛逆)のガン=カタの話…はともあれ、ほむらが再びまどかを捕まえて「観客の望むハッピーエンド」から「ほむら=個人」の望むエンドに向かって、月の暗い側に落ちる、というラストシーンの解釈は入れてほしかった。救済からほど遠い結末に「望んで」落ち込んでいくが、これこそ虚淵が延々と描いてきたハッピーエンド的世界観への違和感の表明であり、最も「再帰的」なものに見えるから。

2 中二恋

1. 京都アニメーションの作った「ネタ」文化…ハルヒ、けいおん、らき☆すたとニコニコ動画のMAD等の接続
2. キャラクターの一挙一動の巧みな演出
3. 氷菓で見られたような映画的なカメラカットの演出。アングル。
4. 京アニのクラスタ分析…空気系らき☆すた・けいおん →恋愛や葛藤の排除 セカイ系ハルヒ →社会の排除
5. ユーフォニアムが→家族・社会・恋愛・葛藤のすべてを入れ込みなおかつ現実を舞台にしたもの、と位置付け
6. 中学生の意識、アイデンティティの話。居場所。
7. ここでは中二病=過酷な社会に対する一種の武装。概念礼装のようなもの。
8. 中二病ものは様々なフォロワーを生んだが、それよりもあらゆる作品に「中二キャラ」が登場してくる方が重要
9. 例…はがないの小鳩、このすばめぐみん、俺妹の黒猫、蘭子、ヨハネ、うみねこのマリア…

■考察■
10. ※クラスタ分析で、中二病は、空気系・セカイ系でありながら、恋愛・葛藤・社会を描くマージナルさ、バランスがあるとされる。その一方でAir Kanonも別様だがそうした存在ではなかったか? 家族・社会・恋愛・葛藤がありながらセカイ系だったのでは。さらにクラナドという作品はそう。ここではむしろ、ユーフォニアムとの差は「不思議な力があるかないか」というか、単に現実性、リアリティの問題で区分すべきなのでは。

11. ※カットの話をする前に、やはりKanonで見られるような「しぐさ・表情によって感情を表現する」という映像表現がようやく映画以外で、テレビアニメでしっかりと、コンスタントに行えるようになった、というところに着目してほしかった。これは実はキャラクターデザインとの関係もありそうだが…さらに言えば3Dアニメでこうした表現が出来ているのか、という話にもなる。それ以前のアニメはどうしても声優の演技、声、セリフというところに感情のドライブを置いてきたけど、京アニはここを明らかにシフトさせてるように思える。沈黙をいかに使うか、というところはリズと青い鳥まで引き継がれる。

12. ※妄想中二病の話はピンチョンのパラノイアで切りたいところ。(あるいは俺つばや電脳コイルのラスト)つまり中二恋のアプローチは、目に見えないもの、虚構的な意味世界がむしろ現実から身を守る防具・武器になるという構図で、ル=グウィンやエンデのファンタジー論に非常に近づいている。ピンチョンの場合だとさらに進んで、人間はそうした妄想的なものとごちゃまぜになりながら生きているという話にもなる。ただし、指摘すべき部分は、やはり95年のオウム以降、その妄想、パラノイアの在り方は本質は異なるが現れ方、組織のされ方が大きく変わったというところ。

3 俺ガイル

1. スクールカーストと「ぼっち」、「残念系」という性格部分からの分析が主眼
2. ぼっちもの → わたモテ、はがない、その後も「ぼっち」と入る様々な作品 ※別の方向としてぼっち侵略
3. ライトノベルの特徴 ①ヤングアダルト層 ②口語表現多数 ③イラスト ④関連メディア ⑤文庫形式
4. 中間的な作家として、桜庭和樹、ファウスト系作家、最果タヒ
5. ジャンル…①学園 ②SF ③ファンタジー ④ホラー ⑤アクション ⑥伝奇 ⑦コメディ ⑧ミステリ ⑨ノベライズ
6. リゼロ、デュラララへの注目
7. 俺ガイルは → ノベルゲームとの親和性。八幡という主人公視点への同化→ヒロインを眺める

■考察■
8. ※個人的には、「俺ガイル」は草食系から続く「恋愛忌避系」の物語として見ていたのでその視点が無いのは違和感。「俺修羅」や「はがない」、さらに「僕ヤバ」にもみられる恋愛へのルサンチマン→無関心・否定。いわゆる「恋愛」=陽キャによる特権的な社会ステータスに対しての異議申し立てみたいな社会的な部分と、中二恋にもつながるような他者との関係にさらされることで自我の殻が危険にさらされる心理的な部分と両方に切り込むテーマのような気がする。「恋愛忌避系」というくくりで何か眺めてみたいところではある

4 ノーゲームノーライフ

1. 「ゲームファンタジー」という一つのくくり。
2. ゲーム理論についての下敷き(教養部分)
3. 空-白二人の共依存構造と、コミュニケーション障害、アスペルガー的なもの。
4. 主人公を二人にすることで、異なる二様の弱さを描けているのが巧み ※「神様のメモ帳」等と比較

■考察■
5. ※白の能力は一種サヴァン的な描かれ方で、戯言シリーズの玖渚と比較できるような、一種の「異能」のようにも見える。

6. ※子供をめぐる精神的な問題、という点については、アダルトチルドレン、愛されない子供、ゲーム…という点でSAOと結びつけてほしかった。

5 SAO

■考察■
1. ※ここでの論考に関しての一番の不満は、『アクセルワールド』と共通して、主人公格の人物(キリトとアスナ)が「親からの愛情を受けずに育った存在」であること。『アクセルワールド』では明確に、親が子育てをテクノロジー(ニューロリンカー)に丸投げした存在だけがバーストリンカーとなり、ゲーム世界で強い力を得られることが断言されている。つまり、現実世界での愛情が薄ければ薄いほど、仮想世界で強力な存在になれる、という構図。これは、俺ガイル、ノゲノラ、中二恋とも重要な関連を持つトピックなので外してほしくなかった。

2. ※この臨界点の一つが「マザーズ・ロザリオ」のユウキという少女で、彼女もまた明確にHIVという病気(彼女自身は薬剤からの感染だが、そもそもこの病気が性病として、また偏見、スティグマを持たされて語られたこと)であるという、ラノベではなかなか出てこない社会的なものを登場させたこと。またスリーピングナイツの一人シウネーは在日コリアンであることにも注目すべき。ユウキがHIVで死ぬという現実的な死は、アインクラッドでの脳死という一種ゲーム的な命のやり取りの描写とはレベルが違う。むしろこのユウキの死で、SAOで描かれるすべての死が一段階引き上げられているとさえ思う。そしてその葬儀が現実ではなく仮想で行われるということ。

3. ※最後の考察で、アニメの再帰性が語られ、そこで虚構内存在-世界内存在の対比が行われているが、SAOの最初のモチーフは、仮想という「現実とほとんど同じだが、死と生殖だけが無い世界」に、どのようにして死と誕生(ユイの存在)を付与し、現実へと引き上げるかというもの、つまり虚構を現実にしたい、できる、というテーマがあり、社会性とか再帰性とかをまとめてひっくり返すベクトルを持っているのでは

4. ※量子世界に関して、ペンローズも良いのだけど、それ以前にイーガンの順列都市とゼンデギでは。

6 超電磁砲

1. 超能力の扱い方について、次のコッペリオンとの比較
2. 先天的⇔後天的 努力により向上可能⇔固定的
3. シスターズ編の分析…生物学・クローンからの視点(教養部分・科学)
4. 学園都市の監視社会的なテクノロジー描写
5. ※レールガンよりもインデックスの特にヴェント編の「科学信仰」、ファンタジー⇔科学の対比の話が聞きたい

7 コッペリオン

1. 原子力発電所という、福島以前も国家的な環境問題の中心点、議論の中心がモチーフになってるのが大きい。SF
2. フクイチ事故後のアニメ化→マンガ自体の予言
3. ホモ・サケル、剥き出しの生の議論
4. コラテラル・ダメージ…二次被害 ※今なら感染症について考えたくなる
5. 10年代アニメの一つの傾向…「絶望的状況での人間の無力感」→進撃の巨人、シドニアの騎士、ウィクロス…
6. 太陽の塔についてのシーン→科学の光と闇の対比

おわりに

1. ※「教養」の下敷きで人文系もあったが、目立ったのは ①科学とテクノロジー ②少年-青年の心理 ③社会性

2. ※ハイデガーの世界内存在 ⇔ 虚構内存在 → 世間内存在

3. 再帰性=作品を見ることによって一種の変化が起こり現実になにかしらの価値の再帰をもたらす

4. ※再度、ル=グウィンのファンタジー論を思い出すところ。ただし「利益」として取ることの不毛

5. ※以前の再帰性とは異なり、オンラインゲームでの他者との交流-摩擦、ネットでの議論など、アニメやサブカル的メディアについて考え、つぶやくことで共同体や他者との摩擦がダイレクトの起きる、さらにSNS等で起きやすいこと、そうしたアーキテクチャを見越したような構造や宣伝広告がアニメに内在してることがポイントか

6. オタクは「もう一段ステップアップが必要」とされる→現実的な問題へ。教養主義の復権

7. ※ここには簡単にはうなずけない。SAOにおける虚構の再解釈もあるし、何をもって「有用」とするかを考える必要がある。例えば『Angerl Beats!』を見てドナー登録を行うことは、あるいは免許証の裏の臓器に関する意思決定を変化「させられる」ことは社会的なのか。ガルパンと軍国主義の議論はどうか…など、教養主義はむしろその有用性の有無を含めてメタに考えることではないのか。

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