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note歴1年の振り返り

 何となくTwitterを始めて2年、書きたい事があって始めたnoteも1年。何とか細々と続けております。長い様なアッという間の様な、ちょっぴり不思議な感覚です。色んな人と知り合って、別れて、色んな事を知って、覚えて、色んなモノを作って、見て、得るモノも失うモノもそれなりにあった時間でした。そうして過ごしていく中で私は皆さんから貰ってばっかりだなぁ、と改めて思います。おかえりのリプライ、私を描いてくれたイラスト、様々なマシュマロ、何気ない空リプ、一緒に遊んでくれた時間、私の作品やnoteの記事にくれるいいね、送ってくれた年賀状、ポケモンバトルの大会開いた時に参加してくれた人、高熱を出した時に心配してくれた人、誕生日を祝ってくれた人、全部全部私にとっての大切です。
 ではTwitterの2年で私は皆さんに何を渡せたでしょう。noteに費やした1年で私は何を書けたでしょう。何もない。始めた頃から何にも進んでいない。皆さんはこんなに沢山くれるのに、何1つとしてお返しができないままで。何だか申し訳なくなってくる。貰いっぱなしのままで、胸がいっぱいです。
 例えばたまに流れてくる他ユーザのnoteとかを見るとクオリティが凄い。あるキャラクターの服装が何故映えないのかを色彩学の視点で解説したり、自らの培ってきた経験則を基にしてボードゲームの作り方を説いていたり、自分が学び取って来た事を事象に即して語るnoteは面白いし為になります。じゃあ私が語れる事とは何だろうと置き換えてみても急に霞が掛かる様で。大学で学んでいた事、社会で養った知識、趣味で獲得した技術等、ないわけではないし、これらがつまらないとも思わない。でも自信を持って語れる訳でもない。何処かに負い目を感じて手を出せずにいる。1年もnoteをやっているのに、役立つ面白い記事すらまともに書けない。絵も動画も作らない。ずっと一方的に皆さんから貰いっぱなし。全くもって上手くいかないなぁ。何年やってもこのザマです。とりあえず今は頑張らない程度に頑張ります。
 なんてね。

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