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明けましておめでとう ~2021~

 新年明けましておめでとうございます。今年1年が皆様にとって良い年となりますように祈っております。状況も変わって、世の中も変わって、また新たな時代が相も変わらず待ち伏せてました。新年というのは不思議なモノで、特別な事の様に思えてしまう。でも実際はそんな事はなくて、日付や月が替わるのと何ら違いはないんですよね。年って単位が大きい気がするだけで。日付が替わる度にハッピーニューディ! みたいにお祝いしないのに、年単位だとお祝いするのよく分かんなくて面白い文化だと思います。
 私にとっての年末年始は昨年の事を振り返る時期でもあるんです。常に変わり続けている環境だったり、気持ちだったりを一旦置いておいて、ゆっくりとゆっくりと振り返るんです。あの時はあんな事考えてたなぁとか、やりたかった事は結局ここまでしかできなかったとか。何ができたのか、何ができなかったのか、何を思ったのか、どんな言動を取っていたのか、誰と仲良くなれたのか、誰と疎遠になったのか、何が変わったのかなど色んな事を雑多になんとなく回顧してみて、どんな年だったのかを思い出すんです。大抵は失敗の確証バイアスだけが誇張されて残るので落ち込む事が多いです。自分でやろうと思った事の半分もできてないとか、できたとしても質が低かったりとか、自身の信条とはまるで真逆の言動を取ってしまっただとか、あの人と疎遠になってしまっただとか。うーん、全部ぶん投げて誰も私の知らない所に行きたい! ってなりがちです。あーなにもできずに年が終わってしまったと、自分で決めた事すらままならなかったと。この1年なんだったんだろう、本当に。端々に生き方の粗が剥き出しになってる。
 普段の言動から分かる通り私は基本的に自分本位な人です。価値基準とかが他人からの声とか社会的な評価よりも、自分の中の納得度に由来しています。だからこそ、その1年でフルにできた筈なのにやらなかった・やれなかった事があるのが悔しくてたまらない。間違った方向への努力は努力でも何でもないし、それすらままならないのに、何故私は大手を振って生きていけるのでしょう。そういう自分に納得がいかない。昨年の自分を顧みて改めてそう思います。だって、やらない・やれない理由なんて探さなくても山程出て来きますし、それを理由にやらないのはただ逃げているだけじゃないですか。普通の環境っていうが逆に珍しいこの時代に「自分の今の環境は普通じゃないから」と言い逃れて。そんな情けない事はないですよ。嘆くなんて行為は、やれる事全てやり尽くしてからにしろ。まだできる事があるのに努力した気で居られる自分は心底つまらない人、そんなんで生きていて楽しんでしょうかね、自分でも分からなくなります。Twitterとか配信開いたままやる努力なんて努力じゃないんでしょ。自分で決めた・言った事すら完遂できないのは生きていて最低だと思います。ちゃんとやって来た1年のつもりだったのに振り返ると、いつも何処かでまだ詰められる部分が露見してしまう。何処まで行っても私は取り柄のなく目立ちもしない普通の人だから、だからこそもがかないと、そんな観念が心の奥底にはあるんでしょうね。最期に自分の存在を許してくれるのは自分だけなのに、私は自分自身にすら許される資格はなさそうです。自己憐憫じゃなくて、自己責任の果てに自己嫌悪。そんな総括で締め括る2020年でした。改めまして皆様、明けましておめでとうございます。どうか皆様にとって良い年でありますように。

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