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ギンガ団アカギの考え方について

 ポケモンのダイパリメイクが発売されましたね。今日はマジで書く事が全くないので、作中の登場人物であるアカギの思想について書いていきます。


今回お話する事

 上記リンクをお読み頂ければ分かる通り、彼は強い思想を持っています。合理性やロジックを重視し、感情などの非合理的で不安定なモノを嫌っており、度々主人公と相見えます。今回はこのアカギの発言から彼の思想とそれに関連する現実の思想についてをお話していくつもりです。

今回の記事内容は思想について全くの素人がうろ覚え程度に語るモノとなっています。その為、間違いや思い込みなどが原因の不正確な情報が含まれている場合がございます。ご理解の上お読み下さい。

できたばかりの世界では

 アカギとの初接触は彼から話掛けられる事で発生します。その時に彼は以下の発言をします。

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テンガン山にて

 彼は「できたばかりの世界」を完全な世界と考え、世界をそこまで戻そうと画策します。彼が伝説のポケモンを使い、世界を創り直そうとしたのは、彼の理想が「できたばかりの世界」にあったからでした。
 では実際のところ、できたばかりの世界とはどの様なモノだったのでしょうか。政治哲学において、ヒトが明確に社会を構成する以前の状態のことを「自然状態」と呼びます。これは思考実験的に仮定したフィクション的概念であり、考古学的な真偽を問うてるモノではありません。

自然状態は混沌か

 自然状態についての考え方は大きく分けて2つ。1つ目の説として、自然状態でヒトは相互不信を抱きあっており常に油断できない状態であったというモノ。これを唱えたのがトマス=ホッブズであり、こうした状態を万人の万人に対する闘争と言いました。

 ヒトは神によってではなく自然によって創り出され、自由で平等に生きる権利を本質的に有している(自然権)。他者の自然権行使によって自身の生命などが脅かされるかも知れないと恐れ、相互的に不信感を抱きあう。自然権を制限し合えばそういった事がなくなる筈なので、信頼できる代表者や組織に各々の自然権を譲渡し、その代表の指示に従う。これが今ある社会や政治の始まりである。

 ホッブズはこの理論で絶対王政や暴力装置としての国家の正当性を主張します。それまでキリスト教的な世界の解釈が一般的であったのにも関わらず、神を考慮せずにヒトの生物的な分析によって論を展開した点がホッブズの優れた所でした。

自然状態は秩序か

 この考え方を真っ向から否定したのがジョン=ロックでした。ロックの考え方はアカギの思い描く「できたばかりの世界」と非常に近いと言えます。自然状態でのヒトは非常に理性的で平和かつ平等に生きてきたと、ロックは唱え、これが2つ目の説となります。アカギの言う「できたばかりの世界では争い事などなかったはず」とほぼ一致しますね。

 ヒトは創造主たる神によって創られ、神の意向である理性に則って生きていた筈なので平和であっただろう。皆が自然権を謳歌し、誰の自然権も侵害しない世界。しかし仮に悪意の持った者が他者の自然権を侵害する事(犯罪行為)があった場合でも、誰の自然権も侵害しえないのであれば犯人を罪に問えなくなり、ともすれば世界は次第に混沌と化してしまう。それを防ぐ為に社会全体で統治に関する契約(社会契約)を結び合い、政治共同体を造った。だからこそ、その契約に背いた統治体制に対しては革命する事が許される(抵抗権)筈だ。

 ロックは大体こんな感じの事を唱えました。当時としては中々に急進的な思想だったと言えるでしょう。彼はこうして社会契約と抵抗権の2つを打ち立てます。ホッブズ、ロックなどの生み出した概念により現代の人権思想や政治思想の礎が築かれていく事となります。

 シンオウにおいて神はポケモンの形をして存在しているとされ、それがディアルガ・パルキアなどです。神によって創られたヒトが社会を構成すると想定している点においてロックの説もシンオウも共通です。ロックの場合それがキリスト教の神であり、シンオウではそれがアルセウスやディアルガやパルキアとなります。
 ディアルガ・パルキアの力を借りて宇宙再創世を試みようとしたアカギです。ロックと同じ様に、神の創った初期の世界こそ完璧であったと考えていてもなんら不思議な事はありません。むしろ自然な解釈とすら言えるでしょう。

アカギの抵抗権

 ダイパリメイクの中には存在せず、プラチナの中でのみ存在するアカギとシロナのやり取りに以下のモノがあります。

シロナ「どうして せかいを かえようと するの? この せかいが にくいなら じぶんひとり だれもいないところに いけば いいだけでしょう」
アカギ「なぜ この わたしが せかいから にげるように いきを ひそめて いきるのだ?」

 やぶれたせかいにてアカギ戦直前の会話です。このシーンはある意味で彼の思想が象徴的に表れているセリフと言えそうです。彼は伝説のポケモンを使って、世界に対し抵抗権を行使しようとしていたのです。自身の理想の世界でないから抵抗権が許されて然るべきだと思ったからこそ、シロナの問いに対して問い返す事で答えとしました。
 現実の世界においてもロックの唱えた抵抗権を根拠にフランス革命やアメリカ独立戦争が正当化されました。抵抗権によって国の在り方が根本から変わったという歴史的な事象を考慮するならば、アカギの暴走行為も抵抗権の行使であると理解するのが自然。彼の抵抗は主人公によって阻まれますが仮に成功していれば、抵抗権を根拠に正当化されたことでしょう。

物か心か

 アカギは世界を創り直せば、心や感情のない完全な世界になると考えていました。では彼は何故そう考えたのでしょうか。ミオ図書館で読める『はじまりのはなし』を紐解いてみましょう。

ミオ図書館『はじまりのはなし』

  この神話によれば「ふたつのぶんしん」が物質を、「みっつのいのち」が感情をを生み出した様です。つまりディアルガ・パルキアさえいれば宇宙の再創世や物質の創造が可能なので、ユクシー・エムリット・アグノムを旧世界諸共消してしまえば、感情のない新世界が誕生する訳です。
 ではこういった精神的なモノはアカギの新世界において絶対に発生しないと言い切ってもよいのでしょうか。世界の本質は精神か、それとも物質か。こうした考えを専門用語でそれぞれ唯心論唯物論と言います。

本来ならば

 本来ならばこの後は唯物論と唯心論に軽く触れつつ、ロックによる生得論の批判やタブラ=ラサと観念の起源についてを話す予定でした。単純観念・複雑観念だとか、第一性質・第二性質だとかもできたら話してみたかったです。正直に申しますとここら辺の知識が曖昧で、このままうろ覚えで解説をしたら間違いだらけになる事が必至であると判断し、筆を擱くこととしました。多分色々と間違いだらけなので、もっとちゃんと知りたい人は一次資料や二次資料にあたって下さい。間違い等ございましたらお声掛け下さい。早急に直します。

 ダイパはポケモン初の創世神話を扱った作品であるからか、原初が何であったかを暗に問いかける様な話題が多く散りばめられていた気がしますね。できたばかりの世界に争いは本当になかったのか、存在とは唯物か唯心か、物質を生み出した時空の象徴と反物質を司るギラティナの対立軸など色々。制作陣てそこまで考えているんですかね。考えてなさそう。またね。

文献

トマス・ホッブズ『リヴァイアサン』
ジョン・ロック『統治二論』『人間知性論

ダイパにちょっと関係あるかもしれない本
イマヌエル・カント『純粋理性批判
 -時間や空間はアプリオリ的な概念であり、この2つがないと物自体を認識できないという主張が展開されます。

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