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旧友との接し方について思うこと

ここ10年の間に友達が増えたか否か。

私はできていないと考える。

『友達』とは何を持ってして友達なのだろう。
いわゆる『ママ友』はできた。
お互い顔を全部見たことはない間柄だけど。

私の中での友達は、お互いに自分の弱い部分を見せられたり、最近あった楽しかったことや、自慢なんかも話せる間柄だと思っている。

そう思うと、ここ10年もしかすると15年は『友達』と呼べる人は、できていない。

そんな私にとって、学生時代の友達は貴重な存在だ。
当時のようにくだらない話で笑ったり、つっこんだり、誰かの文句を言ったり。
気にせず何でも話せるからだ。

そう思っていた。

先日、久しぶりに旧友達と会うことができた。
コロナ禍で会うことができない間、私も友人たちも環境が変わっていた。
子どもの成長や、結婚、引っ越しなど様々。
そうすると、何を話してもなんだか変な空気になる。

住む場所、子供の有無、子供の年齢、収入、家族関係。
何一つ同じことがない。
学生の頃はすべてが同じで同じ世界に生きていたのに。

その日は話がいまいち盛り上がらずに別れた。
子どもが賑やかで全然落ち着いて話せないね、といつも話していた。
子どもが成長して少し話せる時間が持てるようになったら、顕著になった私達のギャップ。

話せないくらいがちょうどよかったのか。
当たり障りのない天気の話をするくらいなら、会わない方がよかったのか。

それでもやはり私は会うと思う。
これからも、しまった変なこと言ってしまったと思いながら、後悔しながら、それでも彼女らと会うと思う。
それを許せるのが私達だからだ。
それをお互い分かって、甘えて、それでも大事にしたい存在だからだ。

どうしてもギャップを感じたら、あの頃の思い出話をすれば良い。
先生に追い掛けられた話、好きだった漫画の話。

私達は、これからもギャップが生じていくのを感じながら、大切な存在であり続けるだろう。
私はそう思いたい。
そう思ってももらいたい。