【353】遠足②

遠足に行きたい。
大人になって
車を運転可能状態となった今
学生時代の遠足イベントで
足を運んだデカめの公園横を
車で通過することがある。

その時には
様々な感情が湧いてくる。

こんな公園で
6時間ぐらい
何をして遊んでいたのだろうか?
という疑問や
学校からこの公園まで
車で5分で着く道を
わざわざ30分も
歩いたのかという
今では逆に面倒などの感情が交錯し
不可能となってしまっている
事実に対する虚無感など
遠足に対して
もっと深みを当時に
覚えていればよかったと思っている。

そんな遠足でも
今思えば系のことがある。

昨日は遠足の
おやつ問題について
論破してきたが
今日の方が
大問題であると思う。

それは
「家に帰るまでが遠足です」問題だ。

この発言は
遠足のエンディングで
教員の誰かしらが放つ
あるあるワードである。

遠足のテンションのまま
帰路に着く際に
交通事故に
遭わないようにしましょうという
教育者として
素晴らしい発言のように
思えるがここに違和感がある。

それは
「本当にそれは遠足か?」
ということだ。

例えばあなたが
映画館に観たかった
映画を見に行ったとしよう。

その行動を言葉で表現するなら
「映画鑑賞」である。

この映画鑑賞は
作品にもよるが
約2時間のものを
見る時間のことを
指すだろう。

仮に映画鑑賞終わり
車で帰宅途中に
コンビニに寄った際に
知人とバッタリ遭遇し
「今なにしてるの?」
と聞かれて
「今映画鑑賞中」と言えば
その知人はその謎の発言に
恐れをなして
知人とカテゴリーから
いなくなるだろう。

これと同様に
家に帰るまでが遠足という
発言は謎の状態を
指していることに間違いがないのだ。

スーパーで買い物の帰り道に
買い物中という感情はない。
ボウリングをした帰り道に
ボウリングをやっているという実感はない。

このように
帰り道とは文字通り
帰り道でしかないのだ。

つまり
「家に帰るまでが遠足です」
ではなく
「帰り道気をつけましょう」と
言葉の真意を
ストレートに子供達に
言えば良いのだ。

変な言い回しをして
謎の混乱を招かないためにも
遠足と帰り道を
分けて表現するように
努めてほしい。

遠足②について
正当化し
論破できる方は
かかってきてほしい。

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