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わたしが自分を僕と呼び始めた日

随分更新が久しぶりになってしまいましたがその間にネタはどんどん溜まってきています(笑)

以前非公式エッセイ〜vol4.にて自分の恋愛観について少しだけ書きました。
いつか番外編で小さい頃からの話を綴りたいと思っていたのでここいらでいっちょお付き合いのほどよろしくお願いします。

ふつうの市民の恋愛観を公にするのは誠にこっ恥ずかしい話なのですが、本当の意味での多様性のある社会ってどう実現していけるのだろうと素直に自分も興味があるし

少子化だの高齢化だの社会課題と、自分の恋愛観って実は繋がっているのかもしれないと
思うと、そこも自分なりの言葉でじゃあどうすりゃ良いのか表現しておきたいなと思っています。同性愛が少子化の原因になるのか?!とか真っ向からそのうち語れるエッセイにしていきたいです。

誰もが心地よく生きていける世界を考えていくヒントが、もしかしたら書き進めるうちに見つかるかもしれないとも微かに期待しています。

自分だけでこう書き綴るに留まらず、読んでくれた人とも熱く言葉をぜひ交わしたいですね。

さて、本題

わたしは女性として生まれ自分が女性であることに違和感がありません。

ですが、恋愛対象は女性です。

自分の性に違和感はありませんが世間のいう女性らしさというものには違和感を感じてきた気がします。

ある年齢になると化粧をしないといけない、制服はスカートを履かなければならない、社会人的女性らしい服装。女性らしい振る舞い。そういうものにはできる範囲で合わせてきたけど、正直しっくりこない自分がいました。性別に対する違和感というよりは、女性はこうあるべきという社会通念?に疑いの目を向けてきました(笑)一方で動物的な、生物的な雄の役割、雌の役割のようなものがあるのも理解ができます。

ピンクの水玉着てたこともあったのね

実際この35年間で男性を好きになったこともあるし、男性と付き合っていたこともあります。結婚や子供を持つことをイメージしたこともあります。紆余曲折ありその都度、自分と向き合っていく中で、いろいろぶっちゃけちゃって素直になった現時点では、女性に心惹かれることが多いってやっと自分でも認められるようになったかなというところです。

これをなんと定義するのか、世の中には複雑な呼び名がいろいろとあるようですが自分にはしっくりくる言葉が今のところありませんし、探してもいません。

言葉で定義されることで安心できる人もいると思うので

これについてはカテゴリーも大事、でもいろいろ固定概念を取っ払って自分に素直になることがもっと大事というのが私の考えです。

本当に複雑な要素が絡み合って今の自分が出来上がっているし、どうして女性でありながら女性を好きになるに至ったかを簡単に語ることはできませんが

小さい時の友人の些細な一言がわたしの自由な人生の扉を開いたきっかけにはなっています。

自由な校風で当時から有名なとある保育園にわたしは通っていました。

4歳か5歳くらいだったかな、、、

忘れもしない仲の良かった同じクラスの男の子の言葉

〝女の子は赤ちゃん産むときにお腹きらなあかんにゃで〟


えーーーーーー!!!ガーーーーン!!!


本当にショックだったのを覚えてます。


そう聞かされたわたしはお腹を切りたくないと強く思いました(笑)


これがきっかけでわたしは自分のことをその日から〝僕〟と呼び始めたんです。

それまでも、両親がいわゆる世間でいうところの女の子らしい格好をそんなにさせてこなかったという流れ


父が自分の好きな仮面ライダーとかをわたしに見せていた流れ(子供の頃見ていたアニメやドラマの影響についてはまた後日別記事で語りたい)


保育園も、両親も〝僕〟と言い出したわたしを否定しなかった流れ

友人のとある一言と、そんな流れが相まってか?!わたしは保育園を卒業するまで

自分のことを〝僕〟と呼ぶことでお腹切りの刑を間逃れようとしたわけです。

その時は本気でお腹切りたくないから男の子になりたいし、なれると思ってました。

卒園式はおばぁちゃんの作ってくれた洋服で


好きな遊びは折り込みチラシで作る剣造りと、泥団子作りやったし(あれ?小さい時は物づくりに興味があったのか・・・)

この話はまだまだ続きますが、この時点で言いたいことがあって

わたしはわたしのことを親しみを込めて〝おい、僕〜〟と呼んでくれていた保育園の園長を今もすごく尊敬しているし、とても好きだし

左利きを右利きに強制するみたいなやり方で

〝いやいやあんたは女の子やから、僕とちゃうで、わたしやで〟と直そうと思ったら直せたやろうに

一切否定せずそのまんまを受け入れて見守った両親を心底、尊敬します。

友達の一言はわたしに実際、大きなきっかけを与えました。

でもこれがなくても結局は今の自分にたどり着いたような気もするし(感覚でしかありませんが)

もう少し踏み込んで不思議なこと言うと、そういうきっかけをくれるように自分自身で仕向けたのかもしれません、自分の潜在意識が

兎にも角にも一番重要なことは、自分が今の自分を結構気に入っているということでして

自由に人を好きになれる自分をいいねって思えているってことです。

小学校に入って僕がどうなるのかは、また後日別記事にしますね。

なんだか人生には不思議な、偶然のような必然のような〝流れ〟ってありますよね。そんな私の流れを無理やり捻じ曲げなかったその当時の保育園や両親の在り方に、私は今すごく良いなと思っているんですよね。

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