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ミラノサンド

この冬、この街を彼女が去る。

とだけ聞くと、さも重大で深刻そうにきこえるが、一言で言えば一人暮らしを始めるだけだ。
私はかつての仲間たちが今どのように過ごしているのか、まるで1人だけ電波の届かないアマゾンにいるかのようにさっぱり知らない。もしかしたら同じ国にいないのかもしれないな。
それだけに成人した人間が一人暮らしを始めるなんてことは、まったくもって不思議なことではなく、むしろ当然のことなのだ。

でも、私はあまりにも彼女とこの街で過ごしすぎた、と思った。

彼女と出会ったのは幼稚園であるはずだけど、お互い特に触れ合った記憶がなく、おそらく別の交友関係をそれぞれ築いていたのだろうと思う。そんな関係は小学校に上がっても続き、名前はしっている、けど特に話したことはないといった感じだった。
しかし、6年生になる頃にはいつも隣りにいた。
はて、それまでに何があったのか、今ではほとんど覚えていないが、お互い引っ越しを経験して同じ方面に帰ることになり、その中で共通の友人を通して仲良くなったのだと思う。たぶん。
それから中学ではクラスや部活が違っても、なるべく一緒にいた。お互いの間には特になかったけど、私たちの周りではいろんなことがあった。それについて、ああでもないこうでもないと寒い冬、かたや生足で鼻を真っ赤にしながら語り合ったりもした。

いつから彼女を自分の”友人"というカテゴリーの中で、特別に思うようになったのか、あまり詳しく覚えていない。私たちは大きな喧嘩をしたことがないし、「一生親友だよ!」なんてすぐに「絶交」を迎える小学生のようなやりとりもしたことがない。
ただ覚えているのは、中学卒業間際に私がみんなの乗る列車から降りたこと(本当は降りざるを得なかった)。これからどうすればいいのか、私はどうなるのか、おそらくこれが人生でもっとも苦しい時期であったと信じたい出来事があった。そんな状態の私に言葉をかけるのは難しく思ったのだろう、次第に友人たちは連絡をとらなくなっていった。寂しかったけど、当然だと思う。
そんな中で自身も社会人という道を選び、私には想像もつかないほどの不安や辛さがあっただろう彼女は、今も私と連絡を取り合ってくれている。ただひとりの存在。

そんな彼女がこの街を去ることになった。
以前から聞いていた親子関係がうまくいかなくなってしまったそうだ。
初めて聞いたとき、単純に新しい扉を開くのだな、今がそのときなのだなと思った。
応援したいと思った。家事も、料理もできるって聞いたことないけど、頑張ってほしいと思った。

だけど、彼女が去ると聞いてから、街の景色が急にうつくしく思えた。
いつも待ち合わせする本屋の前、お茶をするいつものカフェ、買い物をするお決まりのスーパー、線路にそってまっすぐ進む道、80段以上あるであろう階段、黄色い壁の家、毎日通った通学路、(あれは高校受験だったかな)一緒に祈願しにいった街の神社、当時好きだった人に告白した路地裏、毎年行った夏祭りの会場、つまんない公園、階段の上から見下ろす街の景色。
全部、何度も何度も見た景色なのに、そのどこにも彼女がいた。
「ここで会うの今日が最後?」って聞いたら「そうだよ。でも電車で行って会える距離だよ」って言われて「そうだよね」って返したけど、本当は鼻の奥がつーんとしていた。鼻をすすってもばれない寒い日で良かったと思う。

彼女がこれから暮らす家はとても居心地が良さそうだった。
陽の光がたっぷり入って、あたたかそう。
毎回言う「彼氏」もつくって、その部屋で私が悔しく思うほど、幸せになってほしいと強く思った。

たぶん、彼女の両親や妹はきっと彼女を寂しく思うのだから、私ぐらいは毅然としていようと思っていたんだ。

でも、だめだ。やっぱりさみしいよ。