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すき、の端くれのようなもの

玉森さんの30歳誕生日には、初めてファンレターだそうと心に決めていたものの、いざ書こうと思ったら一行も思いつかなくて、「お誕生日おめでとうございます」をメモに残してからその後がかけないまま何ヶ月も経ちました。

もう一行書くか、3万字書くかみたいな重さだったので、自分のメンタルヘルスのためにも本物の手紙はシンプルにまとめて濃縮度317%の気持ちを短い文の中に詰め込むことにしました。だって玉森さん、実際に読んでる読んでないに関わらず、どう考えても長ったらしい手紙嫌いそうじゃないですか?だから、そこからはみ出た膨大な量の気持ちをこちらにつづることにしました。供養。

はー、きんちょうする。
はー、なにかけばいいんだか。

いつかちゃんと語りたいと思ってたけど、初めてオタク特有のブログを書くこともあり緊張するので、ここから先はいつもの愛称で呼ばせてください。

"たまへ"

私はずっとじゃにーずあんちでした。何がかっこいいのか、何が良くてそんなにみんな夢中になるのか、生まれてから10年以上わからぬまま二次元的な時空間にのめり込む日々を過ごしてました。
"人は必要なときに人と出会う"とよく言いますが、本当にそうなのだなと最近すごく実感します。

私がはじめてたまのことを"玉森裕太"という人なのだと認識したのは、今から7年前の3月ごろだったと思う、たぶん。
その頃たまは23歳、私はその9つ下で、これ以上ないであろう(ないと願いたい)人生のどん底にいました。

何でもない中学生だった私はある病を発症していて、いつまでも変わらないと思っていた私の世界は当たり前が当たり前じゃない世界になりました。自分の思い通りにならない不自由な現実の中で、何日も笑うことなく過ごしていたある日何気なく見ていた某動画サイトの関連動画にあなたの姿を見つけました。ふにゃふにゃ笑うたまの姿を今でも鮮明に思い出す。

カラオケボックスの中で女性にキスしようとしている自分の姿を見つめながら、どんな表情で見たらいいのか分からないような顔をしていたのが、どうしてもおかしくって、久しぶりに声を出して笑ったのを覚えています。
そこから"Kis-My-Ft2"を認識し、7人全員の名前、メンバーカラー、持ち歌、すべてを覚えるまで毎日たくさんたくさん調べた。昔のギラギラした姿を見て一瞬ぎょっとしつつも、生命力溢れるエネルギッシュな姿に眩しさすら感じた。

何度も歩いたことのある道を歩くことすら、初めてのことのように心拍数が飛び上がって息苦しくなるような身体のおかしさの中で、必死にあなたのことを考えて渡った道の数々を思い出します。別にその先であなたが手を振って待ってるわけじゃないけど、そう思うことで小さな一歩が踏み出せたのです。

なんとか頑張って、時々取り繕って学校に行っていた春を乗り越えて、その頃全てを注いでいた部活の最後の大会が夏に終わり、私はもう本当に外へ出られなくなりました。身も心も限界でした。家族以外の誰ともほとんど会話をせず関わらず、何日外の空気を吸っていないのか。私の気づかないところで季節は変わり、青々としていた葉は私の知らない場所へ舞っていく。そんな日々の繰り返しで、いつ寝ていつ起きて、いつ私は生きてるのかわからなくなっていました。時には寝るのが怖くて仕方ない日もあった。このまま目を閉じて、次に目を開けた時また同じ日が繰り返させるのだと思うと怖くてたまらなかった。それでもおまじないのように、イヤホンを耳にさしてたまの声を聴いてねむって、また目を覚ました。明日、またあなたが笑いかける日を夢みて。
漠然とこの世界からログアウトしたいと本気で思う日々もありました。しにたいんじゃなくて、ログアウトしたい。ずるい考えだってわかってても、やっぱり生きていたいし、しぬのこわいから。ゲームみたいにログアウトして少し休憩したら、またログインして再開できないかなって。そんなことを考えながら何時間も窓の外を眺める日もありました。きっと飛び立つことを夢見ていたのでしょう。そしてまた良からぬ方へ気持ちが向かってる、と気づくとあなたの歌を再生するのでした。

たまにとって、きっとその頃が1番忙しい時期だったんじゃないかな?と思います。ドラマにコンサートに、またドラマに舞台。たった1人の人がやってると思えないほどの仕事の量で、時々ふっと消えてしまうんじゃないかと思うような姿に、苦い気持ちを抱きつつも、家のベッドの上で何もせず24時間経過する私にとってはすこし羨ましさがありました。まるで私も一緒になって忙しくしてるような、乗り越えてるような、そんな気持ち。

そこから今までのことを書くとさすがに長くなってしまうので割愛しますが、今もこうして文字を綴ってる私がいるのは絶対に、ぜったいにあなたの存在があったからです。私自身に何の言葉をかけるわけでもなく、1日、また1日と前へ進む姿を見せてくれたから。でもそれをたまは知らなくていいなとも思うのです。私はできるだけ、あなたの呪いになりたくないから。

私にとって今までは「明日を生きる希望」だった。たまが笑う日には一緒に笑えるように、たまが泣く日には一緒に泣けるように、今宵も眠る日々。安心して明日目を開けられるように、祈りを込めて。
でも今は、きっとこれからは、「明日も生きてその先を見つめる存在」だなと思う。いろんなところに興味をそそられ、ふらふら行ってしまう私だけど、それはきっと帰ってくる場所があるからできるのだと思う。

たまのこと、最近はおおきな木のように思う。ものすごい雨風が近くを通っていても木々の中に小さな命たちを守りながらじっとただ耐え忍んで、次の日眩いほどの太陽が差し込むと鳥が飛び立ち人々が心地よさを求めて寄り掛かりにくるような。誰かの泣く場所、誰かの愛を伝える場所、誰かの願いを唱える場所、誰かの祈りを聞く場所、誰かのお昼寝を見守る場所。そして私の帰ってくる場所で、またどこかへ行くための場所。
そのおおきな木が明日もそこにいる意味に、ほんの少しでもなれたら、なんておこがましいことを考えてしまうよ。

たまに「ずっと笑顔だけがありますように」と思うのも私の本当の願いだけどそれもやっぱりなんだか違うなあと思うから、もしもあなたが泣くような日があっても、あなたが自分の心を慰めるとき、誰かを想って涙するとき、私も同じように泣けたらいいなって思う。辛いこと、苦しいことを少しもわけてくれない人だけど、そのときは私にも角砂糖一個分は分けてほしいな。
その角砂糖を苦い珈琲の海にでもおっこどして、ぐるぐるかき混ぜてしまおうよ。顔をゆがめながら、少ししょっぱくて甘いのを一緒に飲み干せたらいいなと割と本気で思う。

もう前置き長すぎたね。
30歳のお誕生日おめでとう。

30歳になっても変わらないものがあり、30歳になって変わるものもあるだろう。でもその中の変わらないものたちがきっと明日も変わらないでいますように。あなたが笑顔を見せるとき、何の迷いも恐れもなく、ただくしゃくしゃに笑えますように。
愛する人が当たり前に隣にいる日々が永遠と流れる時間の中に確かに存在しますように。

少し前まで、やさしさで伝えられた「大丈夫」という言葉でさえも恐怖を感じていた私だけど、今は私の身とこころをもってあなたに伝えられる、すこし無責任ですこしわがままな「大丈夫」という言葉。

あなたの夜がいつまでも大丈夫でありますように。
明日もきっと愛してます。

はー、おも。もうぜったいかかない。