やわらかなプリキュア願望

来週、美容院に行く。
今年の夏は外に出れば生卵も勝手にゆで卵になるような暑さだったので、美容院に行けず、自分で前髪を切りながら騙し騙しやってきた。

ちょうど、今は不恰好なポニーテールができるようになってきた。なんとか高い位置でくくって、後れ毛がふさーっと出てくるような不完成度ではある。しかし、私は長年ショートカットで、肩につくほど伸ばしたのは数えるほどである。
なんどか1つ結びにできるほど伸ばしてはいるものの、一度もポニーテールにだけはしたことがなかった。

なぜだろうか?

私はさっきも言った通り、ショートカットがトレードマークだ(と自分では思っている)。
幼稚園の頃から今まで、ほとんどの写真にはショートカットって写っている。どの写真も笑っている。私は自分がショートカットでいることに対して、似合っていると自信を持っているし、はつらつとした自分の性格にも合っていると思っている。
だけど、もし生まれ変わるなら艶やかな黒髪のロングヘアの女の子になりたい。いや、厳密にいえば私が辛抱すればその姿に近づくことはできるだろう。だけど、私はきっとその前に飽きて切ってしまう。だけど、確実に私の中にそういった憧れがあるということは事実なのだ。

初代プリキュアが放送されてから15年も経ったらしい。私はあの頃、とても大好きだった。イベントにも行った。今で言うコスプレのような衣装も買ってもらった。
今までの話を聞いたあなたなら、私が好きだったのはショートカットではつらつとした印象の美墨なぎさだと思うだろう。
でも当時私が好きだったのは黒髪のロングヘアである雪城ほのかだった。
私は水色が好きで、白と水色の衣装を買ってもらって飛び跳ねるほど喜んだ。
私はほのかちゃんみたいになるんだって。

そこから私の憧れは始まったのかもしれない。だけど、徐々に私のアイデンティティが確立されることによって、私は「ほのか」ではなく「なぎさ」になった方が"生きやすい"のかもしれないと気づき始めてきた。
そうやってはつらつと活発なイメージで生きてた方がみんな喜ぶ。

そうやって、今までずーっと生きてきた。けれども、私は最近ようやく気付いたのである。
私は「ほのか」にも「なぎさ」にもなりきれなくて、繊細でみんなが幸せであることを願い、人からの愛を求める人間として生きてきたことを。
ショートカットであること、髪が長くなったことにおいて私の性格全てが形成されてるわけではないと思う。
だけど、確かにショートカットで男子と仲良くして女子に敵を作るのは疲れた。下手にぶりっ子をするよりも、ずっと大きな敵を作る。
男子とだけ仲良くしていたわけではないけど、自然と仲良くなることに敵意を持たれて、それでもボーイッシュな女の子でいるのは私には合わなかった。
私はただひたむきに、性別にとらわれず仲良くなりたいだけだった。

私はこの歳になり、ようやく自分というものが分かり始めたように思う。
どこかでずっと私が自分らしくなることを恐れていた。いや、嫌っていたのかもしれない。その場に応じて自分を変えた方が上手くいくような世界でしか私は生きていなかったのかもしれない。
本当は純粋に時には「ほのか」のように優しくほほえみ、時には「なぎさ」のように活発で元気を与えるような存在になりたいだけだった。
私はポニーテールをすることを含めて、自分を「ボーイッシュ」というカテゴリーに当てはめることをやめた。女性らしい「フェミニン」な装いも、紳士らしい「マニッシュ」や「トラッド」、目を惹く「ガーリー」な要素も自分が好きなら全部受け入れた。
そうすることで肩がすっと軽くなった。誰から言われたわけでもないけれど、様々な呪いをかけられていた、いや自らかけていたのだと思う。

私だけでなく、特に女性は容姿などをいろんな方面で無自覚なまま評価される。そして自分のアイデンティティが確立される頃にはたくさんの呪いが彼女たちを蝕んでいる。その呪いをかけた邪悪は案外近くにいたりする。
きっと今まで人は無自覚に呪いをかけてきた。そして時に呪いに気付かぬまま、それが自分自身なのだと思い込み最期まで生きる。
そう思うと、私はまた1つ自分の呪いを解くことが出来たのかもしれない。

秋の装いが本格的にできるまで、あともう少し。
私は不恰好なポニーテールに大きめのパールのイヤリングというバランスを、もう少し楽しみたいと思う。