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diary

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つらつらと、何があるわけでもなく
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2019年9月の記事一覧

2019.09.06

自分が思う良いところも悪いところも、いろんな私があって、ひとつずつ面が増えていって、いつかまあるい球体みたいになるのかな。それが"わたし"で、そこに良いも悪いもなくて、"ただある"ということだけ。 今の私は、今の自分にとってのテリトリー外で生きていけるのだろうか。 それに挑戦しないのは、なんかんだがんばってしまう私がまた身体を壊すかもしれないという不安から? 「人生100年時代」と言うけれど、今20歳の私がどこかに5年勤めて身体を壊し、また5、6年療養していたとしても30

2019.09.04

最近、「自分が本当に病気を治したいのか」というところで素直に「はい」と言えないような気がする。 前に京都旅行で清水寺に行った際におもかる石を持ち上げたら、とても重たかった。持ち上げるには相当な力が必要だと感じたけど、前に並んでた小学生は軽々と持ちあげていた。願い事を叶えられる場合は軽くて、反対の場合は重いという石が、"重く"思えた私はもちろん「病気は治りますか?」と聞いて持ち上げたのだった。つまり、そう簡単には治らないというお告げになるわけだけど、その時は「えー治らないの〜こ

2019.09.11

ふと「何のためにこれをやるのか?」ということを考えた時、"経験を無駄にしないため"って浮かんだけど、それと同時に"そのことに縛られすぎてない?"とも思った。 私は病気の経験を無駄にしたくない、その経験を生かして...とか今まで思ってたんだけど、それを考えれば考えるほどそこから抜け出ることができない気がしていて、私の周りにぐるぐるとその"辛い経験"が飛び交ってて、隙間から見える先を見てなんとか歩いてるっていうイメージ。 辛いことや挫折を経験した人は何かそれをプラスに考えたい、意

2019.09.08

なんか50代60代になって結婚もしなくて子どももいなくてっていう生活していても、顔を合わせると嬉しい友人と時々お茶とかできればそれでいいかなあって思ってしまった。 キャリアが重視される世の中だけど、それだけが物差しになるのは少し窮屈な気がする。 お部屋の荷物も、20歳のいま、無理してすっからかんにしなくてもいい気がする。そこまで、"分別"つけて、"達観"してしまうと人生の面白みにかけるというか。 少し前までは自分の実年齢よりも、急速に老けていく思考に悲しむ一方で、なんだか周り