発達障害の検査を受けたら複雑性PTSDと診断された

誰かのためではなく自分の気持ちを整理するために書いたものなので読みづらい点などたくさんあると思われます。


そろそろそんなつもりなく人様に迷惑をかけ続ける自分の性質に手を打たなければならないと一念発起して心療内科への通院を決めたのは今年の六月頃のことだった。
その前に地元の発達障害相談窓口へ行き話を聞いてもらい、大人の発達障害検査を行っているクリニックを教えてもらった。
その中から家から通いやすそうな心療内科を選んで電話をかけ、予約が取れたのは二週間ほど後のことだったと思う。

十代の頃、わたしは児童精神科へ通っていた。当時はそういったところへ通院していることが恥ずかしく思え、診察のときもあまり話そうとしなかった。
大丈夫です、元気です、とだけ答えていたように思う。
一度、処方されていた睡眠薬をオーバードーズして酩酊状態になった。死にたいというよりはいつまでも眠っていたかったのだ。
だけど、そのことを病院で報告はしなかった。
通院を続けるうちに月日は流れ、二十歳になった頃。
通院のたびに児童精神科ということもあり恐らく発達障害のために通われている小さなお子さんとお母さんが待合室に何組もおり、自分がどちらかというとそのお母さんのほうと歳が近いであろうことが気にかかってしまい、勝手に通院をやめてしまった。
当時処方されていた薬の断薬には離脱症状があり、しばらくの間苦しい思いをしたものの、通院をしたくないという気持ちのほうが遥かに強かった。

そこから月日は流れ、今のわたしは三十代半ばとなった。若い頃よりは経験を積み、仕事ができるほうではないにせよどうにか働いていた。
若い頃にあった心療内科へ通うことに対する恥ずかしいという感情はすでになくなっていた。
予約を入れた心療内科へ足を踏み入れると待合室には大人しかおらず、自分はここへ患者として通ってもいいのだと安堵した。
問診を書き、まずは心理士の方との面談。今現在のことや過去のことを話しているうちに、「つらかったんですね」と言われた。
わたしはその言葉にとんでもない違和感を覚えた。
もしわたしがつらいと感じていたのだとしてもそんなことに焦点を当てる必要などない。そんなことよりも周りの人に自分のせいで嫌な思いをしてほしくない。もしわたしがつらいと感じていたのだとしても周りのほうがわたしのせいでよっぽどつらい思いをしている。
そう思ったものの、この人とは初めて会ったのだからわたしがいかに最低なのかがわかるはずなどないのだからとそんなことは言わなかった。
そのあとはドクターとの診察。過去のことを聞かれ、それに答えていくものの、発達障害には当てはまらないのでは、というような反応であった。
わたしは発達障害などではなくただのクズでどうしようもないやつなんだ、それならそれで早くそう言ってくれと思いながらその日は終了。次回より心理検査を受けることとなった。

そこからまた二週間ほど経ち、一度目の心理検査を受ける。ネット上にあるような診断のもっと長い版のようなものに答え、心理士の方に尋ねられるままに子供の頃のことを答える。
この心理士の方は前回とは別の方だ。
子供の頃はコミュニケーションが苦手なことから友達がおらず、仕事で忙しい両親ともあまりコミュニケーションを取れていなかった。
小学生の頃は発熱をしても看病をしてもらえることなく家に一人でいて氷枕で眠り、教育テレビを見るだけ。
学校の持ち物の忘れ物は多いほうではなかったが、家の鍵を忘れて学校に行き、友達もいないため家の前で座り込んで夜にならないと帰ってこない母を待つことが何度かあった。一日のほとんどが一人だった。
五年生の頃、特に大きな出来事があったわけではないが自分のことが嫌になり自殺を図る。
いつの頃からかわたしの頭の中にはもう一人の自分がいる。自分自身と共に成長してきた、もう一人の自分だ。その自分はとにかく喋り続けており、趣味で漫画を描いたりしている自分によくアイデアをくれる。
そのような話をしたところ、心理士の方からはつらかったでしょう、もう一人は今までのつらい思いを引き受けてくれる存在だから寝る前にでもお疲れ様と言ってあげてください、と言われた。
やはり今回もわたしはどう思えばいいのかがわからなかった。

そこから三週間ほど経ち、二度目の心理検査の日がやってきた。検査を受ける心づもりでいたわたしの前に心理士の方が差し出したのはトラウマに関する本であった。
発達障害ではなく、複雑性PTSDという精神疾患ではないかとのことであった。
本当につらいことは自分自身を守るために脳が記憶から消してしまうものの、本当に消えたわけではないためにいろんな影響が出てくる。そして自責の念が強かったり、コミュニケーションを取ることが難しかったり、発達障害に似た症状や解離症状が出るとのことであった。
いわゆるPTSDは一度のつらい出来事によって起こるが、複雑性PTSDは虐待や戦争、拷問などの継続的なつらい出来事のために起こるらしい。
確かにわたしは両親とコミュニケーションをあまり取ることがないまま大人になってしまったものの、いわゆる虐待を受けた記憶はなかった。一人で家にいたといっても食事は用意されていた。そして、どちらかというと裕福なほうであり、金銭的に困ったこともなく行きたい学校へ行かせてもらい、習い事をさせてもらっていた。
だが、わたしは完全に望まれて生まれてきた子供ではなかった。両親の結婚前にできた子供であり、祖父から堕胎の話があったことを聞かされている。
そのため、つらいことが継続的に起きていたとしても何ら不思議ではない。
そしてあまりにも自分にとって当たり前のことでクリニックで言い忘れたままになっているが、幼い頃より解離症状がある。夢の中にいるような感覚が三十年以上続き、時折後頭部のあたりにもう一人の自分がいて自分自身を見下ろしているような感覚があったり、自分が自分の身体から出ていくような感覚に襲われ、怖くなってしまうことがある。
心理士の方から本のページをめくりながら解説を受け、徐々に確かに自分はそうではないかと受け入れ始めた。

そこから数日経ち、病院で見せてもらったものと同じ本を電子書籍で購入した。改めて読み直してみると思い当たる節があまりにも多い。
別の疾患ではと見抜いてくださった心理士さんとドクターにはとても感謝をしている。
恐らく今後はトラウマに関する治療を行っていくのだろう。かなりの時間がかかるであろうことは予想されるものの、どうにかして少しでも自分についての困りごとについてマシになっていけばいいと思っている。

この間までアンメットを見ていたので、まさに「記憶はなくなっても心は覚えてる」だ!と思ってちょっとだけ楽しくなっている。

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