熱情、定期的な気付けに

好き、憧れる、追い続けている、愛している、惚れている、恋している、焦がれている、敬愛している、尊敬している、畏怖している、崇めている…
それを、これを、あれを、だれを、かれを…

アタマが、モヤつく。いっぱいになる。眼が見えていても、見えなくなりそう。追ってしまう、見えなくなる。胸がぎゅうっとなる。それでいて爆発しそうにもなる。鼓動が早くなる、そのうち壊れたボレロのようにも鳴る。足が止まる。でも、どこまでも追いかけて、いつまでも走り続けられるような気がする。

夢か、現実か。嘘か、真実か。

なんでも、なんでも構わないのだけれど。人が熱を持って、なにかに熱情を向ける時、俺の心はガラガラにガクガクと揺り動かされる。身が震える。自分の目が輝くのが分かる。素敵だ。ある種の執着、執心、人が何かに縋る姿は、筋を通す姿は、何て素敵なんだと。素晴らしいのかと。

誰かに自分もこんな風になりたい、そう思わせる事が出来たのなら。
人は人を励ますことができる。勇気を与えることもできる。与えたであろう本人にその自覚はなくとも。そして、それが受信者の大いなる深読みと、御都合主義でお気楽な、あるいは悲観的な勘違いだとしても。それはつまり、ある種の副産物でしかない。

ある人は異性のアイドルに人としての憧れのカタチを見出していた。
ある人は一頭の馬の鮮烈な勝ち脚に夢を与えられていた。
ある人は芸術家の作品に没入して、音沙汰もなくなった。

おもしろく、おもしろく明るく生きよう。くだらなく、くだらなく笑い転げて生きよう。どうしようもなく、ニコニコしながら、自分のことも他人のことも面白がって、矛盾に前転後転して、たまにはボロボロになって泣いて。どこまでも客観視と、当事者意識をハードに受け身とってさ。精いっぱい、今と、これからを、やるしかないんだから。

中火から強火に燃えて、熱を持って生きる。死んで冷たくなる前に、燃やされて骨と灰になる前に、これからは燃えて、熱くなるよ。誰かに、熱をプレゼントできるように、火を点けられるように、頑張るよ。燻りすらしていなかったけれど、腹を括って、燃えるよ。真っ当な爛々とした赤い火で。

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