ナチュラリスト

およそ、運に尽きる。住む場所によって年収は変わるそうだ。優れた営業マンになるならたまたま当たりの客をもらってた人から引き継ぐことだ。機会の平等はそれなりだ。憲法で経済活動の自由は保障されている。ところでアラブの方では他人に褒められたもの、欲しいと言われたものはあげるという風習があるそうだ。瞳力という、ある種の呪いに近いからそれを祓うためだそうだ。他の宗教でもお布施、寄付、喜捨などがある。お金は今の世の中ではとても大切なケガレである。おおよそのラッキーはケガレと共に。どこかで帳尻が合わされそう。ラッキーな反動や、揺り戻しが身に降りかかりそう。そう感じているのかも?もしくは海外ファンドのアルゴリズムのように織り込み済みの動きをしているのかもしれない。

死んだ原発はイェルサレムになるのなら、誰が彼らの心を救うのか、誰が我らの心を救うのか。
放射線生物実験よりも、継続的な賠償金マネーが与える影響の経済実験のような側面。
妬まれ、恨まれ、狡いと思われる。そこにいたか、いなかったか。それこそ、もっと派手に原発は燃え盛って、フッと爆発してしまえば。東京電力の原発だけが爆発したのは織り込み済み?名称が東京原発1号機だったなら?女川原発も爆発していたら?只見の水力発電所と鉄橋は?

なんでも身近にあるものに人生を括って例えていくことは多くの誤ちを犯す。人生に、人の命、人の営みは汎用的では無い。
国家の興亡と人の生き死にのライフサイクルを同視してはならない。
国家の財政は人間の暮らしの家計とは同視してはならない。
なんにでもお金で換算して考えて見せるのは悪いクセだ。

明日は晴れるか、雨が降るか、もうすぐ嵐が来るか、今の季節はどの風向きで吹くか、この水源はどの流れか、これは食べられるか、、、
スマホのようなデジタルな板の仕組みを知るよりもずっと、それを考えて知っていることの方が簡単だ。いざという時は。自然的な因数分解とか蓄積されてきたものと。

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