サテンにいるシリーズ

ツイッターでフォローしてる人が喫茶店で一服してるツイートを真似っこしてやってるんだけど、大分麦焼酎二階堂のニュアンスを入れたくて、喫茶店行って思いつくたびにツイートしてしまう。みんなもやりましょう。大分麦焼酎二階堂。

サテンにいる。何かを得るためには何かを失う覚悟がいる。タバコの臭いを一身に受ける覚悟を決めて喫煙ルームに入る。汚れてはいるが、広くて静かな場所を俺はそこで手に入る。さながら工業港湾を泳ぐボラ、街中を流れる川を泳ぐノゴイ。ぼんやりとカフェラテという冷たい泥水を啜る。

サテンにいる。かつて離れた街に再会する。賑やかな、ともすれば喧騒の、お気に入りの喫茶店で。思い出が沢山詰まったこの場所で私は深煎のブレンドコーヒーと鼻をすすっていた。そこで水面に腑抜けた自分を見つけた。私はミルクを注ぎ入れ、なにか誤魔化すかのように、かき混ぜたのだった。

サテンにいる。マンデリンとピスタチオのケーキを頼んだ。普段見る姿と見違えるほどに美しく化けるのは、女もピスタチオも同じなのだろうか。みどりちゃん、お元気ですか。あれだけ息巻いて出て行った街に、僕は懲りずにまた戻ってきました。みどりちゃん、お元気ですか…

サテンにいる。社会人生活というものは最初の配牌が全てなのだろうか。否、そんなことはないはずだ。こんなにも、こんなにも苦杯を呷る俺たちにこそ幸せよ、来たれ。俺たちの人生にこそ報われる時よ、来たれ。コーヒーポットに映る三人の拳よ。友よ、また逢う日まで。

サテンにいる。桜が鮮やかに咲いてみんな浮かれているというのに、僕ときたらここでブルーマウンテンとにらめっこをしている。平成が終わり、令和に時代は移りゆくなかでも桜が咲いて季節は巡る。植樹は建物を建てるのと同じ行為だ。桜もまた人の一部であり、人が絶えれば荒れる空き家と同じなのだ。

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