人気馬の矜持

君は競馬を生で観たことがあるか。馬はただただ走るのみの生き物だが、しかしながら競馬ウマのことを我々競馬ファンはしばしば違う生き物のように捉えてしまう。
パドックのボロと馬の匂い、馬の息遣い、蹄鉄の音。ターフや砂の上を一生懸命に走る、または騎手をバカにしたように走る馬もいる。
発馬機のゲートが開いた音などは競馬狂からすれば、その瞬間から脳内麻薬が溢れ出てくるのだ。
そして君は知る、"パカラパカラ"などという走馬の擬音などは全くの嘘偽りであるということを。
彼らのずっと猛々しく勇壮で、力強く、地響きとなってゴールに向かってくるサマを君は観る。聴く。空気の震えに触れる。鞭の音の実際の重い音。君は固く口を結びじっくりと息を呑むだろうか。それとも身体の奥底から出てくる思いのたけを叫ぶだろうか。四肢をめいっぱい伸ばし、人を乗せて、滑空する彼らは美しい。きょうそう曲。震える空気の壁に突き進む、どんな天気でもこの大空の下で駆け抜ける短い命を君はどう感じるか。

人気馬はたくさん希望と、そしてそれよりずっと重い人間の負の情念をして、定量よりもハンデをずっと背負って駆ける。掛からず、寄れず、刺さらずに。
それで勝ち切る、それも圧勝する、それでこそ人気馬なのだ。人気馬とは器の大きさで決まる。我々の全てを載せて溢れさせることなく、翔ぶ馬。
それこそが、人気馬の矜持なのだ。

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