クルマとワタシ

僕が敬愛してやまない大泉洋さんのエッセイに"僕と八五郎"というタイトルがある。今回はそれに触発されたものだ。ほかに自動車に関するエッセイでパッと思いつくのはJAFに載ってるユーミンのダンナのエッセイが浮かんできたが、なんというかあれは鼻持ちならんというか、ダンチュウのレシピみたいで僕にはボンヤリしてしまって。でもトップ・ギアでお馴染みジェレミークラークソンのレビューは好きだ(トップギア字幕調の、気が利いた翻訳だからこそではあるが)。僕の無教養甚だしい偏見だけど、エッセイ書いているような人って最近はクルマ乗るところか、もってさえいないんじゃないかな?って思う。羽田圭介さんはベストカーのエッセイで買う!ってやってた気がする。それなりに売れてる作家さんなら流石に持ってるのかな。

いつだったか、無機質なモノのなかでクルマやバイクだけが愛車と呼ばれていて、なんなら車名とは別に名前をつけて呼んであげるもんなんだぜ、みたいな話がツイッターで流れていったのを思い出した。もちろんそのほかに愛とつくメカを持ってる方もいるとは思うが。

僕は何事よりも他人の語るモノに付随した思い出を聴く時ほど、笑顔を隠せない時はないかもしれない。おぎやはぎの愛車遍歴とかね。

僕の父親はオンナは母親一筋(であってほしいが)でもクルマは両手の指いっぱいは乗り換えているクルマビンボーだ。そしてクルマが好きだ。僕もそうだ。実家に帰ってきてから父親と同じ道を通って通勤するようになったが平気で月間1500キロは走るわけでそりゃ昔のクルマだし壊れるから乗り換えるって言うわと納得。

僕は新車に乗ったことがない。今のクルマのデザインも、もちろん良いと思う。流行のデザインの新車といざ並べて比べると僕の愛車の古ぼけさを自覚させられる。そもそも僕は懐古趣味なのかもしれない。中二の頃に洋楽にはまって、そもそもへそ曲がりというのもある。

クルマ離れとは言うけど、僕の周りの友人たちはやっぱり友人がクルマを買い換えたりするとみんな子供みたいにウキウキしてしまう。いくら生活のためとはいえそれなりにお金を入れなきゃならんものだから、選ぶことには慎重にそしてこだわる。ましてや、ろくすっぽ金のねえ田舎の若者だから。でも通勤時間って過ごす時間、バカにならないからね。でもねいくらアリストが型落ち車だからって当時最高クラスの高級セダンなわけでね。最期のシルキーシックス2JZGTEの静粛性ったら、少なくともV6載っけてるクラウンより静か。あれ乗ったら社用車とか乗れないすよ。クラウンがスタンダードの警察官、うらやましいな。乗りたくはないけど。

八五郎は最後廃車になったそうだけど、僕のキューブはアリストを買ったクルマ屋の代車として使ってもらっていて、点検の度に元サヤというかなんというか気恥ずかしい気持ちになる。そしてアリストが機嫌を損ねて余計に壊れないか心配しながら家路につく。僕も父親と同じで次に乗るクルマのことを考えながら。キューブは前オーナーがギャル。たぶん。ナビに彼氏の家と親友の女の子の家の履歴が残ってたし。灰皿付近に根性焼き。買った時にヤニ臭がハンパなかった。

ふと好きな車の話をしてて思ったけど結局俺はアジアンでしか抜けねえなあって感じるのと同じかも。そうクルマも。ニュルとかルマンに出てくるようなGT3スーパーカーはそらカッコいいとは思うんだけど、なんか違うんだよな。身近じゃなさすぎる。あまりにも。だからこそなんだけど。フェラーリモデナ、ランボルギーニディアブロよりもホンダNSXだし、日産フェアレディZ32だなあ。

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