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007のラストシーンに思いを馳せて (ネタバレ含む)

映画007 No Time To Die について、後からじわじわっと理解した恐さを書いてみます。

私は007シリーズに特別強い思い入れがあるわけでも詳しいわけでもないのですが、007とM:Iとコナンは、なんだかんだ毎回観ているような気がします。


さて今回、主演ダニエル・クレイグ最後のボンド回だったわけですが、終盤で能面の男と対決した後、放たれたミサイルが刻一刻と近づく例の島から逃げ出すこともなく、彼は命を落とすわけですね。

映画の最後としてはベタな締めだし、わからなくはない展開です。
でも観た当初の自分は、

いやでも死ぬことないやん、近づけないし触れられないのはたしかに絶望やけど、テレビ電話とか今はあるしお互い生きてるだけでも救いなんちゃうん?残される彼女らを考えたときにそれが本当に最善の選択やったんかね?
「死ぬのがかっこいい」みたいな古典的価値観に無理に落とし込みすぎやで。

みたいなこと考えてました。
※007シリーズは主演が変わるとき毎回うんぬん~~みたいなのがあるのかもしれませんが、その辺は疎いので棚に上げておきます。


でも、よくよく考えたらバカでした。違いました。。

ヤツを体内に保持した自分が生きて活動していることこそが、最愛の人にとっての最大の脅威となることに、しばらく経ってから気が付きました。


Jamesが最後の対決で浴びてしまったヤツは、人間同士の肌の接触で人体から人体へどんどん拡散していきます。
劇中のシーンから推測すると、液体や気体に混ざって人体に侵入することもできる。
家畜や鳥・魚など、動物の体を経由した拡散も十分考えられます。

仮に動物経由の拡散が起きないとしても、日常生活・ビジネス・医療・介護・・・
人生のあらゆる場面で、人は能動的あるいは偶発的に他人と触れ合います。

つまり山奥に籠って仙人みたいな極限の生活をしない限り、自分の体内から飛び出したヤツがグローバリゼーションの波に乗って、最愛の人に着実に忍び寄るわけです。
たぶん1年もあれば十分じゃないでしょうか。


だからその確率を限りなくゼロに近づけるためには、今この場で死ぬという選択をするしかなかったのだろう。
そう考えると、今さらながら胸が張り裂けそうになります。


そして同時に、アレは最‘凶’で最‘狂’で最‘恐’の兵器だということがよくわかります。
たとえ一発で仕留められなかったとしても、遅かれ早かれ標的にたどり着き、周囲を巻き添えにすることなく設定した標的だけを静かに確実に仕留めてしまうのですから。

ほんと恐ろしい。。


'21/12/19 最終更新

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