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BAD END

「神回」という言葉がいつの間にか一般的になっていた。

TVアニメなんかだと、最近では12〜3話でワンクールひと作品として区切られることが多いが、自分が子供の頃は1年や2年に渡って毎週のように放映され続けるものの方が多かった。

いわゆるリミテッドフィルムなんて呼び方をされるやつで、例えばセーラーな戦士たちが変身するシーンであるとか、機動戦士が行きまーすシーン、アンパン頭が体罰で分からせてやるシーンなど、ある程度使い回しの出来るシーンで尺を稼ぐことによって、毎週の放映という地獄の制作進行になんとか付いて行くという、日本TVアニメが生み出した技の一つだったりする。

これを「なんだ、使い回しじゃん」と思わず「ヨッ!待ってました!」と合いの手さえ入れてしまえる性質を持ち得たのは自分の幸せな部分なのかもしれない。

こういった恒常的に創られる、垂れ流されていくものには、大量の「普通回」に下支えされたからこその「神回」というものが稀に生まれる。

これは12〜3話でピシッと完結する「名作」の良さとはまた違っていて、面白い。

一例を挙げれば『機動戦士ガンダム』の「ククルスドアンの島」の回がフィーチャーされ映画化されたり、はたまた伝説的に語り継がれている『ロスト・ユニバース』の「ヤシガニ屠る」の回なんかも、ある意味ではこういった制作状況の中からしか生まれなかったモノなのかもしれない。

またこれらには「毎週見てきたものだからこその失われる瞬間の喪失感」という産物もある。

『機動戦士Zガンダム』のガンダムMK-Ⅱが堕ちるシーンというのは、それまで何十話にも渡って僕たちと一緒に戦ってきた同志が堕ちるからこその「あぁ………!僕たちのMK-Ⅱが……堕ちていく……!」と涙が溢れてくるわけで、劇場版のZだけを観ると意外とそこまで切なさを感じなかったりもする。

毎回毎回が「神回」でなくともいい。
「名作」である必要もない。
恒常的に創られ続け私の生活に寄り添ってることにこそ尊さを覚える作品もあるのだ。


そういう意味でラジオが好きなのかもしれない。


さて、そんなラジオの中にはやはり「神回」と呼ばれる回が数多あり、今回はひとつだけ、僕個人の大好きな回を紹介して終わりたいと思う。

TBSラジオ『空気階段の踊り場』の2019年7月12日「詰め!もぐら将棋部!!」の回。

こちらからアーカイブを聴けます。

ほんと、折に触れ何度も聴いてしまう大好きな回である。

このエピソードの好きな部分の一つは、最初にBAD ENDが提示されているところだ。

『古畑任三郎』で冒頭は殺人シーンから始まるように、将棋部自体が完全に詰んでしまった、というところから話が始まるのがいい。

登場人物もいい。
主人公の翔くん、先輩、王子、顧問のたった四人だが、それぞれ顔や風貌まで浮かんできてしまう。

そして何よりも、鈴木もぐらさんの語り口が凄くいい。

芸人さんや噺家さんの所謂すべらない話、みたいなものはある意味、芸として昇華されてしまっていて、もちろんそれはそれで面白いのだけれど、もぐらさんのこのエピソードは地元の友達の高校時代の面白話を聞いている時のような、ゆるふわな面白さがあってそこも好きだ。

これは空気階段のコントにも似たものを感じて、笑いの手数の多さだけじゃなく、切なさや悲しみみたいなものまで掬い取っていて、観た後に妙な感動さえ覚えてしまうのだ。

10数分程で全編聴けてしまうので、お暇な時にでも是非、聴いてみて欲しい。


個人的ラジオ神回の紹介は、時間があればまた書いてみようかな。

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