高騰し続ける「1秒」の価値

髪の毛は禿げても伸びてもお金がかかる。禿げている人は育毛剤にお金をかけ、伸びすぎているひとは散髪にお金をかける。どちらに転んでもお金はかかる。そのうち、何をするにもお金がかかるようになるのだろうか。

家事代行サービスもだいぶ普及してきた。差別ではないが、女性の仕事とされてきたものが、女性の社会進出とともに他人に委託するものになりつつある。そのうち運転代行や、料理代行(外食ではなく、中食で)とかも出てくるに違いない。

昔は何でも自分でやる必要があった。否、自分でやる時間があった。メールが普及する前は手紙で意思疎通をしていた。自分が出した手紙に対し、返事が来るのは2,3日後。メールは一瞬で返ってくる。LINEなんて送受信の時間すら必要ない。時間を短縮出来たことで、生産性は上がった。しかし、同時に1秒の価値も上がってしまった。

今まで時間の単位が「日」だったものが、「秒」になった。10分間の掃除も、昔の「日」単位からすると相対的に大した時間ではない。しかし、「秒」単位の現代人にとっての10分は大きな損失だ。家事の時間すらも「もったいない」という感覚になるのも納得だ。ここに家事代行サービスの価値がある。

電車の移動時間も、服を着る時間も、お風呂に入る時間も、食事の準備や食べる時間も。全部が「もったいない」となるのは、近い将来かもしれない。

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