「写真を撮らない旅行」のすすめ

ぼくの住んでいるところは観光客が多い。みんな写真を撮る。スタバで買ったコーヒーを撮る。おしゃれなお店の前で自撮りする。たくさんの人が行き交う様子を撮る。思い出を残すのは結構だが、写真に依存しすぎるのも良くない。

写真は「具体的」である。明瞭にその風景を切り取る。旅行に行くと、やたらと写真を撮る人たち。せっかくの旅行だから、「具体的」な思い出を残さないともったいないと思うのだろうか。しかし、本当の「具体的」とは、「目に映る風景」のことだ。最新技術が搭載されたカメラも、目には勝てない。さらに、目から入った風景は「記憶補正」というアプリで自動的に美化してくれる。

スタジオジブリの宮崎駿さんは、「魔女の宅急便」を描く前にアイルランドのアラン島に行った。泊まる予定であった民宿がとても美しかった。思わず鈴木プロデューサーが写真を撮ると、宮崎駿が「鈴木さん、うるさいよ。シャッター音が」そう言って、民宿をじっと見ていた。ただ見ていた。コクマルガラスがバーっと飛び出す。これも、ただ見ていた。

写真に残してしまうと、決して動かない事実だけが残る。絵に描くときも、その風景をただ引き伸ばすだけ。宮崎駿は違った。あえて抽象的に残して、記憶を美化させたかった。曖昧な部分は想像で描き、記憶に残っている部分は強調して描く。人それぞれ印象に残る部分は違う。宮崎駿のオリジナルの「民宿」が出来上がり、これがジブリの世界観を生んだ。

記録として残すのなら写真が良い。しかし、記憶として残すのなら「頭の中の写真」に残したほうが良い。もう一度具体的な風景を見たくなったら、もう一度行けば良いのだ。ちなみに、スナフキンも同じことを言っている。

抽象性こそ個性であり、アイデアだ。写真はプロに任せたほうがいい。旅行雑誌の風景で充分だ。その場でしか体験出来ないことを、雑誌と同じ写真を撮るために行くのではもったいない。

写真を撮らない旅行。ぜひともおすすめしたい。

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