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空の上で自然の苛烈さと人間の営みを想う

朝7時のミラノ・マルペンサ空港の上には、鼠色の薄雲がかかっていた。湿気を含んだひんやりとした風を腕に感じて、腰に巻いていたコーラルピンクのUVカットパーカーに袖を通す。朝4時起きをものともせずタラップをかけ上がる娘の麦わら帽子に、ポツンと雫が降りかかった。

定刻から20分ほど遅れて離陸した飛行機は、2時間後には群青の海の上にいた。空を平行に滑る金属の物体。これまで数えきれない恩恵を受けていながら、何百トンもの物体が浮いてその上に自分がいることが、いまだに信じられない時がある。後方に置いてきた雨雲を見ながら、頭のなかで『嵐の雲も遥か上は 上天気』と、ドリカムの歌を口ずさんだ。

左腕に陽射しの熱を感じて、ぼんやりと目を開けた。いつの間にかうとうとしていたようだ。「今はどのへんだろう」。アクリルの窓の外を見た瞬間、鼻からすっ!と、自分が短く吸い込んだ空気の音がした。

ベージュの世界。砂漠だ。

群青から水色に空の色が変わり、コットンを無造作に伸ばしたような雲の境目まで、灰色がかった黄色の世界は続いている。窓に顔を近づけて目を凝らしても果ては見えない。いったいどれだけこの砂漠は広いんだろう。飛行機から砂漠を見るのは初めてではないのに、目が離せない。

今度は眼下に視線を落とす。見えるはずがないラクダの隊列やオアシスを探してみる。脳内に住み着いているのは『王家の紋章』や『天は赤い河のほとり』といった少女漫画で語られる砂漠のイメージなのだと、ちょっと可笑しくなる。

でも、遥か昔、このどこまでも続く砂漠を、星を頼りに渡った人は確かにいたのだ。

そう考えると、暑いはずの肌に産毛が立つのを感じた。勇気があるというより、正気の沙汰とは思えない。飛行機の上からでも果てが見えない広大な砂の中を進むなんて。彼らの原動力はいったい何だったのだろう。

程なく突然、色のグラデーション以外に変わり映えのしなかった景色に、定規でひいたような線が現れた。ベージュの大地に描かれた、異質な人工の模様。人間が作り出した道。なんのために人がこんなところまでくるのか。撮った写真を拡大してみたら、長方形の枠と、扇形の囲いの中に石らしきものが数個点在している。ー遺跡でも発掘しているのかと、ちょっとワクワクした。

そして唐突に、ベージュの世界は果てを迎えた。黒とも濃緑ともとれる境界は、川なのか、海なのか。対岸は一転して緑溢れた土地で、集落らしきものが見える。乾いた大地と水を含んだ土地がくっきりと分かれているの眺めていたら、終わったと思った砂漠はまた姿を現した。

両側を砂漠に囲まれた街に住む人たちは、一体はどんな暮らしをしているのだろう。生活に必要な物資はどこからくるのか。彼らは何で生計を立てているのか。そもそも、なぜここに住んでいるのだろう。

次に現れた砂漠は、少し表情が変わり凹凸があった。砂の色が黒っぽい場所があるのは、雲の影なのか。よくよく見ると、砂には波のような模様がある。風に吹き飛ばされた砂が、流れて模様になったんだろうか。

「どこの上を飛んでいるんだろう」ふと口からこぼれた問いに、「リビアじゃないかな」と夫が答えた。リビア砂漠、名前は聞いたことがある。

あとで調べたら、リビアはなんと国土の約90%が砂漠とのこと。テレビのニュースで見た、政情が不安定でアフリカ各地からの難民を斡旋してイタリアに送っている国というイメージと、眼下に広がる絶望するほど広い砂漠のイメージがピタリと重なった気がした。

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鼓膜に感じる圧迫感で、飛行機が高度を下げ始めたのが分かった。そろそろ目的地、シャルム・エル・シェイクに到着だ。旋回した機体の窓の外に見えるエメラルドグリーンの海に、機内から歓声があがる。砂漠の中には区画整備された街や高速道路が現れ、さながらシムシティのゲームのようだ。さっきまで見てきた砂漠の景色とはあまりにも違う。

このシナイ半島の南にある砂漠と海の街には、欧米や中東から人びとがバカンスに訪れる。観光業はエジプトの国内総生産の10%以上を占め、そこから仕事や収入を得ている人は多いこの国で、観光業は重要な外貨獲得の手段だ。観光客がリラックスしてバカンスを楽しみ、お財布の紐を緩めてしまえるように、ここシャルム・エル・シェイクは、世界有数のリゾート地として進化を続けている。
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眩しい太陽を帽子で遮り、むわっとした熱気を感じつつ飛行機のタラップを降りた。

頭の片隅には、写真のネガのように、空から見た砂漠の姿が貼りついていた。




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