座禅を求める。
【結論:何も求めたくなくて、「座した」。「座禅」を終えたら、「座禅」を求めた。】
ユヴァル・ノラ・ハラリの最新作「21 Lessons for the 21st Century」の日本語版が2019年11月20日に発売となる。
邦題発表前は、「21世紀における21の提言」と呼んでいた。
邦題は、「21 Lessons 21世紀の人類のための21の思考」となった。
文化・学術書としては、異例中の異例となる、初回15万部を発行。
魅惑のプロダクトとして、たいへん大きなニーズを期待されている。
著者ハラリ氏が、私に与えた大きな影響が2つある。
1つ目は、ハラリ氏の著作と、私が毎日、にらめっこしていること。
2つ目は、ハラリ氏の提言を、私が行っていること。
その「行い」とは、21の提言中、ファイナルの21番目の提言である、「瞑想」(「座禅」)である。
「瞑想」は、ブッダが悟りを開くために取り入れた手法。ヨーロッパに伝搬する際、「ヨーガ」となり、大陸・半島を経て日本に伝搬する際、「禅」となる。したがって、「瞑想」=「禅」と捉えてさしつかえない。
私が「座禅」をとり行う理由は以下である。
食欲、眠欲をはじめとするあらゆる欲を満たし、
加えて、月に7本、劇場で映画をめでる。
さらに、加えて、スケート大会で、大いなる達成感と感動を味わう。
しかしながら・・・・・
何も満たされない。
1つの欲を満たすと、次の欲を求めだ出す。
次々に、センセーショナルに、湧き起こる欲を満たし続けたいのが私。
そこで、
「禅」に救いを求め、
「座禅」を行えば、
“何かあるもの”を得て、
“何か”が、満たされると思った。
【個人的に、恐ろしい帰結】
これまでの人生で、最も長い、1時間の「座禅」をとり行った。
その結跏趺坐の足を、猛烈な痛みと、鎮痛剤を打たれたかのような強烈なシビレとともに、ほどいた。
そのまさに、直後。
私は、求めた。
欲求。
のどの渇きを癒やすために、水を欲するがごとく、ある感情に執着した。
そう!
渇愛。
私は、「座禅」を、求めた。
‘もういちど’
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?