見出し画像

ペンギンだって空を飛びたい!

空が、厚い雲に覆われる。

灰色の空が、世界を光から隠す。

『昨夜未明……………なお犯人は…………警察は…………』

聞いてもいないニュース番組を消して、制服に身を包む。


「ちっ……落ちてねーじゃん……」

どうみても不自然な袖の汚れ。

昨日必死に洗ったと思ったのに、落ちていなかったことに腹が立つ。

携帯で時間を確認。

今から出れば間に合うか。

流石に三日連続遅刻はまずい。


「いってきます」

この言葉の返答はないとわかっているのに、どうしてもこれだけは言っておかないと気が済まない。

施錠されていることを確認して、アパートの階段を下りる。

登校中、雨の匂いがして、傘を持ってきていないことに気が付く。

今ならまだ引き返しても間に合う。

そう思い、俺は身を翻す。


「あれれ~?○○くんじゃーん」


来た道を戻ろうとした時、声を掛けられてその方向に反射的に顔を向ける。


「……誰だよ、お前」


見覚えのかけらもないやつ。

着崩した制服、何か所にも空いたピアス、曇り空に目立つ金髪。

が、三人。

ガラの悪い不良たち。

別に俺も人のことを言えたものではないけど。


「覚えてねーなんて言わせねーぞオイ」
「覚えてねーよ」

「てめぇ……三日前に俺の子分たちをぼこぼこにしてくれたよなぁ?そのお礼参りに来てやったってのによぉ」
「三日前……?あぁ、あの"ザコ"どもか」

「舐めんなクソガキ!」


迫る拳。

衝撃と痛み。

口の端から流れる血。


「殴ったな?」
「あ?だからなんだよ」

「じゃあ殴り返されても文句言えねーよな!」


正当防衛って言葉があってるのかどうかわからない。

過剰防衛って言葉もあるらしいし。

でもまあ、関係ないか。

振り下ろした右手と、そこに走る痛み。

俺が殴ったやつの鼻血で赤く染まった拳。


「てめぇ!」

一人は顔を押さえて蹲り、他の二人はそれに対して報復しようと殴りかかってくる。

三度みたび、痛み。

それに怯むことなくカウンターでもう一人KO。

すかさず残ったやつを目でけん制しておく。


「くそ……!覚えてやがれ……!」


気が付けば、残ったのは俺だけ。

制服は泥だらけになり、あちこちに傷もできている。


「はぁ……今日も遅刻じゃねーか……」


もう確定したこと。

今更急いだって何の意味もない。

鞄に入っていたしわだらけのタオルで気持ち、血をふき取って、のんびりと学校へ向かった。

本当は真っすぐ学校に向かうつもりだったけど、途中でお腹が空いてラーメン屋で道草食って、中途半端な時間になったからゲーセンに寄って。

とかやってたら、学校に着いたのは昼休み。

「もう、また遅刻?」
「すんません」

「制服も泥だらけで」
「転びました。石に躓いて」

学校に着くなり、俺は職員室に呼び出された。

今日で三日連続お昼に登校。

毎日のようにケガして登校してくるし、制服だって不自然に汚れてるし。


「とりあえず今日は注意だけで済ませておくから、授業に戻ること」
「あい」

職員室を出ると、チャイムが校内に鳴り響く。

昼休み終わりの合図。

ラーメン食ってきておいてよかった。

五限目、六限目の授業は運悪く古典と日本史。

起きていられるはずもなく、俺は夢の世界へと旅立った。




・・・



結局、空の雲は晴れず、雨も降らず。

どっちつかずの天気のまま一日が終わる。

いい睡眠の時間を取ったら、ラーメンを食べたくなった。

今朝食べに行ったところにもう一度食べに行こうと、学校を出て真っすぐラーメン屋に足を向かわせる。

早くラーメンにありつきたい俺は、路地裏の道を使って近道をすることにした。

しかし、それが面倒を引き寄せる。


「おいおい、○○くんじゃないの」


激しいデジャブ。

数時間前も聞いた言葉。

足を止めて声の主を確認しても見覚えのないガラの悪い男が突っ立ってるだけ。

ただ、今回の奴はどうやら学生とかじゃないっぽい。

ガタイが違う。


「……誰だよ、お前」
「今朝は俺の手下と遊んでくれたらしいじゃん?」


またその関係かよ。

なんか、マトリョーシカみたいだな。

次々に来る感じ。

あ、どんどん偉そうになってるからマトリョーシカとは違う?

でも、人数はどんどん減ってて数的には小さくなってるからやっぱりマトリョーシカかも。


「おい、聞いてんのか?」
「わりぃ、お前がマトリョーシカかどうか考えてて聞いてなかったわ」

「ナメてんのか?」
「だったらどうだよ」

「こうしてやるよ!」

朝も、こんなだったな。

せっかく血が固まったとも思ったのに、また血が流れてくる。

反撃の隙なく畳みかけるように振りかざされる拳。

頭が揺れる。


「ごめんなさいって一言だけ言えたら許してやるよ」
「言うかよバーカ。言ったら言ったでいちゃもん付けるんだろうが」

「そうかそうか。じゃあボコボコに教育してやらないとなぁ!」


男の拳が腹にめり込む。

強く圧迫されて、胃酸がせりあがる。

しかし。


「近づいたな」

腹部の激しい痛みに耐えながら、手を固く握り相手の顎をめがけて拳を振るう。

骨に当たった感触。

これはいいのが入った。

男がよろめき、後ずさる。

今朝の相手ならこれで倒れてたのに、こいつは倒れない。

それなりに強いのかもしれん。

しかし、相手がよろけているのも事実。

俺はもう一発、下がった顔面に向かって右手を振る。

口内が歯で切れたのか、男の口から血が吐き出される。

それでも、男は倒れない。


「中々いいパンチじゃねーか。でも、それじゃ俺は倒れねーよ!」

さっきまでとは裏腹に、今度は俺の顎に拳がめり込む。

世界がゆがむ。

目の前がチカチカして、立っているのもやっと。

アスファルトに垂れた血を雨が洗い、路地裏にはカビの匂いが充満する。


「ほら、調子乗ってごめんなさいって……言えよ!」


ぼーっとした俺の横腹に男の蹴りが入る。

ゴミ袋が積まれてできた山に体が投げ出される。


「言わねぇ……って、言って……んだろ……」
「もうぼろぼろじゃねーかよ。謝った方が楽になれるぞ?」

もう立ち上がる気力すらも無い俺を男が見下ろす。

どれだけボコられようと、謝罪なんてしてたまるか。

痛みにだけ耐える決意を固め……


「おまわりさん!こっちです!」


女の声。

騒がしい足音。


「ちっ……!くそアマが……!」


ぼんやりとした視界。

誰かが、俺のことを覗いている。


「きみ……ケガ……!」
「うるせぇよ……」

「とりあ…..めな……」


うるさい。

うる……




・・・




「ん……痛っ……」


目を覚ますと、最初に痛み。

打撲とか、擦り傷とか、あちこちケガしてる。

しかし、それよりも気になるところが一つ。

見覚えのない天井と、やけに柔らかいソファ。

どこか知らない場所に運ばれ、寝かされていたみたいだ。

辺りを見渡しても、どこなのかさっぱりわからない。


「あ、起きた。これ飲む?白湯だけど」


そう言って、恐らくキッチンであろうところから顔を覗かせる女子が一人。

うちの高校の制服で、リボンの色からして三年。

てか、この人のことは知ってる。


「はい、どうぞ」


俺の返答を聞く前に、白湯の入ったカップを机に置いて、隣に座った女子生徒。

確か名前は……


「菅原咲月……」
「え、なんで知ってるの!」

「だって、あんた有名人だし」


多分、うちの高校で知らない奴はいない。

それくらい、美人であると有名だ。

実際近くで見てみるとそこらの女子とは格が違うなと思い知らされる。


「へ~!知ってるんだ~!なんでなんで?」
「…………友達から、聞いた……」


友達なんて、ほとんどいない。

一人を除いてだけど。


「友達って、きみをここまで運ぶの手伝ってくれた子?」
「やっぱ、俺運ばれたんすね。……ここどこすか?」

「うちだけど?」
「う゛……!」

飲み込んだ白湯が驚きのあまり気管に入る。

気絶した挙句、女の人の家に運び込まれたのか。


「外、雨降ってるしさ、きみのケガすごかったしさ」
「だ、だからと言って、見ず知らずの不良を家に連れ込んじゃダメっすよ!」

「きみ、私のこと襲ったりするの?」
「し、しねぇっすけど……」

「なら、うちに運ぶのが早いでしょ。きみの家知らないし」
桂樹かつきに運んでもらったなら、うちの場所もわかったんじゃないすか?」

「…………あ、そうかも」


ほんの数回のリレーでなんとなく分かった。

この人、あんま賢くないのかも知れない。


「それにしても、なんであんなとこに居たの?」
「ラーメン食いに行こうとしたら絡まれたんすよ。てか、あんま長くいるのも悪いんで、俺帰ります」

「えー!ご飯食べてってよ~!うち親出張続きで、いつも一人だからつまらないの~!」

なんなんだこの人は。

俺の名前も知らないだろうに、なんでこんなに絡んでくるんだ。


「私じゃご飯作れないんだよ~!お願い、朝日くん!」
「な……なんで俺の名前知ってるんすか……」

「ふふん!」

なぜか自慢げな顔を見せる菅原咲月。


「なぜなら、きみは有名人だからね!関わっちゃいけない不良生徒だって!」


なんでそれを本人の前で、堂々と言えるんだ。

自覚してる俺じゃなければ相当な失礼に当たるぞ。


「でも、きみはそんな子じゃないよ。確かに不良かもしれないけど、根は優しいと思ってるよ」
「それは、俺にご飯を作れって遠回しに言ってるんすか」

「そう捉えてくれてもいいよ?」
「……介抱してもらった恩もあるんで、今日だけは適当に何か作りますよ」

「ごはん作れるの!」
「作らざるを得ないだけっす」

渋々、キッチンに移動して冷蔵庫を開く。

入っているのは、天然水のペットボトルと、使いかけのカレールー。

それと、中途半端に切られた野菜たち。


「……なんもないっすね」
「だって買い物行ってないもーん」

「野菜炒めでいいっすか」

冷蔵庫に乱雑に入れられていた野菜たちを救出し、調味料を指示された場所から探し出す。

食材は無いのに、あまり使われていない調味料が大量にあるあたり、本当に自炊をすることは無いんだなと思わされる。


「できたっす」
「え、じょうず!」

「食べ終わって、食器片したら帰るんで」
「やっぱ、きみって根はいい子だと思うんだよね~」

「無駄口叩いてないで、早く食ってください」


この人が食事をするところは、えらく印象に残るんだろうなと思った。

一口運ぶたびに「おいしい!」とまるでまだ一口目かの様に目を輝かせて食べるから。

そう言えば、料理ってこういうものでもあったよな。

なんて、えらく感傷的にもなったから。


「はい、傘」
「別に……」

「風邪ひいちゃうでしょ!ほら、持って!」

帰り際。

押し付けられて、無理やり折り畳み傘を握らされる。

マンションの外に出ると、雨はもうすでに上がっていて、傘を返そうにもオートロックに締め出されてしまった。


「はぁ……明日返すか……」


傘は、荷物になっただけ。




・・・




今日の空は、昨日の曇天からの雨模様が嘘だったのではないかと思うほどに晴れて、梅雨とは思えないほどカラリとしている。

昨日押し付けられて結局使わなかった傘を鞄に押し込んで、俺は家を出る。

今日の通学路は平和そのものだった。

鳥のさえずり、子供たちの笑い声、吹き抜ける風まで、全てが昨日と同じ世界とは思えないほどに平和だった。

ただ、あの男が謝罪もさせずに満足して、今後は一切俺とは関わりませんなんてことになるのは期待薄。

最低限、いつけんかを吹っ掛けられてもいいように心の準備だけは万全にしておかねばならない。


「おーい、○○~!」


そんな俺の心の内なんて一切知らないであろう男が一人。

気の抜けた声で手を振り、こちらに駆け寄ってくる。


「おはよ、○○」
「おはよう、桂樹」


学校での唯一の友人と言っても過言ではない人物、月岡桂樹つきおか けかつき

気が弱くて、運動神経もあまりよくなくて、だけど頭がよくて、人一倍心優しい。

そんなやつ。

幼いころから、桂樹とはなぜか波長が合っていて、友達が少ない俺にとってはいつ何時でも一番の友人と聞かれたら桂樹の顔が思い浮かぶ。


「今日は委員会の仕事無いんだな」
「それどころじゃないでしょ!昨日、あんな路地裏に倒れてさ!僕と菅原先輩がいなかったらどうするつもりだったのさ!」

「それは……。結果何とかなったし」
「でも!あのままボコボコにされてたら、○○死んじゃったかもしれないじゃん!」

「そしたら……そん時だろ……」
「あ……ごめん……」


あの時菅原咲月の介入が無かったら俺が死んでいた可能性は無くはない。

しかし、その時はその時って俺の言葉に嘘があるというわけでもない。


「僕が…….無神経だった」
「いいよ、別に。ほら、早く行こうぜ。俺と一緒に行くと、変なのに絡まれる可能性もあるけどな」

「でも、その時は〇〇が守ってくれるんでしょ?」
「つーかよ、何で昨日あんなところにいたんだよ。家帰るならあっちじゃねーだろ」

「えー?知りたい?」
「そう言われると聞きたくなくなるな」

「そんなこと言わずにさ。実は……本買ってただけなんだよね~」


くだらない、平和な朝。

それを助長していくように、やはりと言うか、なぜかと言うか、学校に着くまで俺が誰かに絡まれることは無かった。

本当に、あいつは満足したのだろうか。

そうだとしたら、面倒ごとが一つ消え失せてくれた。

元はと言えば、ありもしない因縁なんだから、俺は悪くないしな。


「くぁ……ねみ……」

それにしても、授業ってのはどこまでも退屈だ。

ずっと席に座って、先生の言うことをノートにとって。

テストで点を取るだけじゃだめらしい。

めんどくさいシステム。

もう寝ちゃおう。




・・・




「よく寝てたね、○○。授業全部寝てたんじゃない?」
「めっちゃ寝たわ。桂樹今日は部活?」

「うん。だから、また明日」
「おう」

部活に、委員会にご苦労なことだ。

かたや俺は何にもない。

傘だけ返して早く帰るか。

階段を昇って三年生の教室が並ぶ階に行ってみたけど、ここで一つ問題が生じる。


「あの人、何組だよ」

片っ端から探すのも骨が折れそうだし、誰かに聞くのも気が引けるし。

さて、どうしようか。


「あ!おーい!朝日くん!」

校舎の端の方から人混みを抜けて聞こえた、俺の名前を呼ぶ大きな声。

そっちの方を向くと、手を振る菅原咲月の姿が見えた。


「三年生の教室に来るなんて、珍しいんじゃない?誰かに用?」
「いや、あんたになんすけど」

「わたし!?」
「いや、傘、借りてるんで……」

「あぁ!そっか!」


なんだ、この人。

調子狂うな。


「これ、ありがとうございました」
「どういたしまして!」

「じゃあ、帰ります」
「ちょっと待って!」


帰ろうとして階段の方に体を向けると、シャツの裾を掴まれて引き留められる。


「なんすか?」
「今日ちょっとだけ付き合って欲しいんだけど……お願い!」


手を合わせて頼み込む菅原咲月。

ざわつく教室前。

それもそうだろう。

学校で有名な美人生徒である菅原咲月と、学校で有名な不良生徒の俺。

そんな二人が絡んでるだけでも話題性抜群なのに、美人が不良に手を合わせて何かを頼み込む図なんて誤解されないはずがない。


「わ、わかりましたよ……。一回、外出ましょう」

逃げるように校舎から、まだ生徒が多いロータリーに飛び出す。

多分、誤解もうわさももう避けられないんだろうな。


「お待たせ~。あんなに急がなくてもいいのに」
「あんたが思ってるほど、俺の評判ってよくないんすよ」

「みんな知らないだけだと思うんだけどなぁ~」
「…………。で、頼みってなんすか?」

「ラーメン、食べに行きたいんだよね~。ほら、きみは昨日ラーメン食べに行くつもりだったって言ってたじゃん?それ聞いて、朝からずっとラーメン食べたかったんだ~」
「それなら、別に一人で行けばいいじゃないっすか」

「あそこの近くのラーメン屋ってさ、女の子一人じゃちょっと入りにくいじゃん?」
「だったら別に友達と……」

「ほら、行こ行こ~!」

ぐいぐいと背中を押され、無理やり足を動かされる。

なんでこうも面倒ごとは次から次へとやってくるんだ。


「いや~助かったよ、○○くんが付き合ってくれて」
「昨日まで、朝日の方で呼んでませんでした?」

「嫌だった?○○くんって呼ばれるの」
「そういうわけじゃないっすけど、急に距離詰めてくる人だなと思って」

「嫌じゃないならこれからも○○くんって呼び続けるね」
「これからも俺と絡むつもりっすか」

「別にダメなことなくない?○○くんも、私のこと咲月って呼んでいいよ。先輩はいらないからね!」
「じゃあ、菅原で。先輩は元々つけるつもりないっす」

「もー!なまいき!あ、ここだ!」

咲月が指さしたラーメン屋の暖簾をくぐって、空いているテーブル席に向かい合って座る。

昔ながらのお店で、かすれた文字の看板に、年季を感じる厨房。

確かにこの店は女性が一人で入るには敷居が高いというか、入りづらいのかもしれない。


「どうしよっかな~」
「この店は味噌がオススメっぽいっすね」

「さすが、詳しいね~!」
「いや、そこに貼ってあるんで」

カウンターの上、厨房の手前に貼られたお品書き。

そこにデカデカと店長のオススメと書かれた味噌ラーメンの文字。


「え、待って!全然気が付かなかった!」

ケタケタと笑いながら、机をバシバシと叩く目の前の人を見ていると、別にこの雰囲気の店でも一人で入れるだろって思うのは多分俺だけじゃない。


「すみませーん!味噌一つ!○○くんは?」
「俺は塩で」

「へー意外」
「どういうことっすか」

「もっとこってりと言うかがっつりした味の方が好きなのかと思った」
「どんな偏見っすか」

「だって不良じゃん」
「だから、どんな偏見なんすかそれ」

くだらない話をしていると、意外とすぐにラーメンは届いた。

手を合わせ、いただきますをしてから一口すする。

さっぱりとした味の中にも、しっかりとこの店にしか出せないであろう深みを感じられて、これはラーメン大好きな俺も大満足の逸品だ。


「…………なんか、食い方上品っすね」


向かいに座る咲月は、れんげにラーメンを乗せて一口ずつ上品に口に運ぶ。

なんだか、それがこの店の雰囲気にあっておらず、コントラストの様になっていて面白い。


「実は……私ラーメン啜れなくて……。自分でラーメン食べたいって言っておいて恥ずかしい……。友達にも結構ビックリされるんだよね」
「別に、そんなの気にしないっすよ。汚い食べ方じゃないですし、味は変わんないっすもん」

「やっぱきみ、実はいい子でしょ」
「話しかけた俺が悪かったです。食事に集中しましょう」


ちょっとだけ、唇を尖らせた咲月。

拗ねてしまったのか、単に食事に集中することを選んだのか、お互いのどんぶりの中身が無くなるまで、俺たちの間に会話は無かった。

気まずさも、同時に無かったけれど。


「いや~美味しかった~」
「そっすね。ここ、結構気に入ったかも知れないっす」

「また来ようね!」
「…………頷きかないっすよ、絶対」

「素直じゃない!ほんっとになまいき!」
「帰りましょう。送っていきますよ」

「おー……それはしてくれるんだ」
「……こんな俺が言うのもなんですけど、暗くなると、危険なので。ここからだと、割と距離あるじゃないっすか」

「優しいところあるじゃ~ん」

夏の夜は、陽が長くて。

まだ、空がオレンジで。

だけど、人々の流れは紛れもなく夜で。

駅前の通りは、ちょっと脇に逸れると途端に治安が悪くなる。

日陰者たちで溢れる。


「着きましたね」


駅から、徒歩で三十分と少し。

無事に、マンションまで送り届けられた。


「遠かったよね、ありがと。あまり遅くなると、親御さんが心配しちゃうよね」
「……………………」


誰も、何も悪くない。

だけど、心がやすりで撫でられたような感覚。


「うち、親いないんで……」
「ごめん、変なこと聞いて……」

「いえ、大丈夫です……」


俺は、逃げるようにその場を去ってしまった。


「あ、明日も!教室きてよ!私、五組だから!」




・・・



翌日。

俺はどうしてだか咲月の教室に足を運んでいた。


「あ、○○くん」
「ども……」

「来てくれないんじゃないかと思ってたから…..」


俺も、最初は行く気が無かった。

だけど、足が勝手に向かっていた。


「今日は、俺に付き合ってもらってもいいっすか」
「…………!う、うん、いいよ!」

「カフェとかで大丈夫っすかね?」


俺たちは、ほとんど会話もなく、駅の近くのカフェへと向かった。

それぞれ、コーヒーとオレンジジュースを頼んで、届くまでの五分間、重い空気がテーブルには流れていた。


「昨日は、何も話さず逃げちゃって、すみませんでした」
「ううん。私も、無神経だったから……」

「うち、親がいないんです」


こんなこと、話さなくたっていいのに。

話す必要なんてないのに。

それなのに、なぜだかこの人には話しておきたかった。




ーーーーーーーーーー




うちに父親は居ない。

中学二年の夏、父親は連絡もつかなくなった。

DV、ギャンブル依存、終いには借金つくってそれだけ残していった。

聞くところ、俺と母さんを捨てて他の女のところに転がり込んでいったらしい。

正真正銘のクズ。

だから、うちに父親はいない。

狭いアパートで、三人でつつましく暮らす。

俺はそれでも、誰かが常に殴られ、罵倒されるような生活だったころよりもいいものだと思っていた。

でも、父親が居なくなってすぐの頃は荒れていた。

素行が悪い奴らとつるんで、タバコ吸って、酒飲んで、喧嘩して。

補導されなかったのが奇跡だった。

でもある日、朝起きて、なんでこんなことしてんだろって思った。

これじゃ、あのクズと何も変わらない。


「悪い。逃げるみたいだけど、こんなことするの今日で終わりにするわ」
「は?何言っちゃってんの?」

「別に、ここで何やってたとかをどこかに言うつもりなんてない」


変わろうと思った。

悪い奴らとはもう手を切って、真っ当に生きていこうと思った。


「そう簡単にわかりました、はいどーぞなんて言えねーよ。せめてよ、俺たちの気が済むまで殴らせろよ」


それはそれは、ボコボコだった。

顔面はパンパンに腫れていたし、骨も多分ヒビ入ってた。

だけど、そいつらの言っていた通り、気が済むまで俺のことを殴って、その場に残されたのは俺だけ。


「あ、○○……。○○……!?ちょっと、どうしたのさそのケガ!」
「俺……これからはちゃんと生きてくよ」


桂樹に担がれて、家まで送られて。

それっきり、そいつらが俺と絡むことは無かった。

これで、俺も真っ当な人生を送れる。

そんな風に、思っていた。




・・・




大雨が降っていた。

記録的な大雨だった。

川も増水して、近寄るなと言われるほどの大雨。

ボコボコにされて、悪い奴らと手を切った日から三か月。

真面目なのかはわからないけど、それなりにちゃんと生活していた。


「傘で何とかなるかな」
「なるんじゃね?」

「ならなそうだったら、○○の家で雨宿りさせてもらおうかな」


靴に水がしみて、傘だけでは守り切れない部分がびしょびしょに濡れて。

早く、暖かいシャワーでも浴びたいなんて、呑気に思っていた。


「あ……」
「どうかした?」

「靴紐切れた。うぜぇ、こんな雨降ってんのによ」
「○○の家すぐそこだし、我慢だね」


胸騒ぎがした。

汗が額に滲んだ。

鍵が、開いていた。


「ただいま」


……………………。

返答がない。


「いないのかな?」

異常なほどの静寂と、


「な……」


全身の血の気がサッと引いていく感覚。


「そ……れは……」


俺は、そこから先へは進めない。


「う…………」

吐き出しそうになって、反射的に口元を押さえる。


「○○……?うそ……」


廊下の先、俺の視界に映ったものを信じられない。


「かあ……さん……」

倒れたまま、背中は、上下していない。


「あ……」

震えるからだでなんとか母さんに寄る。



「それ、は……ダメだ……」


ギシ

ギシ

ギシ

足音が。

雨音が。

そのうち、サイレンが聞こえてきて、濡れた体のまま、病院へと連れていかれて。


「残念ですが……駆けつけた時にはもうすでに……」


なみだが出なかった。

心をえぐられた感覚と、何もできなかった無力感。

何を言われても、頭に入ってこなくて。

網膜に焼き付いた光景が離れなくて。

その後、俺は叔父の援助で生活は保障され、犯人も逮捕されたと聞いた。

だけど、心に空いた穴は埋まることがなかった。

嫌なこと、面倒なことは畳みかけるように襲い掛かる。


「お前、○○ってやつ?」
「……そうだけど、誰だよ」


数か月前の因縁。

自分が犯した罪も、巡り巡って自分に返ってくるものなんだ。

俺はもう一度……




ーーーーーーーーーー




「俺も、ろくでもない人間なんです。何もできなくて、鬱憤は喧嘩で晴らすしか知らなくて。あんなに嫌いな父親と何も変わらないってわかって……って」

顔を上げると、咲月は目に涙をにじませていて。

頬にも、大粒の涙が伝っていて。


「大変だったんだね……」
「な、涙拭いてくださいよ」

「ごめん……。自然と出てきちゃって……。止まらなくって……」


こんなこと、桂樹以外に知ってもらう必要なかったのに。

話して、何になるんだ。


「はぁ、ごめんね。落ち着いた」


涙を拭いて、深呼吸をした咲月が俺の方を見つめる。


「今は、叔父さんと一緒に?」
「いや、一人っす。さすがに引っ越しはしましたけど、叔父からは生活費の援助だけっす」

「ご飯、作らざるを得ないってそう言うことだったんだね……」
「はい」

「○○くん!」


机の上に組んでいた手を咲月が、身を乗り出して握る。


「これから、たっくさん青春しようよ!過去のしがらみとか。全部忘れて!」
「そ、そんなの、出来ないっすよ今更……!」

「私が付き合うし、私に付き合ってもらうから!」
「なんでそこまで……」

「わかんない!だけど、○○くんのこと放っておけないから!」


再び、目には涙が滲む。

それに感化されてか否か、俺の頬にも、生ぬるい何かが一筋。


「一緒に、青春しようよ!」


何かが、はじけた。

涙が止まらなくて、徐々に前が見えなくなっていって。

何も返せなかった。

でも。


「はー!泣いたね、お互い!」
「俺は泣いてないっす!」

「うそつき!」
「……でも、こんな話、多分桂樹以外は知らないと思うんです。話したのなんて、初めてっすよ。でも、話したのが菅原先輩でよかったっす」

「あー!今、先輩って言った!できれば咲月がよかったけど……。もう一回言って!」
「言わないっす!」

「言ってよ~!」
「言いません!」


俺も、今度こそ普通の人生を送れるのかな。




・・・




「今日も送ってくれてありがと」
「いえ」

「明日、お休みじゃん?」
「そっすね」

「行きたいところあるから、付き合ってよ」
「わかりました」

「あと、一つ私と約束」
「何すか?」

「もう喧嘩はしないこと!」
「はい。わかりました」

「意外と素直じゃん」
「手は出さないっす」


菅原先輩が、小指を立てて差し出す。

俺も、その指に自分の小指を絡める。


「約束だからね!忘れちゃダメだからね!あと、明日何時にどこ集合しようか」
「迎え行きますよ」

「紳士じゃ~ん。じゃあ、夜連絡するから、連絡先教えて」


叔父と、桂樹くらいしかいない連絡先。

まさか、誰かの名前がここに追加される日が来るとは。


「じゃあ、また明日ね~」


菅原先輩の姿が見えなくなって、ふと、俺は自分の頬に触れた。


「はは……」

なんで、俺こんなにやけてんだろ。




・・・




「お待たせ~待った?」
「そんな待ってないっす。十分くらいっすね」

「割と待たせてるじゃん!言ってよ、そういうのは!」
「別に、そんな苦でもなかったんで」

「ふ~ん」

にやけてる。

発言ミスった。


「楽しみだった?」
「”ちょっとだけ”っすからね!」

「そんな強調しなくてもいいじゃん!それよりもさ」


菅原先輩が、くるりと一回転。


「どう?」
「……ヒール履いてるから、そういうことするとケガしますよ……?」

「そうじゃなくて!そうかもしれないけど!」
「あと、似合ってますよ」

「それだよ!ほんとに素直じゃないんだから!」


上機嫌になった菅原先輩の案内で、駅前からちょっと離れた建物。

窓から見えるのは、女性ばかりで、スイーツばかり。


「ここなんだよね~!予約してあるから、入ろ!」


腕を掴まれ、店内に引きずり込まれる。


「予約してた菅原です!」
「カップル割りで予約していた菅原様ですね。いらっしゃいませ、お席までご案内いたします」

「カップル……!?」

席に座っても、周りは女性ばっかり。

間違いなく、ガラの悪い俺みたいなやつは浮いてる。


「ここのスイーツバイキング、ずっと行きたかったんだけどちょっと高いんだよね~。でも、カップル割りすると結構割引されるからさ」
「そ、そんなにするんすか!」

「ここだけの話、このお店ほぼ女の子ばっかりでしょ?男の子のお客さんが中々来てくれないから、カップル割りだと半額になるんだよね」
「すごいっすね……」

「てことで、いっぱい食べるぞ~!」


菅原先輩が席に立ち、数分戻ってこないかと思ったら大量にケーキを運んできて、早々に机の上が埋まってしまった。


「○○くんもどんどん食べてね!……あ、でもあれか、ラーメンとかもさっぱりしたのが好きだったし、味濃いケーキとかはあんまり口に合わなかったりしたかな……?」
「いえ、実は俺、めっちゃくちゃ甘党なんすよ」

「ほんとに!じゃあよかった!食べ放題なんだから、○○くんもたくさん食べて!」

俺が持ってくる暇もなく、菅原先輩が席を立ってはスイーツを持ってきて、席を立っては持ってきてを繰り返す。

持ってくるたびに別の種類のものばかりで、どれも美味しくて、時間いっぱいまで飽きが来ることは無かった。


「お腹いっぱい……」
「もう、食べれないっす……」


満腹も満腹。

一歩も動けないが比喩では無くなりそうなくらいの満腹。


「この後、どうしよっか」
「ちょっと、トイレ行ってきていいですか?」

「いいよ、あっちの日陰で待ってるね」


待たせるのも悪いので、走ってトイレに行ったのに、意外にも休みの日の公衆トイレは並んでいるものだったらしく、戻るのに十分以上もかかってしまった。

「ねえ、いいじゃん。待ってるってのも嘘なんじゃないの?」
「嘘じゃないです!待ってますから、彼氏!」

「もう無理やり連れてってもよくね?意外とここ人目付かないし」
「それあり」

「ちょっと……!離してください!」

そして、その十分があれば菅原先輩ほどの美人がハイエナたちに狙われないはずもなく、菅原先輩が待ってるねと言っていた日陰には、大学生くらいの男五人くらいで壁が出来ていた。


「あの……その子の手離してもらえませんかね……」
「なんだこのチビ」

「○○くん……!」
「え、もしかして彼氏ってこいつ?ウケるわ~」


何だこいつら。

俺は一応四捨五入すれば170cmあるんだからな。

四捨五入すればな。

てか、ここなら人目に付かないらしいし、殴っても…..

ダメだ。

菅原先輩との約束がある。


「その手、離してください」

殴っちゃダメなんだよな。

俺は、先輩の腕を掴んでいる男の腕を掴む。

先輩のことを掴んでる手を引き放そうとして、ちょっと力が入るのはいいよな、多分。


「痛い痛い痛い痛い!」
「離してくださいよ」

「わ、わかった、離す!」


先輩の腕が解放され、俺も掴んでいた手を捨てるように払う。

捨て台詞もなく、男たちは去っていった。


「すみません。戻るの遅くなって」
「ううん。助けてくれてありがと。あと、手は出さなかったね」

「それは……約束、なんで」
「ふふ、偉い偉い」


先輩の手が俺の頭を撫でる。

なんだか子ども扱いされているようで釈然としないが、先輩がなんともなくてよかった。


「あの、そろそろ……」
「もうちょっとだけ。○○くん、ちょっと照れててかわいいんだもん」

「もう終わりです!」
「あぁ……もう少し撫でたかったなぁ」


もう今後、絶対撫でさせない。

手を出さないことの誓いくらい固い誓いを、俺は自分の心に打ちたてた。



・・・




「最近、○○って菅原先輩と仲いいよね」
「ん?まあ、そうかも」

「結構学校中で噂になってるよ」
「だろうな。で、あんま良くないやつだろ」

「よくないのもあるけど、意外と○○はいい奴なのかもってやつもあるらしいよ」

桂樹はこういうのをどこで仕入れてくるのか。

ほぼ情報屋だ。


「○○、今日も菅原先輩と遊びに行くの?」
「この後、先輩の家に飯作りに行かなきゃいけないな」

「ご飯作りに!?家!?」
「声でかいって」

桂樹の声に、教室の中の生徒全員の視線がこっちを向く。

黙った教室はまたざわざわしだす。


「ごめんごめん。にしても、そんな仲になってたんだ」
「俺だって意外だよ。でも、先輩に振り回されるようになって、喧嘩も何もかもやめてさ。やっと、世界ってこんなにも……」

「○○くーん!」

ざわついた教室に響いた声。

廊下から教室を覗く菅原先輩。

静寂が訪れ、一つの話題が教室中を席巻する。


「わりぃ、桂樹。また明日!」
「うん」

俺は慌てて鞄を肩にかけて、廊下に飛び出す。


「先輩、声でかいですって!」
「ごめんごめん」

「早く行きましょ」

先輩の手を取り、急いで学校を出る。

最近はどうにもうわさがムズ痒くてしょうがない。


「帰る前に海いこーよ」
「急っすね」

「だって夜ご飯の時間まではまだあるし」
「歩くと距離ありますし、電車で行きますか」

「そうしよ~!あと、さ」
「はい、どうしました?」

「○○くんがずっと私の手握ってるのは自覚してる?」


そう言われて視線を下に落とす。

バッチリと握られた先輩の左手。

それを握っているのは俺の右手。


「すんません!」

俺は慌てて手を開いたけど、なぜか離れない。


「今日はこのままがいい!」


先輩の方が、離してくれなかった。


「また変な誤解生まれますって!」
「いいもん!別に!ほら、行くよ!」


今度は、先輩が俺の手を引く。

ざわつく周囲の声なんて気にしてない。

結局、駅についても、電車に乗っても、海が見えても、先輩が手を離すことは無かった。


「わー!今年初海!」
「ここ、人いないっすよね。近くに埠頭ばっかのとこだから、泳ぐのに向かないんすかね」

「まあ、泳がないから関係ないよね!」

未だ離してくれない手。

またしても、俺はその手に引かれる。

誰もいない浜辺で、聞こえるのは波の音と先輩の声だけ。

夕日に照らされて、揺れる海面が光をあちこちに反射する。

世界が、輝いている。


「冷たいね!」
「ですね」

先輩が海水を手にすくって、

「えい!」

その水が、俺に掛かる。


「どーだ!」

いたずらっ子みたいに、得意げに笑う先輩。

その笑顔に、心の奥の方がムズムズする。


「俺もやりかえす準備はできてるっすよ」
「目が本気だ……。逃げろ~!」


飛び散る水しぶき。

交差する笑い声。

過ぎてく時間が、こんなにも惜しいなんて。


「そろそろ帰ろっか~」
「あの、先輩」

「ん、なぁに?」


潮風が、俺の声を届ける。

夕日が、先輩の顔を照らす。

夏の足音は、もうすぐそこ。




………fin




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?