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猫みたいな君は、悪魔のようにささやいた

「ねえ、もう、逃げちゃおうよ」

そう言って、君は微笑む。

まるで、常世に誘うように。


三月の風がカーテンを揺らし、新緑の香りを運ぶ。

「体調は特にお替りないですか?」
「はい、問題ありません」

毎朝行われている回診が終わり、だだっ広い病室に一人。

外を眺めてみると、駆け回る子供たちの元気な声。

その光景を見ると、真っ白で無機質なこの部屋が少し寂しく、寒くすら感じる。

あれは、何か月前だっただろうか。

葉が色づいていたから、十月くらいだったか。

大学の帰り、僕は倒れて。

気が付いたら、ここにいた。


「授業終わったの?」

大学内に設置されたコンビニの商品を見ながら、飛鳥は僕にそう聞いた。

飛鳥は高校時代から一緒で、人との距離はそんな近くあってほしくない、それでいて少し寂しがりやなところがすごく似ていて。

波長があった僕らは、何かにつけて一緒にいることが多かった。

周りからは付き合っていると思われることも多かったけど、別にそう言うわけではない。

単に、一緒にいると居心地がよかった。

「…ん、今日は三限が休校だから」
「ふーん」

興味があるのかないのか。

飛鳥は気の抜けたような返事をする。

「どうする?どこかお昼食べに行く?」
「○○の家でいいや」

飛鳥はパンをいくつか手に取ってレジに向かう。

ここ最近はレポートに追われてたこともあって、ご飯を一緒になんてこともなかった。

きっと、僕がそうであるように、飛鳥もすこし寂しかったのだろう。

その日は、朝から体調が芳しくなかった。

だけど、

「うん、わかった」

僕も、おにぎりを二つ手に取って、会計を済ませた。

「あのレポート終わった?」
「うん、きつかった」

家までの道のりを、二人で並んで歩く。

歩幅を合わせて。

何かに興味を惹かれて、少しスピードが落ちるのにも合わせる。

交差点に着いて、飛鳥はスマホを見た。

「アパート着いたら充電器かして」
「いいよ」

歩行者用信号が青になる。

飛鳥がスタートダッシュを決めた。

僕はそれについて行こうと足を前に出した。

その時、グラリと、世界が揺れた。

胸が痛い。

頭が痛い。

地面が急速に近づいてきて、衝撃と共に全身に鈍痛が走る。

「え、ちょっと……!」

少し先を歩いていた飛鳥が体を翻して駆け寄ってくる。

「ねえ、どうしたの!」

いつもよりも数段大きな声量で僕に話しかけている。

「えっと......どうすれば……」

ボーっとした頭で、飛びかけた意識の中で。

救急車のサイレンを聞きながら。

僕の意識は、暗闇の中に落ちた。


痛みと、息苦しさ。

咳をすると、僕の口から出てきたのは血痰。

混乱した頭で通された部屋で言われた言葉。

もって数か月。

一年は持たない。

肺から始まった癌は、様々な場所に転移していたらしく、末期だとまで言われた。

抗がん剤治療をするかどうかも聞かれた。

あと数か月の命。

恩を返す両親もいない。

そんな命を引き延ばすことに、何の意味があるのだろう。

「いえ、いいです」

こうして僕の命のカウントダウンが始まった。


飛鳥は、時々お見舞いにやってきた。

「体、大丈夫?」

その度にそう聞いてきた。

きっと飛鳥自身も、どんどんとやつれていく僕を見ているから、僕が大丈夫ではないこともわかっているはずだ。

それでも、

「うん、まだ、大丈夫」

僕の口からそう聞くことで安心したかったんだと思う。


ここ二週間くらい、飛鳥の姿を見ていない。

愛想を尽かしてしまったのだろうか。

そろそろ、会いたいな。

そう思っていた矢先。

その日のお昼過ぎ、飛鳥はパンが二つ入ったコンビニの袋をもって現れた。

「少し、久しぶり?」
「はは、何だそれ」

飛鳥はベッドの傍らの椅子に腰かけ、パンを頬張る。

「学校は、変わりない?」
「……うん」

「友達は出来た?」
「できてない」

「友達は作っときな」
「○○に言われたくない」

パンを一つ食べ終えて、彼女は台の上にあるリンゴを剥き始めた。

包丁を持つ手に集中しながらも、僕が咳をするたびこちらを気に掛ける。

「そっちに集中しないと指切るよ」

言ったそばから飛鳥の指先は刃で傷つく。

「大丈夫?」
「そんなに深くない」

飛鳥は指先から出た血を眺めている。

「どうしたの?」
「○○が私の血を飲めば、急激に回復したりしないかな?」

「悪魔じゃないんだから」
「悪魔……」

結局、絆創膏を貰いに行って、くだらない会話をして。

「○○の部屋の鍵ってどこにあるの?」
「ポスト……だったっけ?」

「そっか」と残して、飛鳥は帰っていった。

こんな訳の分からない時間。

心地のいいこの時間も、もうすぐ、終わり。

喉が焼けきれそうなほどに咳が出る。

血の混ざった痰も出る。

体が、もう限界だと叫んでいるように痛い。

「明日まで、生きられないかもな」

天使がいい。

いや、いっそ悪魔でもいい。

「僕を……殺してほしい」


日が暮れて、面会時間ももうすぐ終わる。

そんな時間にも関わらず、飛鳥は何やら大きなカバンを持って、もう一度僕の前に姿を現した。

病室に入るなり、電気を消して部屋を真っ暗にした。

月明かりに照らされて、踊るように、僕に近づき、

「ねえ、逃げちゃおうよ」

手を、伸ばす。

「何言ってるのさ」

僕の答えは、もうすでに決まっていた。

これは、僕の意志への最終確認。

「私と、桜を見に行こう」

君は、そう言って微笑んだ。

まるで、悪魔のように。

「死ぬなら、私の前で死んでよ」

それに反して、僕を連れ出す理由が、何とも君っぽくて、かわいらしくて。

「ああ、もちろん」

思わず、笑みがこぼれた。


バレてしまっては計画が破綻してしまう。

夜のうちに抜け出した僕たちは、一晩飛鳥の家で過ごしてから出発することにした。

「そのカバン……」
「○○の荷物。着替えとか、色々」

自慢げに腰に手を当てる。

「ねえ、ご飯、何食べたい?」
「うーん……」

一転、飛鳥は腕を組んで考える。

「なんでもいいよ」
「じゃあ、ハンバーグ。多分、材料はあるから」

飛鳥が冷蔵庫を開けて、食材たちを取り出す。

「玉ねぎと、ひき肉……あとは何がいるの?」
「パン粉かな」

「食パンしかないや」
「それでもいいよ」

フードプロセッサーでパンを細かくすればパン粉の代わりになるとかなり前にネットで見た気がする。

まずは玉ねぎをみじん切り……と思ったのだけれど。

「あれ?」

包丁を持つ手が震えて力が入らない。

「もう……」

そんな僕を見かねてか、飛鳥が僕の手の上に自分の手を重ねる。

「こうすれば、手、震えないんじゃない?」

こちらは、見ずに。

恥ずかしいんだろうな、きっと。

「うん、助かるよ」

二人三脚、手と手を取り合って。

「あー、美味しかった!」

そうやって完成したハンバーグは、今まで食べたどんな食べ物よりもおいしかった。


「今何時?」
「十一時五十分」

夜のニュースがつらつらと今日一日の出来事を羅列する。

「○○ってさ」
「何?」

「彼女いる?」
「……いないよ、残念ながら」

「じゃあさ」

飛鳥は、病室で僕を連れ出した時と同じように、部屋の電気を消した。

「そう言う経験は、あるの?」

飛鳥は、悪魔だ。

「いや、無いよ」

そして僕は、その信者だ。

「じゃあ......する?」

僕の体に極力負担を掛けないように、一度だけ。

飛鳥は、私がリードするからと言った。

自分だって、初めてのくせに。

そんな君と、体を重ねる。

軋むベッドの上。

君の嬌声が、月明かり照らす、暗闇の四畳半に響き渡る。

顔をゆがめる君。

そんな君を見て、今の僕はどんな顔をしているのだろう。

快楽が、僕を支配する。

たった一回なのに、もてる体力のすべてを使い果たしてしまったように、二人ベッドに横たわる。

「僕の最初で最後の相手が飛鳥でよかった。ありがとう」

変なムードに当てられて、普段は吐かないクサいセリフが僕の口から飛び出す。

いつもの君なら、大笑いして小ばかにしてくるんだ。

でも、今日の君は、

「うん、私も。初めてが○○でよかった」

まるで、僕を愛しているかのようにそう言った。


「忘れ物ないね?」
「うん、ない」

早朝、僕たちは何事もなかったかのように家を出た。

遠出するからと言われて、電車に乗り込む。

見知った駅から知らない駅に。

のどかな田園風景を突き進む。

「どこまで行くの?」
「いいから」

人もまばらになり、電車の揺れも心地いい。

しかし、次に目を瞑ってしまえばきっと最後。

目を覚ますことは金輪際ないのではないかと思ってしまう。

「ねえ、飛鳥」
「なに?」

目的地に着くまでの暇つぶし。
気になっていたことを一つ聞いてみる。

「飛鳥は、俺が死んだら泣く?」
「はぁ?何言ってんの」

飛鳥はいつものように僕の方は見ないで、笑っていた。

「○○がそうなったら、私が笑ってあげるよ」
「飛鳥らしいや」

『次は~』

「あ、降りるよ」

最寄りから二時間。

山に囲まれた無人駅。

「着いてきて」

そう言った飛鳥の半歩後ろを歩く。

少し歩いては、飛鳥はスピードを落とす。

それを何度か繰り返す。

「ねえ、隣歩いて」

しびれを切らしたのか、飛鳥は強引に僕の腕をつかむ。

「離さないからね」

そっちで誤解されるのは大丈夫なんだね。

多分、本心はふらつく僕を見かねてだと思う。

「ありがと、飛鳥」

普段は僕が合わせていたはずの歩幅。

今日は飛鳥が僕に合わせる。

しばらく歩き、バス停のベンチに腰掛ける。

「大移動だね」
「うん」

座っていても、飛鳥は僕の手を握ったままだった。


「よっと」

バスを降りて、あぜ道を歩く。

「まだ歩くの?」
「もう少し」

日が高くなり、春の陽気が心地いい。

「目、瞑って」

飛鳥にそう言われて、僕は目を閉じる。

繋がれた手だけが僕の導。

歩いて。

まだ、足が動くことを確認する。

風が吹いた。

花の香りがした。

「目、開けていいよ」

僕の目に入ったのは、一面の緑。

そして、一本の桜。

力強く、堂々と咲いた桜。

「どう?」

僕の手を放して、飛鳥は僕の前に回り込む。

僕は、言葉を失った。

微笑む飛鳥と、咲き誇る桜。

こんなにも、美しいのか。

「行こ」

もう一度、飛鳥は僕の手を引く。

桜の木の下まで、僕を連れていく。

草の上に並んで座って、風を感じる。

「ねえ、飛鳥」

「なに?」

「少し……眠ってもいいかな」

飛鳥は、何も返さない。

その代わりに、足をたたんで、膝をポンポンと叩く。

「いいの?」

そして、頷いた。


促されるまま、僕は飛鳥の膝の上に頭を落とす。

そして、目を、閉じた。

いや、訂正しよう。

目を、開けている気力すらなかった。

「ねえ、綺麗だった?」

それは、桜のこと?

「うん、綺麗だよ」

これは、飛鳥のこと。

「眠いの?」

「うん、少しだけ、疲れちゃった」

飛鳥はそっと、僕の頭を撫でる。

幼い頃の記憶を思い出す。

泣きじゃくって、母に慰められていた、そんな記憶。

「ねえ、飛鳥」

「なに?」

「僕、ずっと飛鳥のことが好きだったんだ」

なんて、最期に言ってみる。

何かが、動いた。

息が、近い。

見えないけれど、きっと飛鳥の顔は目の前にある。

「ねえ、○○」

飛鳥は、そっと、優しい声で。

「私も、ずっと好きだったよ」

僕を、愛しているとささやいた。


「ねえ、まだ起きてる?」

「起きてるよ」

「まだ、起きてる?」

「起き……てる……」

「起きてる?」

「……」

聞こえてるよ。

まだ、意識はあるけど。

でも……

返事、できないや。

「ねえ、○○」

飛鳥は、いつものように僕を見てはいないだろう。

最後の力を振り絞り、薄っすらと目を開ける。

「死んじゃいやだよ……」

飛鳥は、僕の方を真っすぐとみて、涙を流していた。

泣かないと言っていたのに。

笑ってやるとまで言っていたのに。

やっぱり、飛鳥らしいや。

多分、この声は聞こえないけど。

『泣いてくれて、ありがとね』

そして、

さよなら


彼は、私の膝の上で息を引き取った。

微笑みながら、その生涯を終えた。

笑ってやるなんて言ったけど、あんなのは、ただの強がり。

あなたが死んで、笑えるわけなんてなかった。

大粒の涙が落ちる。

私は素直じゃなかったと思う。

人と話すのは苦手だし、誰かと一緒にいるのも苦手。

そんな私と仲良くしてくれて、そんな私でも心地いいと思えて。

こんな私を好きと言ってくれて。

こんな私だから、彼を好きになったんだ。

その思い、もっとちゃんと言えればよかったな。

後悔も、未練も、断ち切れないと思う。

それでも、私は。

風吹き、桜散る。

彼の思いと、彼への思いを背負って、私は空へと羽を伸ばした。

グッと一歩、踏み込んだ。

…fin





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