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魔法少女アルル 《前》

東京と言えど、都心から少し離れればそこは閑静な住宅街。

夜の風は、静かに木々を揺らす。


「はぁ……はぁ……」

そんな不気味な夜。

汗だくになりながら走る少年が一人。


「こんな時間に……コンビニなんて行くんじゃなかった……!」


路地を一本右に曲がり、息をひそめる少年。

口を押さえて、少しの音も漏れないように努める。


「…………」

ひた、ひたと近づく足音。

ドクドクと強くなる心音。


「…………」


ひた。

ひた。

…………。


「…………?」


少年は、顔だけ出して影から通りを覗く。

そこには人っ子一人おらず、夜風に揺れる木々が手招きをするのみだった。


「いない……?」

安堵の声を漏らし、少年はその場にへたり込む。

恐怖から解放され、安心しきった少年の足は震えており、とても立てる状況ではない。


「なんだったんだよ……」


そう呟き、少年が顔を上げた時だった。

それは、一目で人間ではないとわかるものだった。

形が要因なのではない。

生きているものの音がしないのだ。


「あ……」

少年は、死を覚悟して目を閉じた。

最後に思ったのは、こんな時間に出歩いた後悔か、今日という日まで育ててくれた親への感謝か。

はたまた、悟りきって何も思わなかったか。


「頭伏せて!」

何処からともなく、少女の声が住宅街に響いた。

少年は考えてではなく、反射的にその声に従って頭を押さえて背中を丸めた。

一閃。

轟音と、眩耀げんよう

”怪物”と形容できるそれは、衝撃と共に後方数十メートル先に飛んでいく。


「きみ、大丈夫?ケガはない?」

少女は、へたり込んだ少年に問いかける。


「あ……はい……」


少年の間の抜けた声。

現実と見まがう格好。

黒と白のゴスロリ風の格好に、手に持ったバトンほどの長さのステッキ。

そして、頭に輝く水色の花飾り。

それはまさしく、人が想像するところの、


「魔法少女……?」
「立てる?できれば遠くに逃げてほしいんだけど」

「いや……腰、抜けちゃって」
「じゃあ、そこでじっとしてて」

そう告げた少女は、今にも立ち上がろうとする”怪物”に向かう。

ふわりとなびいた短い髪。

振り上げられたステッキと、鈍い音。

常人ならばすでに息がないであろう勢いの攻撃だったが、”怪物”は容易に立ち上がる。


「くそっ……!なんか、体が重い……!」

少女は少年を置いて”怪物”に詰め寄る。

もう一度振り下ろしたステッキ。

その攻撃は”怪物”の頭に直撃……


「え……」


しない。

逆にはじき返された魔法少女は勢いよく後方に吹き飛び、蹲る姿が砂埃の中に微かに透けて見える。


「ちょ……」


ひた、ひたと、”怪物”が少年との距離をゆっくりと詰めていく。


「あ……」


少年の額に汗が伝う。

先ほどまでは死を覚悟していた少年。

状況としてはその時点に戻っただけなのに、今回の彼の眼には涙が浮かんでいた。


「死にたくない……」


小さく、かすれた声でつぶやいた少年。

そう願うのと同時に、もう助からないのだということも察している。

それでも、その希望を捨て去ることなどできなかった。


「手を……伸ばして……!」

耳に入った言葉のまま、少年は手を伸ばす。

一縷の望みに賭けて、少年は手を伸ばす。


「くぅっ……!」


砂埃の向こう。

眩い光が、閑散とした住宅街を包み込む。

そして、もう一度訪れた眩い光によってその”怪物”は消し飛ばされた。

跡形もなく。

そこに、影のように蠢いていた”怪物”など存在しなかったかのように。


「…………なにが、起きたんだ?」
「すごい……!力が、溢れて……」

「って、なんだこの紐みたいなの!?」


少年の右手から伸びた、薄い海藻のようなものが少女に繋がっている。


「わからない……。でも、すっごい力を感じる……」


少年と少女を結ぶそれが発するエネルギーは、先ほど少女が放った光弾と遜色のないもの。

ぼんやりとした光とは思えないほどに力を発しており、先ほどまで”怪物”の存在すら認知していなかった少年にも感じられるほどであった。


「もう何が何だかわかんねーよ……」
「……今日見たこと、全部忘れて……って言っても、無理かもしれないけどさ。今日は、一回お家に帰って寝よう。もしかしたら、夢かも知れないし」

「……わかった。でも、最後に一つだけいいか?」
「なに?」

「名前……聞いてもいい?」
「なか……」

そこまで言って、少女は慌てた様子で口を押える。

そして、咳ばらいを一つ入れて。


「魔法少女……アルル……」

恥ずかしそうに、そう名乗った。




・・・




目が覚めた。

足が痛い。

その筋肉痛と思しき痛みと、とてつもない疲労感が昨日のアレはウソでなかったのだということを認識させる。


「なんだったんだ、あれ……」


人の形をした、ヒトではないもの。

光弾を発射する魔法少女。

たしか、アルルとか名乗ってた。

そして、彼女とつながったあのウヨウヨ。

あれが繋がって、あの魔法少女がビームみたいなのを撃った時、どっと疲れがやってきた。

あれはいったい何だったんだ。

昨日の夜のことを考え始めてしまうとキリがない。

それに、あまりに非日常のことすぎて頭が痛い。


「早く準備しないと遅刻するわよ~!」
「わかってる!」

階下から聞こえてくる母さんの声に雑に返事をして、ジャージから制服に着替える。


「………?」

長袖を着ていたせいで気が付かなかったが、右腕に蚯蚓腫れのような細く薄い赤いものが三本、巻き付いている。


「なんだこれ……」

巻き付いているというのは、正確には違う。

それは腫れと言うよりもタトゥーのようなもので、触ったところで凹凸があるわけでは無い。

擦っても取れないし、痛みがあるわけでもない。


「…………やべ、遅刻する」

それよりも、早く学校に行かないと遅刻だ。

急いで鞄を肩に掛けて、家を飛び出した。




・・・




「なんか昨日、ガス漏れの事故が起きたらしいんだよな」


学校に着くなり、隣の席で、それなりに仲のいい友人の川村悠里ゆうりが話しかけてくる。

「へ、へぇ……」

ガス漏れ?

そんなはずがない。

昨日のアレはガス漏れなんてレベルの話ではない。

もっと衝撃的なものだったはずだ。

「それに、その場所って先月交通事故が起きた場所でもあったらしいんだよ」
「そうだったんだ…………。ちなみになんだけど、ユーリってさ、人の形してるけど絶対人じゃないよな~ってやつ、見たことある?」

昨日の怪物は、なんだったのか。

みんな知ってるものなのか、はたまた口外してはならないようなものなのか。


「…………何言ってんだよ。お前、眠すぎて頭おかしくなってたりするんじゃないのか?」
「だ、だよなぁ……」

やっぱり、知らないんだ。

命を狙ってきたあの化け物を。

だとしたら、あれはなんなんだ。


「そ、そういや、もうすぐテストだよな」
「言うなよそれ!ってか、今回の学年一位もどうせ中西さんだろ」


五組の中西さん。

一年生の頃から一年半、一度だって学年一位の座を譲らない。

今回だって、きっと彼女が一位だろうと、誰も信じて疑わない。

でも……


「中西さんってさ、ちょっと話しかけづらくね?」
「まあ、確かに……?」

「中西さんが友達と話してるってところもあんま見ないしな~」

確かに、中西さんが誰かと一緒に居るところを見たことがない。

基本、五組に居る剣道部の友達とかと話しに行っても、教室で勉強している姿しか見ない。

それだけ努力をしていれば、毎度テストで一位を取り続けているのも納得ではある。


「ま、俺たちが中西さんの話したって意味ねーっしょ」
「……ああ、そうだな」

始業のチャイムが鳴って、クラスメイト達はそれぞれの席へと散り散りになる。

俺も引き出しから教科書を取り出して、授業の準備を終わらせた。




・・・




『そのステッキを振って、魔法少女に変身するッス!』


そう言われたのが一か月前。

たまたまコンビニに行きたくなって、夜に出歩いていた時のこと。


「リリィ、あれはなんだったの?」


お昼休みの屋上。

一人、そう呟いたわたしの問いかけに応えるように、小さな青い鳥が肩に停まる。


「あれは、多分あの少年の特別な力だと思うッスね」


この鳥こそが、わたしが魔法少女なんてものになるきっかけになってしまった、リリィだ。

わたしにステッキを渡して、魔法少女になれなんて言っていた割に、なにも知らない。


「あの薄い光が私とあの人を繋いだ時、私の中にすごい力が湧いてきたの。まるで、彼の力が私の中に流れ込んできているみたいだった」
「うーん……。あの少年を、もう一回見つけられればいいんスけど」


頭を悩ませるわたしたち。

探すと言っても、手掛かりも何もないし……

この町を闇雲に探すなんて、かなり骨の折れる作業になってしまう。

わたしたちが悩んでいると、突然屋上の扉が開け放たれる。


「まずは……えっと……!リリィ隠れて……!」


慌ててリリィをわたしの陰に隠して、やってくるのが誰か、気を張る。


「意外と寒いな……」


熱い何かが、体を走った。

体の中のエーテルが活性化するような感覚。

昨日、彼と繋がった時と同じ感覚。


「……これって、もしかして」
「もしかするッス。声かけてみるッス」


立ち上がって、扉を閉める男子生徒に近づいてみる。

彼とわたしの間に、昨晩と同じエーテルのパスが繋がる。




・・・




「えっと……。なんの御用でしょう……?」


たまたま、お昼ご飯をいつもと違う場所で……なんて思って屋上に来ただけなのに。


「このエーテルのパスが物語ってるッス!」


中西さんはまだしも、喋る鳥に詰められている。


「あなた、昨日の夜のことは誰にも話してない?私があんな活動してるなんて、あまり知られたくないし……」
「話す何も、話したところで誰も信じてくれないだろうし……。てか、このウヨウヨが繋がってるってことは、中西さんが昨日の魔法少女……」

「まあ……」
「じゃあ、改めて。昨日はありがとう。おかげで今日も、生きてる」

俺の言葉を聞いて、中西さんは微笑んだ。


「こちらこそ、ありがとう。あなたのおかげで何とか勝てたから」
「あれ、なんだったんだ?」

昨日のあの”怪物”。

人のようで、ヒトでは無いあの”怪物”。


「正直、私にもわからないの。でも、あれは人を襲う」
「ほう……」

「どうしてなのか、とかは私もわからない。だけど、リリィに力を授けられた以上は私のやれることをやらないと」
「すごいね、中西さん」

「そうでもないよ。私も、誰かのためにがんばろうって思っただけだから」


そう言い放つ中西さんを、俺は素直に尊敬した。

それと同時に、あの謎の力が中西さんの為になるというのなら。


「このパス?が繋がってるってことは、俺にも何かできるってことだよね?俺に出来ることがあるなら何でも言って欲しい」
「うぬぼれるんじゃないッス!」

忘れていた、喋る青い鳥にわき腹をどつかれる。


「痛って!何すんだ鳥!」
「鳥じゃなくてリリィって名前があるッス!そして、うぬぼれるんじゃないッス!」

「どういうことだよ、うぬぼれんなって」
「お前は、魔法少女アルルことアルノさんにこのパスを通じてエーテルを送ることはできても、お前自身であの影を倒せるわけじゃないッス!」

「やっぱ、そうなのか」

薄々、気づいてはいた。

俺はあの”怪物”相手に何もできないのだと。


「足手まとい、なんだな」
「バカ野郎ッス!」


もう一度、リリィに横腹をどつかれる。


「お前のエーテルはなんでか知らないけど特別なんス!アルノさんにお前のエーテルを送ると、アルノさんの凄い力が膨れ上がるんス!だから、お前は金魚のフンみたいにアルノさんについてくるといいッス!」
「リリィ、口悪い」

「ついてく、だけか」


悔しい気持ちがぬぐい切れなかった。

だとしても、このパスを通じて中西さんに俺のエーテルを送り込む。

それが俺に出来ることなのだとしたら。


「どこまでも、喰らいついて行ってみせるよ」
「うん!よろしく、えっと……」

「佐伯○○です」
「中西アルノです」


差し出された右手。

俺も、その手を握る。

その手に触れた瞬間。


「…………っ!」
「…………!」


何かが、頭の中に流れ込む。

雨の降る夜の街。

片方は両膝を着き、もう片方を腕に抱く。

ぼやけててよくわからない。

だれ……いや、これは俺たち二人だ。

だとしたら、どっちがどっちだ。

その傍らに倒れているのは誰だ……

それにこれは、記憶?

それとも、夢?


「今の、佐伯くんも見えた?」
「中西さんも?」

「なにが見えたんスか!」
「いや、わからない……」

「サエキは使えないッスね。アルノさんはどうッスか?」
「私も、わからない。雨が降ってて……ひどく、悲しい気持ち……」


体が熱い。

何かがぐつぐつと巡る様な感覚。


「そうだ。これについても聞きたいんだけど」


俺はブレザーの袖を捲って、上腕を露出させる。

今朝できていた痣。


「なにこれ……?」

赤みが増して、痣と言うよりも入れ墨くらい濃くなっている。


「朝起きたらこの赤いのができてたんだ。でも、今は朝よりも濃くなってる」
「痛くはないの?」

「痛みとかは全く。リリィは何かわかるか?」
「なーんもわかんないッス」

「まあ、いいか」

ブレザーの袖を下ろして、痣を隠す。


「もうすぐ午後の授業はじまっちゃうし、教室戻ろっか」
「もうそんな時間!?ご飯全然食べられんかった……」


時間を確認して、立ち上がった時だった。

痣が熱を持つ。


「なんだこれ……!」
「影が出た……!」

「マジか!すぐ行こう!」

俺たちは階段を駆け下りて、学校を出る。

こんな明るい時間帯。

被害者が出るかもしれない。


「私、先に行くから!」

ちょっと目を離したすきに、中西さんは昨日の夜と同じ姿、魔法少女アルルとしての姿に変わっていた。


「パス、辿ってきて!」


そう言った中西さんは、ふわりと飛んでいった。


「辿ってきてって言われても……!」


中西さんの姿はどんどんと遠のいていく。

走ったって、絶対に追いつかない。

俺は駐輪場まで走って、急いで自分の自転車にまたがる。


「パスは……あっちか……!」


薄く伸びたパスを頼りに、ペダルを踏む。

季節は秋だとは言え、全力で自転車をこげば汗も溢れる。

肺がつぶれそうな思いをしながら着いたのは、学校からそこそこの距離がある河川敷だった。


「遅いッス!」
「しょうがないだろ......!こっちは普通の人間……」


視界に入った影。

あの時の”怪物”と一緒だ。

だけど、その戦い方には違いが見て取れる。

この間の”怪物”は腕がハンマーみたいになってたけど、今回の”怪物”はナイフみたいになってる。

それになによりも中西さんが戦いにくそうにしている理由。


「子供が……!」

中西さんが気にしているのは、背後の子供。

一人しかいないが、その子を守りながら戦うのはかなりきつそうだ。


「ついてくだけ……」

この状況で、俺ができることは。


「ついてくだけじゃ……ないよな!」


俺は力強く地面を蹴った。


「佐伯くん……!」

中西さんが俺に気が付く。

この前は確か……

俺は、右手を中西さんにかざして念じる。

パスの色が濃くなって、体にドッと疲れが押し寄せる。

しかし、それで止まってもいられない。


「佐伯くん!」
「任せろ!」

一歩、力強く踏み出して、女の子を抱きかかえる。

そのまま高架下まで駆け抜け、柱を壁にして戦闘を覗く。


「おねえちゃん……負けちゃう……?」


泣くでもなく、喚くでもなく。

女の子は、自分のシャツの裾を固く握りしめたまま中西さんの心配をする。


「大丈夫。お姉ちゃんは負けないよ」
「当然ッス!」

「リリィ、俺には何ができる?」
「さっきも言った通りッス!サエキに出来るのは精々アルルさんにパスを通じてエーテルを送ることくらいッス!」

「確かこれって、近ければ近いほどいいんだよな」
「サエキ、何考えてるッス?」

ここからは約四十メートル。

それじゃ、ロスも大きいはず。


「そんなの一択だろ!」


重い体で柱から飛び出す。

右手を中西さんにかざすと、腕に巻き付いた痣が熱を持つ。


「佐伯くん……!」
「俺のエーテル全部……」


中西さんまで、あと十メートル。


「中西さんに……」

あと、五メートル。

何かを察知したであろう”怪物”が俺に狙いを定める。

重い足取りの俺なんかより、はるかに速い距離の詰め方。

黒い鎌が俺の首を捉え……


「届け……!」

手と手が触れる。

痣は、痛みを伴って赤く輝く。

俺にすらわかる、大きなエネルギー。

”怪物”ですら怯むほどのエネルギー。

俺は思わず、そのエネルギーに吹き飛ばされる。


「ありがと、佐伯くん……!」


光。

昼間にも関わらず。

太陽の眩い光があるにも関わらず、俺はそれに目を眩ませた。

あの夜に見た光よりも数段上の輝きを見せて、中西さんの持つステッキからそれが放たれる。

途端、衝撃と砂埃。


「どうだ……!」

それが晴れ、肩で息をして立つ中西さんの姿が浮かぶ。


「ナイス、佐伯くん……!」
「中西さんの方……。な、これ……!」

腕が、灼けるように熱い。

剥がされるように、痣が一つ、消えていく。


「佐伯くん、どうか……」
「…………っ!」


頭が痛む。

何かが、流れ込んでくる。


「あ……ぅ……」

目の前が、真っ暗になる。




==========




「今日も、来ちゃった」
「ごめんね、○○。いつも……」

「ごめんじゃなくて、」
「うん。ありがとう、だよね」


ひどく暑い日。

室内に居たって、汗が伝う。


「今日は……まあ、特に何も話題も無いんだけどさ」
「ふふ、そんなことだろうと思った」

「バレてたか~」
「でも、○○が会いに来てくれるだけでうれしいよ」

「今の気分は、どうだ?」
「まだ、胸の辺りがもやもやするかな……」

「眠れてる?」
「あんまり……」

「ご飯は?」
「ちょっとだけ……」

「そっか。外、出れそうか?」
「○○と一緒なら、出られる……かも……」

頬を微かに赤く染めて、アルノは小さく呟く。

とはいえ、今の気温は辛いところだろう。


「じゃあ、夜にでも散歩してみるか。何かあったら、俺が守るからさ」
「うん……!」




===========




「ん……。ん……?」


真っ白な天井。

程よく固いマットレス。

知らない部屋。


「あ、佐伯くん、起きた?」
「中西……さん……?」

「水飲める?」


上体を起こすと、ベッドの傍らに場所を移した中西さんが水の入ったカップを渡してくれる。

俺はそれを飲み干して、止まっていた思考を再び回す。


「ここって……」
「私の部屋だけど」

「部屋……!?」
「だって、佐伯くん急に倒れるんだもん。リリィと一緒に運ぶの大変だったんだよ?」

「あいつ何者だよ……」
「感謝の一言もないとは、サエキは薄情な奴ッスね」


中西さんの背後からリリィが顔を出す。


「それは……そうかも。ありがとう、中西さん。それにリリィも」
「こちらこそだよ。佐伯くんがエーテルを送り込んでくれたおかげで今回もあの影を追い払えたんだし!」

「今日はいい活躍だったッス!褒めてやるッス!」


なぜか偉そうなリリィに苦笑いを浮かべると、一発横腹をどつかれる。


「体調はどう?」
「疲れてる感じはするけど、問題はないと思う」

「よかった」
「いつまでもお世話になってるのも申し訳ないし、帰るよ」


ベッドから降りて、中西さんからバッグを受け取る。


「待って」

部屋から出ようとした時、中西さんに呼び止められる。


「佐伯くんは見た?」
「見たって……?あ、夢のこと?」

「うん。新しい、記憶……なのかな?」
「他人事って感じはしないよね」

「あ、ごめんね。佐伯くん、きっとすごく疲れてるのに。また、今度考えよ?」
「そうしよう。じゃあ、おやすみ、アルノ中西さん

「…………?おやすみ、○○佐伯くん


中西さんの家を出て、夜の住宅街を一人歩いている中でも、今日見たあの夢が頭から離れない。


「にしても……」

俺は、基本何もできないお荷物だ。

中西さんばかりに負担を強いて、中西さんだけに戦わせて。

せめて、自分の身くらいは守れるようにならないと。


「走って帰るか……!」

軽く準備体操をして、俺は徐々に速度を上げた。




・・・




それから一、二か月中西さんと一緒に影を倒して回って気が付いたことがある。


『最近は、手が凶器になってるような"怪物”が出てこないね』
『普通のタイプは佐伯くんからたくさんエーテルを貰わなくても大丈夫だね』

中西さんと初めてパスが繋がった夜。

あの時の"怪物"は、手がハンマーみたいになっていた。

次の日はナイフ。

しかし、最近は手が変形したようなタイプを見ない。

そこから立てた仮説は、手が変形している"怪物"は強いタイプのもの。

という簡単なもの。


『そう言えば、俺とパスがつながる前はどうしてたの?』
『その時までは、最近の"怪物"みたいな弱いやつとしか会わなかったんだよね。だから、私一人でもなんとかなってたの』

『そうだったんだ。じゃあ、強いのが出てきたのって……』
『佐伯くんと出会った日が初めてかな』


そっか。

そっか……


『それって』
『「状況証拠的にはサエキのせいッスね」ってリリィが』

『言うなよ!俺だってそうかも……とか思ってたんだから!』
『なにか原因があるのかも……』


「ここを……佐伯!」
「は、はい!」

突然名前を呼ばれて、思わず声が裏返る。


「話聞いてたかー?」
「聞いてませんでした!」

「五十八ページの問七だ。ちゃんと話聞いとけよー」
「すんません!」


『放課後、屋上集合ね!』

何とか問題を解いて、席に着きスマホをチラ見するとそんなメッセージと共にウォンバットのスタンプがきていた。




・・・




「やほ」

屋上に着くと、すでに中西さんはベンチに座ってリリィと戯れていた。


「遅いッス」
「すまんって」

俺も、鞄を肩から下ろして中西さんの隣に座る。


「ねえねえ、佐伯くん」
「なに?」

「突然だけどさ、デート行かない?」
「…………………………え?」

「ほら、私たちって言っちゃえば命を預けあう間柄の訳ですよ」
「それはそうだね」

「なのに、私たちってお互いのこと何も知らないじゃんって思ってさ」
「あー……まあ、確かに……?」

「だから、明日とか出かけようよ。映画でも見に行こ」
「うん、いいね」

「一日二本とかは余裕だし、佐伯くんが見たい映画と私が見たい映画一つずつにしよ」

そう言って、中西さんが近くの映画館で上映されている映画を調べ始める。

というか、はたして一日に二本は余裕なんだろうか。


「私はこれ見たい!」
「それ、童話を実写化したやつだっけ。俺は……これかな」

「それ、クラスのみんなも観たって言ってるやつだ」
「こういうのって、なんかきっかけないと見ないじゃん?」

「確かに。じゃあ、決まり!……てことで本題ね」
「"怪物"か……」

どうして生まれて、どうして人を襲って、どうして戦わなくてはならないのか。

俺は中西さんの方をちらりと見る。

中西さんばかりが戦って。

中西さんばかりが傷ついて。


「どうかした?」


どうにかして、中西さんが戦わなくてもよくなる方法はないのか。


「今の俺たちの戦い方は対処療法だから、あの"怪物"が発生する原因を突き止めて、その原因から解決しないと……」
「しないと?」

「…………!あの"怪物"たちとの戦闘での被害は大体ガス漏れの事故って報道されてるだろ?でも、この辺でしかそんなニュース聞かないんだよ」
「あぁ!確かに!」

「だから、原因はこの土地にあると思うんだ」


あとは原因か、法則か。

それを突き止めて叩き潰せば。


「ただ、何にも手掛かりもないし、見当もついてないんだけどね」
「だよね、私も。リリィは?」

「うーん……。なにか思い出せそうな気がするんスけどね……」


中西さんの肩に停まって、羽で頭を抱えながら唸るリリィ。

ただ、いくら考えても答えは見つからなくて。


「今日は一旦解散しよう!明日めいっぱい楽しんで、それから考えればいいよ!」

中西さんの一言で今日は解散することになり、駅まで中西さんを送り届けたころには、もうすでに陽は沈みかけていた。


『明日は駅前に集合だからね』
『遅刻しちゃダメだよ!』

別れてからすぐに来たメッセージ。

それに心を躍らせる自分が、なんだか恥ずかしかった。




・・・




翌日。

午後一時。

私は、ブティックのガラス窓で髪をチェック。

前髪は割れてない?

毛先はおかしくない?

集合時間まであと五十分もあるというのに、そわそわしてしまう。

彼のことを想うと、どうしてだか胸の奥の方が苦しくなって。

一目ぼれっていうのはこういうことを言うのかな。

もう一度携帯で時間を確認したって、時計はちっとも進んでない。


「ねえねえ、お姉さん一人?」


顔を上げると、そこには壁があった。

大学生くらいかな。

ピアスとか、ネックレスとか。

へらへらとした笑顔も、いい印象を持たない。


「暇?暇だよね。じゃあさ、俺たちと一緒にこない?」
「あの、人を待ってるので……」

「いいからいいから」

腕を掴まれて、引っ張られる。

相手のことを何も考えていないエスコート。

変身していない私なんて無力なもので、こんなやつらにも抵抗できない。


「アルノ、お待たせ」


壁が、開かれる。


「ごめんね、待たせちゃって」
「〇……〇……」

ぼんやりとした何かが、佐伯くんに重なる。


《大丈夫?ケガしてない?》

《だから一人で出歩くのは危険だって言っただろ?》

《まあまあ。無事だったからいいっしょ》

《お前はアルノを甘やかしすぎなんだよ》

私は、これと似た光景を知っている。

あれは、いつのことだったか。

どこでだったか。

誰といたか。

何もわからないのに、私の中に確実にある"記憶"。

その記憶に、私は思わず


「ふぅ……大丈夫だった……って、ごめん怖い思いさせて!」


涙を、流していた。

「俺が来るの遅かったから……」
「ち、違うの……!早く来すぎたのは私の問題だし、助けてくれてすごく感謝してる……でも……」


佐伯くんが差し出してくれたハンカチで目元を拭う。

それでも、決壊したダムの様にあふれた涙が収まらない。


「何か、○○との忘れちゃいけない記憶を思い出せそうなの。…….あ、ごめん。呼び捨てにしちゃって」
「いや、全然いいよ。それどころか、そっちの方がなんか自然な気がする。おかしな話だけど、最初からそう呼んでたって言うか、そう呼ぶのが自然って言うか……。とりあえず、近くのカフェにでも入ってゆっくりしよっか」


そう言って、佐伯くんはそっと私の手を握る。

その体温すらもなんだか懐かしい気がして。


「ごめんね。ほんと、まだそんなに時間たってないのに迷惑かけてばっかりだ……」
「いいんだよ。なんか、こうやってアルノの手を引くの初めてじゃない気がして俺も嬉しいし」

「今、アルノって……」
「アルノだって俺のこと○○って呼んでるし、いいだろ?」

「うん……!」

いたずらに笑う○○。

やっぱり、彼と私はどこかで出会ったことがあるんじゃないかな。

なんて、思ってしまう。




・・・




アルノに、「○○」って呼ばれたとき、俺の奥底にあった残り火みたいなものが勢いを取り戻していくような感覚がした。

アルノをナンパから助けたとき、なぜだか俺がそうするのが当然なような気がした。

今は守られっぱなしのはずなのに、俺がアルノを守らないとっていうのが俺の使命のような気がした。


「ありがと、○○。落ち着いた」
「じゃ、映画行くか。アルノが見たいって言ってたやつからにしよう」

「いいの?」
「もちろん。だって、アルノが誘ってくれたんだから」

「やった」


休日の映画館は大盛況で、流行りの映画やら話題の映画やらが上映される部屋には大勢の人がなだれ込む。

にもかかわらず、俺たちの向かうところには人っ子一人いやしない。


「もしかして、貸し切り?」
「じゃないけど……近いよね」


予告が終わって本編が終わるころになっても俺たち二人だけ。


「これなら、鞄の中に入ってるリリィも出てきて大丈夫かも」
「たしかにね……って、リリィは鞄の中に入れておいても無事なの……?」

「あまり舐めないでほしいッス。サエキみたいにやわな鍛え方してないッス」
「お、元気だ」

リリィは一丁前に俺たちの前の席の背もたれに停まって大きなスクリーンに目をやった。


「はじまるね」




・・・




映画が終わって、ぼんやりとした黄色いライトが部屋を照らす。


「ロマンチックだったね」
「ちょっと、恥ずかしいよな……ああいうの見るの……」

「お姫様のキスで目覚めるなんて、夢があるッスね」


ロマンチックな映画。

アルノと並んでみるのはすごくドキドキしたけれど、それもまた乙なものだ。


「このままはしごしちゃおっか」
「そうだね。時間は……」


夜七時。


「このペースならいけそ……」


痛み。

熱さ。

腕の痣に流れるエーテルが、意志を持って暴れ出す。

アルノと俺は顔を見合わせる。


「"怪物"が出たかもしれない」
「うん。私も感じた」

「行こう」

人気のない路地裏でアルノが変身して、先に行かせる。

パスが示す方角は……


「学校の方面ッスね」
「せっかくデート楽しんでたのによ」


俺は学校までの道のりを全力で走る。

今回の反応。

あれだけの痛みは強いタイプのやつの可能性が高い。

それならば、アルノ一人では分が悪い。

光の柱。

大きなエーテルの反応。

見えてきた学校。


「アル……ノ……?」

俺の目に入った光景。

グラウンドに横たわるアルノと、佇む影。


「ウソだろ……」

こんな短時間で。


「アルノ……!」

慌ててアルノに駆け寄る。

息はある。

しかし、気を失っていてとても戦える状態じゃない。

どうする。

このままじゃあいつが野放しになる。

あいつは人を襲う。

誰かがやらなきゃいけない。

誰か。


「俺が……」

中西さんが握っていたステッキを手に取る。


「なに考えてるッス!」
「だれかがやらないと、この町が危ないだろ」

「それはそうッスけど!一度立て直して……」
「それじゃ、守れない!」


痣が熱を帯びる。

ステッキの先から、光でできた刀身が現れる。


「うわ、こんな機能もあるのか」


戦闘経験なんて皆無。

そのはずなのに、なぜかしっくりくる。


「リリィはアルノのこと頼む」


小さく息を吐いて、俺は少しずつ"怪物"との間合いを詰める。

相手をよく観察しろ。

今回の"怪物"は手に剣を持っている。

間合いは俺と同じくらい。

背格好は今までの奴と変わらない。

防御を固める雰囲気もないし、仕掛けてくるとしたら……


「…………!」

地面がえぐれるほどの踏み込みで、"怪物"が俺に向けて突進してくる。

音を立てて空気を切り裂き、剣が振り下ろされる。

俺が後ろに飛びずさりそれを避けると、地面に突き刺さった剣が砂を舞い上げる。


「っぶね……!当たったら死ぬな……」

あいつは俺の命を狙っていて、俺もあいつを倒したい。

命と命のやり取り。

ひりつくほどの緊迫感。


「久々だな……」

お互い、再び間合いを図って相手の出方をうかがう。

地面を踏み込むかすかな音。

殺気。

"怪物"の剣が首めがけて振るわれる。

間合い、速さ。

避けきれない。

俺は咄嗟に、間に刀身を挟んで防御をする。

このままじゃ勝てない。

痣が熱を持つ。


「俺に、力貸してくれ」

灼ける様な痛み。

体の奥底からあふれ出す力。

自分が自分じゃないような。

それでも、これは自分であるかのような。

元々、俺はこうであったというような。


「サエキ……」
「体が軽いよ」


グッと沈んで。

弾くように体を前進させる。

黒と白の光が交差する。

払いぬいた右腕。

吹き飛ぶ影。

さらに加速し、倒れ込む"怪物"の頭めがけて逆手に持ち替えた剣先を振り下ろす。

強いエーテルの反応を放出しながら影が霧散する。

光でできた刀身はいつの間にやら消え去っている。


「アル……。っ!」

激しい痛みと共に、頭の中に何かが流れ込む。

いや、流れ込んでいるんじゃない。

元々あった記憶が……


「アル……ノ……」

膝を着いて、痛みを耐えながら横たわるアルノに手を伸ばす。

今度こそ、俺は、アルノを……






…….後編に続く


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