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ひまわりと月明 『第11話』

指の震え、膝の震え、肩の震え、視界の震え。

木枯らしが落ち葉を舞い上げる音も、雑踏も、今日は無駄に大きく聞こえる。

会場は前よりも大きいし、参加者も観客も前よりも多い。

前回出たコンクールとは規模もレベルも違う。

体の芯から震える感覚。

腹の底がむずむずとする感覚。


「○○……」
「…………あ、ごめん。ちょっとぼーっとしてた」

「ネクタイ、ずれてるよ」
「うわ、ほんとだ」

「直してあげる」

ぴしっと立っててとアルノに指示されて、僕はそれにおとなしく従う。

一度緩められて、再び崩れたりなどしないように結びなおされるネクタイ。


「ねえ、私の手、こんなに震えてる」
「ほんとだ。なんでアルノの方が緊張してるんだよ」

「だ、だって……!今日の結果次第で、○○の将来が決まるかもなんでしょ?」

今日の結果の如何で、僕はこの先どのように歩んでいくのか決める。

もう一度夢を追うのか、元歩んでいた道に区切りをつけるのか。

指が震える。

膝が震える。

肩が震える。

心臓が震える。

心が震える。


「○○も、震えてるじゃん。緊張してるんだ」
「緊張……」

そうなのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。

緊張も、恐怖も、憂いも。

どれをとってもこれとは言えない感情。


「緊張ってよりかはさ」


冬の入り口。

佇む街路樹には数えるほどしか葉が残っておらず、その周りを取り囲む草花もどこか寒さに身を竦めている。

しかし、それとは対照的に、雲一つない真っ青な空は壮麗に僕らを覆い、輝く太陽はゆっくりと氷を解かすように暖める。

息を吸い込めば、およそ不純物など何もないのではないかと思われるほどに澄み渡った空気が肺を駆け巡り、酸素が血液に乗って体中に行き渡る。

自分はこの世界から力を貰っているんだという感覚。

僕は、この世界に生きているんだという感覚。

世界が、僕の音楽を待っているんだという感覚。


「僕は今、早くピアノが弾きたい」


アルノは、僕の発言に驚いて言葉を失っている。

僕の表情を見て呆れたように笑っている。


「でも、アルノからのパワーも、少し貰っておきたい」


僕が差し出した両手を、アルノが優しく包み込む。


「僕が、届ける。××に、僕が、僕の音楽を」
「任せてよ。ちゃんと、作戦通りにやっておくから」

「うん、お願い」
「じゃ、いってらっしゃい」

「いってくる」


入り口をくぐると、別の世界の様に空気が薄くなる。

最後の最後まで楽譜に目を通す者、指を動かしてほぐそうとする者、体を動かして緊張をほぐそうとする者。

それぞれがそれぞれの過ごし方をして、自分の番を待つ。

控室に荷物を置いて、今の自分の体からは震えがなくなっていることに気が付いた。

早く、ピアノが弾きたい。




・・・




陽光のみが導となる病室。

上体のみを起こしたまま、携帯を開く。

四日前に届いたメッセージ。

『ごめん、全国行けなかった』

予選は準決勝で敗退。

高校で全国に行くという夢はついぞ叶わなかった。

しかし、俺が何よりも悲しかった、悔しかったのは全国に行けなかったというところじゃない。

携帯を閉じたって、脳裏に焼き付いて、瞼の裏に張り付いて離れない三文字。

【ごめん】

仲間に、そんなことを言わせた自分が情けない。

謝ってなんて欲しくなかった。

悪いのは俺なのに。

最後まで戦い抜いたみんなは何も悪くない。

悪いのは、戦うことすらしなかった俺の方なのに。

携帯に、一件のメッセージが届く。

『行ってくる』

○○からのメッセージ。

今日は、コンクールの当日。

○○に言われたから、外出の許可は貰ってない。


「おはよ、××」

病室の扉が開いて、咲月が姿を見せる。


「お、おはよう、咲月」

俺は慌てて滲んでいた涙を病院着の袖でぬぐう。


「ここ、個室だから多分いいよね」

そう言うと、咲月はポケットからおもむろに携帯を取り出し、誰かに電話をかけ始めた。




・・・



「演奏番号十七番……」

名前が読み上げられ、僕はステージの中央へと歩みを進める。

こっちから見て右手の奥。

僕をじっと見つめるアルノが小さく頷く。

それにひとまずほっとして、僕は礼をし、ピアノの前に座る。

そっと、鍵盤の上に指を乗せると、ざわついていたホールが一気に静まり返る。

視線が僕に集まる。

ここに居る全員が、僕の音楽を待っている。

一音目。

それを押し込むと、一気に水底へと沈むような感覚。

いつも通りだ。

その海を泳ぐのは、体に沁みこんだ音符たち。

僕は、その音たちを間違えないように旋律へと紡ぐ。

真っすぐ、真っすぐ泳いで行けば間違えることは無い。

これ以上深く潜る必要はない。

僕はいつもそうやって音楽と向き合ってきた。

だけど、これ以上深く潜ったらどうなるんだろう・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今だって、きっとそれなりに弾けている。

これ以上深く潜る必要なんてない。

わかってる。

だけど。

ぼんやりと、深い深いところに見えるもの。

僕は、”それなり”でなんていたくない。

息を大きく吸って、意を決して、僕は海を潜る。

《なんかここさ、駆け足過ぎない?》

潜り切った先。

《そこ、音途切れがちだよ》

音が。

《ちょっと息苦しいかも!》

音楽が。

《もっと音を広くするみたいな方がいいのではと……》

世界が。

《そういやお前さ、演奏終わってから笑ってたよな》

《カッコよかったわ》

輝いていた。

今、僕は音の中で生きている。

今、僕は音を生み出している。

僕の音。

僕の音楽。

当然のことで、忘れがちなことで。

今まで僕は気が付けなくて、ようやく僕はそれに気が付けて。

××のバスケの試合、すごかったな。


あれに勇気、貰えたな。


咲月も、きっとすっごく悩んでたんだと思う。


だけど、やっぱ咲月は強いよ。


それにアルノも。


アルノはずっと……

僕の音は。

僕の音楽は。

みんなと一緒に、みんなのおかげで紡がれてる音楽なんだ。

僕は一人じゃない。

××、咲月、アルノ。

みんなの力を借りてここにいるんだ。

みんな、聞いてくれてるかな。

でも、もうすぐ演奏が終わっちゃう。

僕らの音楽が終わっちゃう。

ああ、楽しいな。

楽しかったな。

また、弾きたいな。




・・・




その演奏は、見えていたわけじゃない。

音質だって通話越しでとてもいいと言えたものじゃない。

だけど、俺は言葉を失った。

これほどまでに美しい音楽があるんだ。

これほどまでに胸を打つ音楽があるんだ。

音楽を、この電話を通して○○が語り掛けてくる。

自分は、先に行くぞと。

下ばっか向いてるのはらしくないぞと。

お前は、一人じゃないんだと。

嵐のような喝采。

見えてないけど、今の○○がどんななのかは想像つく。

多分、今の○○はめっちゃかっけえ。

すっげえカッコいいんだと思う。


「は……くっそ……」

笑いがこぼれた。

涙が零れた。

めちゃくちゃ心が熱い。

どうしようもなくバスケがしたい。

固く握った拳。

その上にそっと咲月の手が添えられる。


「わかるよ、××の気持ち」
「なんも言ってないのに?」

「バスケ、したいんでしょ?夢、あきらめたくないんでしょ?」
「ああ」

「××がもう一回バスケ出来るようになるまで。それまでのリハビリとか多分すっごい大変だと思う。だけど、私が絶対、最後まで、××のこと支えて見せるから!」


咲月が真っすぐに俺の方を見つめる。

その瞳は、決して曲げてなるものかという決心に満ち溢れていた。


「咲月」
「ん!」

「俺、咲月のそう言うところが好きだ」
「……ん?……え!?」

「あ、いや、えっと……」

カッと体温が上がる。

自分は何を言っているんだ。

今すぐにでも布団に潜ってしまいたい。

でも、一番のチャンスはここかも知れない。


「俺、ずっと咲月のことが好きだったんだ」

「えっと……うん……。その……。その気持ちは、すっごいうれしい。嬉しいんだけど……私は、さ。私があんまり好きじゃないんだ。私なんて空っぽで、みんなみたいな夢も目標も無くて、さっきも支えるとか言ったけど、正直私にできることなんて何があるんだって話だしさ……。それでも、××の気持ちはすっごく嬉しい。嬉しいんだけど……受け止められるかわからない……」


言葉を何度も詰まらせながら、咲月は続ける。


「なんで、××は私を好きって言ってくれるの?」


幼いころの思い出。

”僕”を変えてくれた、少女との思い出。


「咲月がどう思ってるかはわかんないけどさ」


その手に引かれて。

その輝きに惹かれて。


「俺の手を最初に握って。俺を太陽の下に連れ出してくれたのは、咲月なんだよ」


木偶の坊って呼ばれてた。

自分には何もないって思ってた。

そんな”僕”に、バスケやろうって言ってくれた。


「あの時、咲月が俺の手を引いてくれたから今の俺があるんだ。ありがとう」
「ど、どういたしまして」

「あの頃からずっと、明るく俺のことを照らしてくれる、太陽みたいな咲月のことが好きなんだ」
「そっか……。そっか。うん」


咲月は、何かを飲み込んだように頷く。


「ありがとう、××。だけど、返事は後でもいいかな?××の気持ちをちゃんと受け取れる私になったら、改めてお願いしますって言うから」
「ああ、いつでもいいよ」


血の流れが速い。

高揚と、喜びと、その他諸々。

早く、バスケしてぇな。




・・・




多分、自分にとっての音楽の核心っていうものがあったのだとしたら、きっと僕は今日それを掴んだんだと思う。

音は、音楽は僕が思っていたほど苦しいものでも、怖いものでもない。

僕の音楽は、僕一人で作っていたんじゃない。

やっとわかった。

時間はかかっちゃった。

僕は、このままやっていける。

そんな感覚が、掌に残る。

そう言えば演奏中、みんなの顔が浮かんだな。

ピアノに絶望したあの日から、みんなにはたくさん支えて貰って、迷惑かけて。

今日、こうやって音楽が楽しいって思えたのもみんなのおかげだ。

ありがとうって、伝えなくちゃ。

××にも、咲月にも。

でも、やっぱり一番に伝えたいのは……

控室から出ると、たくさんの人の中、たった一人に視線が吸い寄せられる。

僕は、その人に向かって一直線に駆け出す。


「○○……!今回、ほんとにすご……!わぷ……!」

頭でなんて、考えてなかった。

体がというより、心がそうした。

僕は、どこか興奮冷めやらぬといった表情をしていたアルノを強く抱きしめた。


「ちょ……!○○……!?周り、人……」
「アルノ」

「は、はい……!」
「好きだ」




………つづく

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