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バス停で一目惚れした想い人は、もうすぐ卒業してしまう先輩だったようです

俺は、高校二年の一月下旬にしてようやく勇気をだす決心を固めた。

なんのって?

毎朝バス停で出会う、俺が一目惚れをした女子生徒に声をかける勇気だ。

制服に着替え、洗面台の前に立ち、深呼吸を一つ。

水を流して、器のようにした両の手に溜めて顔を洗う。

水の冷たさに顔を刺激されて少し目を瞑る。

タオルで水滴を落として、そのまま鏡を見ながら髪をセット。

「よしっ……!」

七時十五分。

準備は万端。

俺は力強く玄関から一歩踏み出した。


バス停の先頭。

俺はいつものようにスマホをいじって待っていた。

ふと隣に気配を感じて横をちらりと見る。

約二年間、毎日同じバス停でバスを待つ女子生徒。

名前は辛うじて知っている。

図書委員である彼女に会いに図書室に行ったとき、借りる際にカードに『中西』とサインがされていた。

そんな彼女はスマホではなく手に持った本に集中していた。

マフラーを巻いて白い息を吐く彼女。

その眼差しはその本から離れることなく、まるで別の世界に入り込んでいるみたいだった。

俺は少しでも話すきっかけになればと、彼女がどんな本を読んでいるのか、ゆっくりと覗き込む。

何度かそうしているうちに、とうとう彼女と目が合う。

「あの、どうかしましたか?」

怪訝な顔をして、彼女が俺に尋ねる。

「あ、えと……」

まさか、彼女の方から声をかけてくるなんて思っていなかった。

突然の出来事に動揺して言葉が詰まってしまう。

「本、好きなんですね」
「…………?」

ぎこちない会話。

俺の切り出し方に彼女は首をかしげている。

「ぷっ……!」

かと思いきや、何やら顔を背けて肩を震わせはじめた。

「あはは!……うん、好きだよ本。君もよく本を読むよね、二年生の成瀬くん」
「なんで俺の名前を?」

「よく図書館来てるから、貸出履歴でよく見るもん」
「あ、確かに……」

彼女の言うことに感心していると、坂を上ってバスがやってくる。

バスは目の前に止まり、その扉を開く。

ゆったりと揺れるバスの中。

その中で少しでも話が出来たらと思ったが、続々と乗ってくる生徒やサラリーマンに押しのけられてだんだんと離れてしまう。

結局、学校前に着くまで一度も会話は出来なかった。

彼女は、バスを降りて雪の避けられた昇降口へ続く道を歩く。

何か。

何か、声をかけなければ。

そうしなければ、今までと何も変わらない。

「あの名前は……!」

今度は、俺の方から。

彼女は足を止め、その身を翻す。

「中西アルノ。また図書室で待ってるよ、”後輩”くん」

彼女はそのまま、昇降口に姿を消した。

ようやく名前を知れた。

大きな進歩……

って、今、後輩くんって言った?

てことは、中西さんは中西先輩で……

卒業してしまうまで、もう時間が無いってことだ。

中西先輩ともっとお近づきになるのを急がなければ……!


意気込んで、俺は図書室のドアに手を掛ける。

大きく息を吐いてそれを開くと、中西先輩の姿はいつものカウンターにあった。

「やっぱり来た」

俺に気が付いた中西先輩は、開いていた本から顔を上げ、小さな声でそう言い、微笑んで手招きをしていた。

「はい。でも、今日中西先輩の当番の日じゃないですよね?今日は金曜日ですし」
「うん……今日は暇だからボランティアみたいな感じ」

「ですよね」
「なんで当番じゃないとか知ってるの?」

「先輩に会うために、何回も何回も図書館通ったので」
「ちょっと気持ち悪くない?」

そう言われ、俺は自分の行動のキモさに気が付く。

やってること、ほぼストーカーじゃん。

「すみません!確かに、めっちゃキモイです!」
「ふふ、冗談だよ」

彼女は口元を手で隠しながら小さく笑った。

思いのほか、無邪気な笑顔だった。

今まで、バスを待っているときも、図書館にいるときも、中西先輩の笑った顔を一度も見たことが無かった。

かなりクールな人なんだと思っていた。

だから、こんな無邪気な笑顔を見せるんだって、なんだか特別な一面を見れた気がして心が踊った。

「今日は、どんな本を借りに来たの?」

浮かれた俺なんてお構いなしに、アルノ先輩は会話を続ける。

「特にこれといったものは決めてないんです。その……先輩とお話できたらと思ってきたので……」
「…………!」

中西先輩は、目を大きく見開き、口を半分開けて、それはそれは綺麗な驚嘆の表情を浮かべていた。

「あの、先輩?」
「いや、ちょっとびっくりしちゃった」

先輩の指先から本が落ちるように閉じられた。

静かな図書室にページがパチッと重なる音が響く。

いたずらに、俺に微笑みかけながら。

「じゃあ……」

中西先輩は本の整理をしている別の図書委員に声をかけて、先ほどまで読んでいた本を鞄に丁寧にしまい込む。

「一緒に帰ろっか」

バスが来るまで、三十分ほど。

とんでもないチャンスが舞い込んできた。


「ねえ、○○くんは……」
「え、あ、はい、何でしょう!?」

バス停で冬の冷たい風を二人で感じていた時。

急に先輩が名前で呼んできたことに動揺して、声が上ずってしまう。

なんでこんな急に距離を縮めてきたんだ?

ドキドキと、心臓が鼓動を早くする。

「下の名前で呼ぶのは早かったかな?」
「いえ、大丈夫です」

先輩は、俺の動揺に気が付いたようで、からかうように目を細める。

それでも、何とか俺は平静を装って会話を続ける。

「それで、何を言おうとしてたんでしょうか」
「○○くんはどんな本が好きなのかなって思って。借りるジャンルは結構バラけてるじゃん」

「そうですね……ミステリーとかですね。あと、恋愛小説も結構好きです」
「恋愛小説……オススメとかある?」

「それなら……!」

ちょうど、鞄の中に入っていた本を先輩に手渡す。

「その本、めちゃくちゃ面白いんです!」
「ありがと、読んでみる」

「先輩のオススメは何かありますか?」
「そうだな……いっぱいあるんだけど……」

「明日持ってくるね」
「先輩、明日は学校休みです」

一拍、間があって、耳まで赤くなった先輩は顔を背ける。

「あ、そうだっけ……」
「先輩、最近毎日のように図書室にいるから曜日感覚おかしくなってるんじゃないですか?」

「そう言うこと言うんだ!」

俺がさっきのお返しと言わんばかりの軽口をお見舞いすると、先輩は俺の肩を叩いて反撃してくる。

あんまり、痛くないけど。

バスが背後に止まり、俺達はそこに乗り込む。

ぽつぽつとしか乗客がいないバスの中。

俺達は一番後ろの席を確保する。

結局、バスがいつものバス停に止まるまで、先輩との読書トークは止まらなかった。


部屋で椅子に座りながら、ぼーっとただただスマホを眺めていた。

【あるの】

可愛らしい、三文字のユーザーネーム。

トカゲ?のアイコン。

『明日、暇?』
『暇ですけど』

『ちょっと、買い出しに付き合ってよ。私のオススメも教えるからさ』
『はい、よろこんで!』

『じゃあ、連絡先交換しよ』

明日、いつものバス停集合ね。遅れちゃだめだよ                                      
20:56
了解です!
既読20:59                                                                                                                                          

まさか、一日でこんなに話せるようになるとは。

連絡先も交換して、明日は先輩と一緒に出掛けて……

あまりにとんとん拍子で進むもんだから、頭が追い付かない。

先輩の、連絡先。

ふと目をやったところを見て、あることに気が付く。

名前の下、3/17と書かれた誕生日。

あと、二か月も無い……

それまでに、お祝いできるくらいには仲良くなれるといいな。


「お待たせ」

ふわりと黒髪を揺らして、先輩が俺の視界に飛び込んでくる。

いつものマフラーを巻いて、ベージュのダッフルコートに身を包んで。

制服の時とそんなに変わらないのに、こんなにもドキドキするのはきっと俺が今日のデート(仮)を意識しすぎているせいだ。

「いえ、俺もさっき来たばっかなので」
「よかった」

しばらくして見えてきたバスに乗り込み、学校前のバス停を通りすぎる。

いつもと同じバス。

いつもと違う行先。

バスの傾きに身を委ねて先輩がゆらゆらと揺れるたびに、サクラの匂いが優しく俺を包む。

「どこまで行くんですか?」
「隣の市の本屋さんが結構品ぞろえいいから、そこ行こうかなって」

バスは市街地を進む。

揺れも傾きも収まっているのに、先輩は未だに小刻みに揺れている。

子どもみたい。

そんな風に思ってしまった自分を戒めて、心を落ち着けるように窓の外を眺めることにした。


『ちなみに私もそれが一番オススメかな。映画化もするし』
19:45

本屋で小一時間、先輩のオススメの本をニ十冊ほど教えてもらい、その中から五冊厳選して購入した。

『やっぱりそうですよね!じゃあ、一番に読んでみます!』
既読19:45                                                                                                                                              

でも、それ以外に何をするでもなく解散してしまったのは少し……いや、かなり残念だ。

『週明けにでも感想聞かせてよ』
19:46

そのメッセージを目にして、俺はぺらぺらと、本の世界に入り込む。

このシーン、先輩はどんな風に思ったのかな。

この主人公の行動、先輩はよしと思っているのかな。

窓の向こうはどんどんと暗くなり、長針はいつの間にか何週もめぐっている。

そのくらい、俺はこの本の世界に没頭していた。

やがて、最後のページに達し、終幕を迎えた物語に胸が締め付けられた。

深く息を吐いて、俺は本を閉じて天井を見上げる。

長い時間をかけて読み終えた物語の結末に、俺は椅子に座ったまま思案していた。

人によって、解釈が分かれそうな物語と、賛否が分かれそうな主人公。

先輩は、どう思ったんだろう。


すぐにでも、この感情を共有したかった。

でも、メッセージじゃなくて直接話したかった。

週が明けて、月が替わった。

俺はいつものようにバス停でバスと先輩を待つ。

でも、やってきたのはバスだけで、先輩の姿は見当たらなかった。


お昼まで過ごして、違和感を感じた。

なんか、今日は学校に活気がない。

というか静か。

「今日なんか、学校静かじゃね?」
「え、お前知らんの?」

「何が」
「三年生が自由登校になったから普通に人少ないんよ」

…………。

知らなかった。

「そっか……」
「進路決まった先輩は来ないし、決まってない人は自由って感じ」

「お前の意中の先輩も進路決まったから来てないんじゃね?」
「かもしれん」

じゃあ、次に会えるとしたら卒業式の日とかになるんかな。

軽く、絶望。


結局、俺って意気地なしなんだと思わされる日々が続いた。

自由登校で来てないってことは、きっと大学の準備とか、事前の課題とかが忙しいんだろう。

【あの、どこか出かけませんか】

なんども打っては、何度も消した。

他愛無い会話はするけど、どうしてもそれだけは言い出せないまま二月は過ぎ去る。

いつの間にか、ぽつりぽつりと桜が咲き始めていた。


「さて、本日皆さんは卒業という日を迎え……」

眠くなるような挨拶の連続。

心にもやもやと残り続ける後悔。

退場していく先輩たちの背中。

そこにはもちろん中西先輩もいた。

式が終わり、昇降口前は思い出の先輩と写真を撮る生徒でごった返す。

「お前は行かなくていいの?最後になるかも知らんよ?俺も部活の先輩たちと撮りに行くからお前もついて来いよ」
「行く。ちょっと、顔洗ってくるわ」

「おう」

俺はトイレに向かった。

薄暗いトイレの中、流れる水の音。

水を手に含み、一気に顔に当てる。

冷たい水が頬を包み、心地のいい刺激に目が覚める。

あの日と同じ。

あの時と同じ。

洗面台に手をついて、鏡の中の自分と目を合わせる。

頑張れ、俺。

自分にエールを送って、昇降口に走った。


卒業生と在校生でごった返すロータリー。

先輩は、見覚えのある図書委員の子と写真を撮り終えたばかりのようだった。

「先輩!」
「お、○○くん」

「ご卒業、おめでとうございます」
「そんなにかしこまらないでよ」

「写真、とってもらえませんか」
「うん、もちろん」

触れ合う肩。

あの日と同じサクラの匂い。

永遠であってほしいと願いたいほどの時間を、カメラが切り取る。

「寂しくなるね、毎日顔見てた人と離れるのは」
「はい……」

ここぞという時に日和るんだ、俺は。

あの日だって結局、声をかけてきたのは先輩から。

でも、今日くらいは。

「あの、先輩もうすぐ誕生日ですよね」
「うん、そうだよ。知っててくれたんだ」

「その日、俺にお祝いさせてもらえませんか?」

先輩は目を見開いて、吸い込まれる様な黒い瞳が俺を射抜く。

「うん!もちろん、嬉しい!」

俺は、ほっとして胸を撫でおろす。

「では、片付けあるので行きますね」
「うん。じゃあ、楽しみにしてる」

微笑んでそう言った先輩。

その笑顔にますます惹かれて、俺の気持ちは膨れ上がるばかりだった。


綿密に計画を練って、いざ当日。

服装は変じゃないか。

髪型は変じゃないか。

プレゼントは喜ばれるだろうか。

正直、心臓が口から飛び出てしまいそうだ。

平静を装うように、バス停でスマホをいじりながら先輩を待つ。

「だーれだ」

視界が急に暗くなり、かわいらしい無邪気な声が背後から聞こえる。

「先輩ですよね」
「バレたか」

「そりゃ、わかりますよ」

先輩は後ろ手を組んで、ちょこちょこと俺の隣に並ぶ。

「今日はどこ行くんだい?」
「先輩が好きだって言ってた小説が原作の映画を見に行こうと思います」

「いいね、楽しみ」

おそらく最後になるかも知れない、二人隣のバス。

ただ、こちらにも策がないわけじゃない。


映画は、かなり楽しんでもらえたみたいだった。

その証拠に、映画館を出た先輩は、

「あそこのシーンの主人公の葛藤が上手く表現されてたよね!」

興奮気味に映画の感想を語っている。

目がきらきらと輝いて、口調にも力がこもっている。

「確かに、あそこは僕の頭の中で思い描いていた映像がそのまま画面に映し出されたみたいな感じでした」

かく言う俺も大満足で、先輩に負けず劣らずの熱量で語り合っていた。

そんな俺たちを冷静にさせたのは、小さく響いた不思議な音。

「............」

少し顔を赤くして俯く先輩。

お腹の虫が、鳴いてしまったみたい。

「もうお昼ですし、ご飯食べに行きますか」
「うん……」

先輩は、顔を背けたまま頷いた。


お金の無い高校生には、高級店風のイタリアンくらいが関の山。

「美味しいね、結構調べたの?」

でも、先輩が喜んでくれているのでよし。

作戦はフェーズ2。

食事にひと段落ついたら、先輩に誕生日プレゼントを渡す。

そう考えただけで、何も喉を通らない。

それでも何とかタイミングをうかがう。

「あの、先輩」
「なに?」

「こちら、どうぞ」

震える手で、綺麗な包装紙に包まれたプレゼントを鞄から取り出して先輩に渡す。

「開けていい?」
「どうぞ」

丁寧に先輩がラッピングを剥がす。

「わ、マグカップ」
「その、もうすぐ生活も変わると思うので、日常生活で使いやすいものをと思いまして……」

「……そっか、ありがと!大事に使うね!」

今日の予定はもうこれでおしまい。

あとは、解散するだけ。

「ねえ、○○くん。一つ聞いていい?」
「はい、なんでもどうぞ」

「君が私をここまでよくしてくれる理由は何?」

理由。

理由……

そんなの、決まってる。

「好きだからです。先輩のことが」

それ以外に、理由なんてない。

「そっか。ちょっと、考えさせて」

少しだけ気まずい空気のまま、俺達はレストランを出てバスに乗る。

二人の間に、少しだけ隙間を作りながら。


何であんなことを言ってしまったんだ。

後悔しながら、いつものバス停。

「あの、先輩。さっきの……」
「告白のこと?」

「はい。忘れて貰って結構ですので……」
「え、嫌だよ。だって嬉しかったもん」

なんで忘れなきゃいけないの?と言わんばかりの表情で先輩が俺の顔を覗き込む。

「じゃあ、返事は…..!」
「こちらこそ、よろしくお願いします」

涙が出そう。

付き合えたことの喜びと、きっと遠距離になってしまう寂しさで。


三年生になる準備は出来ているかい?
6:31
なんですかその口調笑
もちろんできてますよ!先輩も大学今日からなんですよね?
既読6:33                                                                                                                                                
うん!お互いがんばろ!
6:33

満開の桜が風に吹かれて花を舞わせ、新年度への期待を煽る。

告白して、オッケーを貰った日から先輩には会えていないけど、メッセージから元気をもらっていざ登校。

今日からはいつもバス停にいた先輩は居ないんだ。

それでも、普段と変わらずスマホをいじってバスを待つ。

そろそろ、隣に人がならび始める時間帯。

サクラの匂いに身を包み、本を読む女性が隣に並ぶ。

「…………」
「…………」

「……先輩!?」
「やっと気が付いた!」

いないと思ってた中西先輩。

「なんでいるんすか!?」
「だって、このバスの終点が私の行く大学だし」

「準備で忙しいっていうからてっきり県外だと思ってました……」
「勘違いしてるなぁって思いながら見てたよ」

「じゃあ、教えてくださいよ!」
「聞かれなかったし、おもしろかったし」

なんだか、力が抜ける。

「これで、また一年間このバス停で毎日会えるね」

変わらない毎日。

変わらない笑顔。

「そうですね」

おちょくられていたことは釈然としないが、今は一旦忘れよう。

「今日は座れるかな?」
「つり革届かなかったら捕まってもいいですよ」

「そんなに小さくないし!」

また続いて行く日常を、楽しむために。



…fin

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