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『ひまわりと月明』 第4話

桜の匂いを風が運ぶ。

太陽は微笑むように空に輝く。


「おはよぉ……」
「おはよう」


まだ眠そうに目を擦りながら出てきた咲月。

毎度のことではあるのだが、転んだりしないか心配になる。


「足元気をつけてな」
「うん……」

ほんとに眠そうだな。

昨日の練習長引いて、帰るのだいぶ遅くなったしな。


「よし!」


咲月が自分の頬を叩く。


「目、覚めた!」
「ならよかった」


どうやら眠気を無理やり吹き飛ばしたようすの咲月が、手をグッと握って俺の方を見る。

なんて、毎朝繰り広げられるくだらない会話。


「××、咲月お待たせ」
「いや、ぜんぜん待ってねーよ」


これも、毎朝のこと。

○○とアルノが合流して四人で登校する。


「○○おはよー!」


咲月が○○のところに駆け寄って、隣を確保して歩き出す。

その様子に、胸の奥の方がもやっと苦しくなる。


「朝から元気だな」
「今日から授業開始だから、こうでもして元気出してかないと!」


眩しいほどの元気に中てられて、それはどんどんと大きくなる。

こんなところ、俺はずっと変わらない。


「咲月はほんとに元気だよなぁ」
「そうだね。元気で、明るくて。羨ましいな……」


隣のアルノが呟いた。

その眼は、咲月と○○の方を見つめているんだけど、それよりもっと遠くを見ているんじゃないかって思える。

「……なんかあった?」
「ううん。何にもないよ」


そう言ってアルノは微笑んだけど、やっぱりその笑顔はどこか暗かった。

そんなアルノに、今の俺はちょっとだけ親近感を感じた。


「二人とも遅いぞ~!」

咲月が振り返って俺たちを呼ぶ。


「だってさ」
「行かないと咲月うるさいからなぁ」


心の奥にできた影からは目を背けて、俺は呼ぶ声の方に歩みを進めた。




・・・




「足動かせ!腕下げるな!」


体にはもう水分なんて残っていないはずなのに、汗は無限に噴き出してくる。

腕がちぎれそう。

足もなくなってしまいそう。

だけど、そんな泣き言も言っていられない。

インターハイの県予選はすぐそこにまで迫っている。

うちの高校はウインターカップまで三年生が残る方針じゃない。

それに加えて、『君はまだ実績が少ない。インターハイに出られたらぜひうちの大学に来てほしい』と声を掛けてくれたスカウトの人は言っていた。

絶対に今年は全国に行かないといけない。

吐きそうになりながらも最後まで練習を終えて、汗だくのまま体育館に倒れこむ。


「お疲れ、××」
「あぁ……助かるよ……」


咲月からタオルとボトルを受け取って、よろよろと立ち上がる。

スポーツドリンクを一口のみこむと、ほぼ枯れた植物みたいな状態だった体に水分が補填され、心なしか疲れもちょっとだけ取れたような気がしてくる。


「今日も気合入ってたね~」
「大会近いし、このメンバーで全国行きたいしな」

「さっすがキャプテン!かっこいいね!」


もう時間も遅い。

後輩たちにモップ掛けを指示し、俺もそこに加わる。


「先、部室棟の前で待っててよ」
「はーい」


汗が冷えて、シャツが体に張り付く。

帰ったらすぐにシャワー浴びちゃおう。


「あの、××先輩。ちょっと聞いてもいいですか!」
「おお、どうした?」

「××先輩って、マネージャーの菅原先輩と付き合ってるんですか?」
「な……!」

まさかの後輩からのキラーパス。

あまりに突然のことで、ファンブルしてしまう。


「そういうんじゃねーよ」
「菅原先輩っていろんな人に告白されてますよね?」

「咲月、モテるからな」
「でも、誰とも付き合ってないみたいじゃないですか?先輩、菅原先輩のこと好きなんですよね?」

「咲月には好きな人がいるんだよ。俺たちの……いや、こんなこと話してる場合じゃねーな!早くモップ掛け終わらせるぞ!」


逃げるように、俺はモップを床に滑らせる。

後輩のくせに、痛いところ付いてきやがる。

咲月と帰っているときも、後輩の言葉がどうしても胸に突き刺さったまま。

シャワーの音が、浴室に跳ねてうるさい。

わかってるよ。

咲月のことが好きなんだってことは。

でも、咲月が好きなのは〇〇なんだよ。

ずっと、それを一番近くで見てきたんだから。




ーーーーーーーーーー




僕の憧れは、いつだって○○だった。

僕には体力も無くて、頭だってよくなくて、どんくさくて。

友達も、家の近かった咲月とアルノと、○○くらい。

暗くて、物静かで。

ただ、身長の大きいだけの置物みたいな存在で。

僕を休み時間に遊びに誘ってくれる子は居なかった。

だけど、○○だけは違った。

○○は、僕なんかとは違って、みんなの人気者。

運動もできて、ピアノだって上手。

やんちゃで、元気で、眩しいくらいに輝いていて。

僕にとっては、太陽みたいな存在だった。

僕も、○○みたいに、誰かに誇れる何かがずっとほしかった。

空には太陽が一つだけど、僕にとっての太陽はもう一人いた。


「やーいやーい!でくの坊!」

クラスのやんちゃな男の子が僕を囲んで石を投げる。

小さな石だから大けがをすることは無いけれど、痛いことには変わりない。


「い、いたいよ……やめてよ……」
「お前みたいな、ただでかくて何もできない奴はでくの坊って言うんだぜ!」

「こらー!」

遠くから、女の子の声。


「うわ、咲月だ!」
「××はでくのぼうじゃないもん!」

「女に守られて恥ずかしいやつ!」
「うるさい!××はすごいんだから!」


咲月は僕の前に割って入って、石を投げていた男の子たちを追い払ってくれた。

男の子たちの前に立ちふさがるなんて、無謀もいいところ。

でも、咲月はそんな危険も省みない。

そんな咲月が、僕は好きだった。


「だいじょうぶ?」
「うん……」

「××はでくのぼう?なんかじゃないよね!」
「僕は……○○みたいにピアノが出来たり、運動が出来たりするわけじゃないから……」

「でも、××は大きいじゃん!」
「大きいだけだよ……」

「じゃあさ、今日放課後着いてきてよ!」


言われるがまま、僕は放課後咲月の後に着いていった。

到着した先は、学校の近くにある市民体育館。

知っている子もたくさんいる。

ここで、何があるんだろう。


「体育館で使う靴持ってきた?」
「え、そんなの言われてないから持ってきてないよ……!」

「うーん……」


咲月は腕を組んで、首をかしげる。

そして、何かを思いついたように手を叩いた。


「借りればいいや!行こ!」


咲月に手を引っ張られて体育館の中に入る。

体育館の中では、どうやらバスケットボールの練習が行われているらしい。


「○○、大きいからきっとたくさん活躍できるよ!」
「お、新しい子かな?」

「はい!私のおさななじみの××!」
「身長大きいね。ちょっと参加してみる?」

「でも、靴が無くて……」
「誰か貸してくれる子がいないか声かけてみるね」


そういって、コーチみたいな人は手当たり次第に体育館に来た子たちに声を掛けていき、一足の体育館シューズを持って戻ってきた。


「今日はこれ使っていいって」
「ありがとうございます」

体育館シューズに履き替えて、僕はコートに足を踏み入れる。

いつもの体育とは違う感じ。

なんだか、楽しみな感じ。

僕は、初心者のグループに入って簡単なボールを使った練習に混ぜてもらった。

運動は苦手だったけど、身長が大きかったからか、活躍することができた。

すごく、楽しかった。


「お母さん!」

僕は家に帰ってすぐ、今日のことをお母さんに伝えた。

楽しかったんだって。

それだけを伝える予定だったのに。


「僕、バスケットボールしたい!」

お母さんは、驚いた顔をしていた。

それも当然のこと。

僕が、自分から何かをしたいなんて言うことは無かったから。

この日、僕はバスケットボールに出会った。




・・・




小三でバスケを初めて、それなりに上手くなって。

中学二年の秋には、県大会でも活躍するくらいにはなった。

何より一番は、俺に自信がついた。


「××、ほんとにバスケ上手くなったよね~」
「まあな」

俺もこれで、○○みたいになれる。

俺だって、太陽になれるんだ。

○○に並べた、追い越せた。

そう思っていた時期もあった。


「○○も、またコンクールで一位だったし!」
「そんなでもないよ」

小学校の頃は悪ガキだった○○も、高学年になって、中学に上がってと成長するにつれておとなしい性格になった。

だけど、いつまで経っても○○は俺にとっての太陽だった。

俺がいくらバスケの試合で活躍したって、俺が負けて立ち止まっている間にだって、○○はコンクールで結果を残し続ける。


「○○はやっぱり何でもできるのがすごいよね~!」
「運動は××には勝てないよ」

笑いながらこっちを見る○○。

○○はそう言っていたけど、実のところはそうでもない。

確かにバスケは俺の方が上手いけど、そんなのは経験の差でしかない。

足だってギリギリ俺の方が速いくらいだし、持久走だってそう。

俺にあるものは○○だって持っていて、俺にないものも○○は持っている。

なにより、

「またコンクール行くからね!」


咲月が俺なんか眼中になく、〇〇のことが好きなんだって痛いほどにわかってしまうのが何よりも悔しかった。




・・・




中三の秋。

○○は、この頃のコンクールを総ナメにしていて、音楽科に行くって言っていたのも本気なんだって思った。

だけど、俺だって中学の成績がよかったから県内の強豪校から声がかかった。

俺だって、○○と同じくらいやれる。

○○に負けてない。

○○がどう思っていたかはわからないけど、俺は勝手にライバルだと思っていたから、○○が結果を出すのが純粋にうれしかった。

だけど、ターニングポイントは突然だった。

○○の父さんが死んだ。

○○の両親は離婚していたから、○○は一人で残されちまった。

そんな状況なら普通、泣きじゃくったっておかしくないし、○○もそうなるなんて思っていた。

だけど、○○は違った。


「○○……」
「その……何て言ったらいいか……」

咲月とアルノの気遣い。

俺だって、何も言えない。


「いいよ、何も言わなくて」

雪が降ったんじゃないかと、錯覚するほどに冷たい声だった。

アスファルトに送っていた視線は、涙が枯れたなんてもんじゃなく、元から涙なんて流さないんじゃないかってくらいに乾いたものだった。

保育園の頃からずっと一緒の、幼馴染で、親友の○○。

そんな○○に対して、俺は初めて怖いと思った。

バスケで活躍して。

強い高校に行って。

強い大学に行って。

あわよくばプロになって。

それで、咲月を振り向かせて。

俺がバスケをやる理由なんてそんなもの。

でも、○○は違う。

ピアノに全てをかけている。

ピアニストになることに人生を賭けている。

俺の”あわよくば”なんていう生半可な気持ちとは違って、○○には信念があって、覚悟がある。

こんなだから俺は、○○を追い越すどころか、並びすらもできないんだ。

そんな○○のこれからが懸かっていたコンクール。

○○の結果は振るわなかった。

順位が張り出されて、○○はしばらくその前に立ち尽くしていた。


「おい、○○……」
「今回は、僕の完全な実力不足だよ」


そう言って、○○は一人でホールを後にした。

その背中は、いつもの○○の背中よりも小さく見えた。

数日後、○○は手首を捻挫していたんだということをアルノから知らされた。

手首を捻挫したまま、あんなコンクールで最後まで演奏しきっていたんだと知らされた。

やっぱり、俺と○○とでは覚悟が違ったんだ。

いつだって、俺の遥か先を走る〇〇。

心に、影が落ちるのを感じた。

【どこかで、つまずいてくれねぇかな】




・・・




「〇……〇……?」


○○の手首が完治して、音楽科の高校に提出する実績としては最後になるかもしれないコンクール。

あの時は手首の調子が悪かっただけ。

今回は完治しているらしいし、いつも通り音楽の世界に吸い込まれるような○○の演奏が聞けると思っていた。

だけど、その思いに反してホールにはざわめきだけが木霊した。

演奏の途中、○○は鍵盤の上に指を置いたまま静止してしまった。

演奏の中断は、その時点で失格。

そんな姿は、想像もしていなかった。

あんなに苦しそうにピアノに向かう○○は、俺の中にはいなかった。


「○○、相当落ち込んでるよな」


声を掛けられるような状態じゃなかった。

○○は、俺たちに何も言わず一人で帰ってしまった。

「夜にでも、お邪魔して元気づけてあげよ!ほら、アルノの歌とかも聞かせてあげようよ!」
「うん。じゃあ、夜に○○の家の前で」


そうは言っても○○のことだから、ここからでもどうにか立ち上がるんだろう。




・・・




嫌にしんとした住宅街。

〇〇の家はどこからも明かりが漏れていない。

「寝てんのかな」
「ふて寝?」

「咲月じゃあるまいし」

軽口をたたいていると、深刻そうな顔でアルノがこっちを向く。


「ねえ。鍵、開いてる」


アルノの顔色は徐々に悪くなっていく。

○○を一番近くで見守ってきたのはアルノだ。

そんなアルノが、玄関の鍵が開いていて、家の電気がついていないことに対してそんな顔をするなんて。


「なんか、やばそうだな」


嫌な想像を振り払って、俺は○○の家の玄関を開ける。

鼓動が速くなり、額には汗が滲む。

リビングから、何を反射した光が漏れた。

その方に向かってみると、机に手を押し付けて、右手を振り上げる○○の姿があった。


「○○!」

慌てて俺は○○の右手を抑えた。

カランと床に包丁が落ちる。

「もう、いらないだろ……こんな手……」


吐き出すような、○○の言葉。

こんな○○を俺は知らない。


「もう……どうすればいいのかわからないよ……」


そう言って、○○は崩れ落ちて、涙を流した。

こんなに苦しんでいる○○を俺は知らない。

こんなにも、○○が苦しんでいたのに。

【これで、○○のことを超えられる】




・・・




その日は、アルノが○○に一晩中ついておくことにして、俺と咲月は家に帰った。

俺はベッドに座ってさっき見た○○のことを思い出す。

あんなになるまで思い詰めていたなんて思わなかった。

俺がずっと太陽だと思っていた○○は、そんなんじゃなかった。

きっと、俺の知らないところで何度も泣いて、吐くくらい苦しんで。

それでも○○はずっと立ち上がって歩いてきていたんだ。

○○は……

○○は……?

俺は、あの時何を思った?

何を考えた?

○○の涙を見て何を感じた?

心の奥にできた影は、いつの間にか大きくなっていて。

それを俺はずっと見ないようにして来ていただけで。

あの時俺は、やっと○○が折れたなんて思った。

これで俺は○○を超えられるなんて思った。

あの時だけじゃない。

○○の努力も何も見ようとしないで、勝手に○○に嫉妬して。

どこかで躓けなんて、そんなことばっかり考えていて。

俺はバカだ。

俺はクズだ。

親友が悩んでいたのに。

それにすら気が付けないくせに。


「うぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」


枕に顔を埋めて、俺は吐き出すように声を出した。

影を吹っ切るために。

俺の覚悟を決めるために。

今度は、俺が○○を照らす太陽になる。

○○なら、絶対にまた立ち上がれるから。

その時に道を照らせる、太陽になるんだ。




ーーーーーーーーーー




「そう言えば、××のインターハイ予選っていつあるの?」
「あ、それ私も聞きたいと思ってた」

「えっと……五月からだけど、そこはまだ支部予選なんだよ。だから、支部予選の決勝まで来なくていいよ」
「それ、何か寂しくない?」

「そうかもだけど……。これは、俺の覚悟を決めるためにもだからさ」


○○は、なんだそれと笑った。


「じゃあ、決勝楽しみにしてる」
「おう、任せとけ」




・・・




××は、宣言通り支部大会の決勝まで進んだ。

どの試合も、大差で勝っているらしいというのは聞いていて、××がすごい活躍しているというのも咲月が嬉しそうに話していた。

だからこそ期待して見に行った試合。

××は、その期待通りに相手を圧倒し、県大会への切符を手に入れた。


「お疲れ、××」
「すごかった……!」

「サンキュー!応援、力になったわ!」


その顔には自信が満ち溢れており、この調子なら県大会も突破できるんじゃないかと思えた。


「俺、絶対全国行くから」
「…………ああ」


そう、僕に言い放ってロッカールームに帰っていった××。


「私たちも帰ろっか」
「そうだね……」

僕には、その背中がどうしようもなく眩しく見えた。




………つづく

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