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『ひまわりと月明』 第5話

「そんなわけで、君にはぜひうちの大学に来てほしいんだ」


青天の霹靂だった。

願ってもない誘いだった。

中学でも、高校でも、県ではそれなりに活躍していた自負はあった。

だが、全国的に見ればまだまだ無名。

そんな俺に、大学バスケでも一、二を争うような強さを争う学校が声を掛けてくれるなんて思わなかった。


「でも俺、まだまだ無名ですよ……」
「うん、そこは重々承知だ。だから、インターハイ出場はマストだ。それに加えてベスト……8もあれば十分だろう」

「ベスト8……」
「インターハイにも出られなかった場合は……」




ーーーーーーーーーー




「ふぅ……」

心臓の音がうるさい。

朝からトイレに行くのも、これで何回目だろう。

県大会の当日を迎え、俺は今まで感じたことのないほどの緊張に襲われていた。


「おはよ……。って、××、手震えてるよ」
「わ、わかってるよ……」

家から出てきてすぐの咲月にも指摘される始末。

キャプテンなのに、情けない。

俺の緊張はチームにも伝染する。

俺が胸を張って、虚勢だとしても自信ありげに立っていればその雰囲気が伝播していく。

俺はもう一度大きく息を吐いて心を落ち着ける。

今日は初戦から対戦相手は去年のインターハイ、ウインターカップの出場校でどちらもベスト8。

今の県内なら間違いなく最強のチーム。

勝てば勢いに乗れる。

でも、勝てるのか……?


「××なら大丈夫!」

強く背中を叩かれて、ハッとする。

うだうだ考えてたって仕方ない。

やるときはやらなきゃいけないんだ。


「そうだな……。うん、そうだ。俺ならきっと大丈夫。ありがと、咲月。学校着くまでには震え止めるよ」
「それでよし!下向いてるのは、今の××には似合わないからね」

「ああ……。だよな!」

俺は大丈夫。

やることはやった。

やったんだ。




・・・




木材の匂い。

清掃剤の匂い。

汗のにおい、制汗剤の匂い。

様々な匂いが混ざり合った体育館の匂い。


「頑張れ、××」
「応援してるからね」

「おう、ちゃんと上で見ててくれよ」
「もちろん」

○○とアルノの激励を受けて。


「調子はどう?」
「悪くはねえかな」

「頑張って」
「おう」

咲月からも背中を押されて。

観客席から聞こえてくる相手の大応援団の声援。

スキールノイズが張り詰めたコート内の空気を微かに揺らし、笛の音と共にボールが高く上げられる。

頂点に達したボール。

相手選手が一瞬早く指先でボールを触れたのを皮切りにコートの空気が一変した。

出遅れたのは俺たちで、ような相手の速攻になすすべ無く一本取られる。


「オッケーオッケー、飲み込まれないよ!」

口ではそう言ってみるけど、正直なところ俺も相手の雰囲気に飲まれかけてしまったのも事実。

落ちつけと自分にも言い聞かせる。

ただ、受け身に回ってしまっては勝ちの目が薄いのも事実。

ランアンドガンの形は崩さず速い攻撃で一本取り返す。

殴り合い上等。

ボールがコート上を休みなく駆け巡る。

瞬間的な判断、鋭い視線、そして互いへの信頼が、試合を白熱させる。

殴って、殴られて、透かされて、殴られて。

展開の早い試合は見る見るうちに体力を削っていく。

息が切れ、汗がしたたり落ちる。

点差が徐々に徐々に開いていく。

第四クォータ開始時点で十点差。

喰らいついてはいる。

善戦してはいる。

しかし、開いた傷口は中々塞がらない。


「はぁ……はぁ……足、動かねぇ……」


タイムアウト中も、少しでもベンチに座って回復を試みるが雀の涙、焼け石に水。

口の中も、残りの体力もカラカラだ。


「チャンスは必ず来る。凌ぎ切って、こっちの流れに持っていくぞ!」


監督の檄とは裏腹に、とうに限界を超えている体は警鐘を鳴らす。


「××……!」
「何だよ、その顔」

「……汗、まだすごいから少しでも拭いて。あと、水分も取って」
「サンキューな」

タオルとボトルを受け取って。

一呼吸着いてから最後の五分。


「俺が、やらないと……」


全てを振り絞る戦いに向けてラインを跨いだ。




・・・




肩で息してるし、呼吸の感覚は浅いし、汗はずっと滴り落ちてるし。

××は、今まで見たこともないくらいに消耗してる。

それもそうだ。

いつも以上に××に頼った試合。

エースの宿命と言ってしまえばそれまで。

みんなだって、××に頼りきりなのはわかってるんだと思う。

それでも、縮まらない十点差。

監督の一言を聞いたみんながベンチから立ち上がる。

あと五分。

あと五分で試合が終わる。


「××……!」

ふらふらになりながらコートに戻ろうとする××の背中に私は思わず声を掛けてしまった。


「何だよ、その顔」

このまま倒れてしまうんじゃないか。

もたついたままで当たられて、ケガをしてしまうんじゃないか。

きっと、そんな不安が私の表情からにじみ出ていたんだと思う。


「…………」


ケガしないで。

違う。

頑張って。

違う。


「……汗、まだすごいから少しでも拭いて。あと、水分も取って」

私は結局、気の利いたことも言えないで、タオルとボトルを渡すだけ。

○○ならもっと、××を奮い立たせるような一言を言えたのかな。

アルノならもっと、××の気持ちも考えた上の一言を言えたのかな。

私は…………

私は、××に何もできない。


「サンキューな」


汗をぬぐって、ドリンクを一口のみこんで。


「俺が……やらないと……」


まだふらついた足取りでコートに戻る××の背中に何も言えないまま立ち尽くすだけ。

私は、この感覚に覚えがあった。

やらないと。

頑張らないと。

そんな風に自分を追い込んで戦っていた人を私は知ってる。

その末路も、知ってる……


「無理……しないで……」


呟きは、コートを区切るラインを超えない。

あの熱狂の内側には届かない。

追いつけない十点差と、勢いを失ったランアンドガン。

誰も手を抜いたりして無いけど、もどかしいままタイムアップは刻一刻と迫ってくる。

残り三分。

ようやく相手の攻撃にほころび。

リングに当たったボールは××の元にやってくる。


「いけ……」


速攻。

一対一。


「いけ……!」

相手の選手を抜いて、ゴールまでの視界が開ける。

ふわりと飛び上がった××。

ワンゴール決まって八点差。

沸き上がる観客。

だけど、その声も相手の大応援団にかき消される。

勢いは変わらず、無情にも時間は過ぎる。

決まった終わりが、ブザーの音と共にやってくる。

崩れ落ちる選手たち。

立ち尽くす××。

「整列だ。ほら、胸張って帰ろう」
「…………!」

肩で息をする××は涙も流さないで、泣き崩れたチームメイトの肩を支える。

最後の最後まで、××はエースだった。




・・・




頭の奥まで響くようなブザーの音が鳴った。

僅差ではあったが、惜しくも××たちに勝利の女神は微笑まなかった。


「負けちゃったね……」
「うん……」


××は泣き崩れるどころか、涙一つ見せないで、最後までチームメイトに声を掛け続けていた。


「いい試合だったね」
「そうだね。だけど、それじゃあきっとダメだったんだと思う」

「……そうかも」
「でも、眩しかった」

残りコンマ一秒まで。

試合が終わっても、××はエースであり続けた。

そんな姿が、僕には痛いくらいに眩しくて。


「僕も、頑張らないと……」

過去を振り切れないで、ずっと足踏みを続ける自分の意気地のなさが浮き彫りになっていくようで。

僕も、早く一歩を踏み出さないと。

そう、背中を押された気がした。




・・・



涙に包まれたバスから降りて、監督を中心にして円になる。

「三年生はこれで引退になってしまうが、これだけの試合を間近で感じた下級生は次こそはと奮い立ってくれ」

最後のミーティングも終えて、みんな部室に帰って行って。

先に帰りの支度を終えた私は××のことを校門前で待っていた。

だけど、××は一向に来ない。

みんなと何か話してるのかなって思ったけど、知った顔はどんどんと校門をくぐっていく。

まだ姿が見えないのは××だけ。


「ん~……?」

携帯で時間を確認すると、四十分近く経っていた。


「もう……」


しょうがないなぁ。

きっとまだ部室に居て、三年間を捧げた部室に思い耽ってでもいるのかな。

××を迎えに、部室まで足を運ぶと、どこからか鼻水を啜る音が聞こえる。

その音は次第に近づいて行って、足を止めた部屋の中からのものだったと気気づかされる。


「くそ……勝ちたかった……!」

扉をほんの少しだけ開けると、部室には顔を手で覆ってベンチに座る××の姿。

泣いている声も、××のもの。

何か、声を掛けないと。

【何かって、何?】

ぴたりと、ドアに伸ばしていた手が止まる。

今、部室に入って行って、私は××になんて声を掛ければいいのだろう。

【そんな資格、私にあるの?】

最後まで、エースとして戦い抜いた××に。

【何もない私が】

私が、何を言えるの。

部室に寂しく木霊する××の泣き声を聞きながら、私は扉の前でただただ立ち尽くすことしかできなかった。




………つづく

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