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ひまわりと月明 『第9話』

背中に伸びていた夏の暑さの魔の手も振り切り、葉も色づいてきて、すっかり秋の様相を呈す。

今月の末にはとうとう申し込んだコンクール。

大きなものではないし、このコンクールの結果次第で未来がどう変わるってわけでもないけれど、久しぶりだからか今からそれなりに緊張しているのも事実。

それは音にも如実に表れていて、聞き返す録音越しの演奏はどこかブレを感じる。

何度も何度も、弾いては聞いて、弾いては聞いてを繰り返す。

緊張はするけど、本番を楽しみにしている自分もいた。

繰り返すうちに、音もだんだん安定してきている。

あとは、抑揚と速さと、表現とそれから……


「っし……!もうちょい頑張るか!」


まだまだ突き詰めなきゃいけないところは山ほどある。

本番まで、あと二週間。




・・・




「はぁ~……緊張するわ~……」
「なんで××の方が?」

「だってよ、○○がこんな大勢の前でピアノ弾くなんて久々だろ?」
「大勢の前って言うなら、この前だって弾いてたじゃん」

「それとこれとは違うだろ!?」


本番直前。

震える手。

騒がしい、普段通りの××と咲月の声が辛うじて平常心を保たせる。


「○○は?緊張してる?」
「え、まあ、そりゃあ……。今回の結果で将来を左右されることなんてないんだけどさ。やっぱ、緊張するよ」


コンクールの最後の記憶。

灼くように照り付ける照明と、冷え切った汗。

吐きそうなくらいの苦しさと、絡む鎖。

弾かなきゃという強迫観念。

いい記憶なんて一つもない。

怖い。

指先が冷たい。

握った左手を右手で包んで温める。

冷たいだけじゃない。

震えも止まらない。

もう、時間も無いのに……


「○○」

ふわりと、両手に温かさ。

小さなアルノの手が僕の手を包み込んでいた。


「○○なら、大丈夫だよ」


一言いうと、アルノが手を離す。


「大丈夫……か」


なんでか、たった一言なのに勇気が湧く。

震えが止まり、血液が巡りだす。


「ああ、○○なら大丈夫。自分を信じられないなら、お前のことを信じてる俺たちのことを信じろ!」
「なんだそれ。でも、そうする。いってくる」


僕は、三人に背を向けて会場に入った。

心が軽い。

震えも収まった。

何か今日は、いい日かも知れない。




・・・




「○○、大丈夫そうかもな」
「うん」

会場に消えていった○○。

その背中は、普段よりも大きく見える。


「私たちも行こ」

アルノが観客用入り口の方に歩き出す。

心の奥の方が痛む。

○○はもう、空っぽなんかじゃないんだ。

そして、○○の空っぽを埋めたのは私じゃない。

前を歩くアルノに目をやる。

針が深くまで突き刺さる。

苦しい。

私には何ができた?

私は本当に……


「うべ……!」

頭に大きな手が乗り、その手は私の髪を乱して撫でまわす。


「××……」
「ほら、早く行こうぜ」

「遅いよ、二人とも」
「悪い悪い」

私はほんとに情けないな。

みんな強いや。


「ありがと……」

多分この声は聞こえてない。

私も、顔を上げて一歩踏み出した。




・・・




『演奏番号八番……』

アナウンスが、僕の名前を呼ぶ。

小さく息を吐いてから、ステージに出る。

一礼すると、拍手が波のように襲い掛かる。

ピアノの前に座ると、今度は指すような視線たち。

心を落ち着かせるために、目を閉じて大きく息を吐く。

静寂に支配されたホール。

熱いくらい眩しい照明の光を、真っ黒なピアノが吸い込んでいく。

肌が裂けそうなほどに鋭い緊張感。

久しぶりの感覚。

懐かしい。

広げた楽譜に目をやって、鍵盤に指を乗せる。

どのテンポで、どの鍵盤を、どんな表現で、どう奏でるか。

やるべきことはやった。

何度も弾いて、何度も聞いて。

全部、体に沁みこませた。

やるべきことは、全部やった。

鍵盤を押し込む。

水底に沈む。

光も、音も届かない、暗い水底。

指と目に意識を集中させろ。

音なんかいらない。


過去なんかいらない。


全部全部、いらない。


僕の今が奏でる音を聞け!


僕の今が奏でる音を刻め!


前を見ろ、僕を見ろ。

こんな、僕を縛り付ける鎖なんていらない!


命を削って、息も忘れて、弾ききって。

演奏が終わり、鍵盤から離した反動で上がった右手。

肩が上下するほどに切れた息と、滴り落ちた汗。

ホールに残った音も消え去り、再び静寂に包まれる。

そして誰かの拍手を皮切りに、ぽつぽつと震え始め、大雨が降り注ぐ。

これも、久しぶりだな。

でも、この感覚は……


「あー……」

スポットライトの様に、僕だけを照らす照明を見上げる。

額の汗が顔を経由して首筋を伝う。

この感覚は、初めてだ。

「はは……気持ちいー……」


思わず僕は、椅子に座ったまま笑ってしまった。




・・・




ステージの明かりが、ピアノに向かい合う○○を照らす。


「あれって……」
「ピアノやめたと思ってた……」


囁くような話し声が周りから聞こえる。

○○にはそんな声は届いておらず、大きく息を吐いて鍵盤に指を乗せた。

一音目。

○○がピアノを弾き始めると、会場の空気が一変した。

ここまでの演奏者とは一線を画す、海の様な演奏。

深くて、綺麗で、命を感じさせるほどの迫力で。

鍵盤の上を踊る○○の指は、まるで音楽を語るかのようで。

この音楽こそが自分なんだと叫ぶようで。

私だけじゃない。

咲月も、××も、○○のことを懐疑的な目で見ていた観客も。

誰もが、その演奏に溺れていた。

演奏が終わり、ホールには残響。

右手を高々と挙げた〇〇。

ホールは静寂に包まれ、凪が訪れる。

残響が消えていくにつれて、私たちも含めた観客全員がようやく○○の作り上げた音楽の世界から帰ってきて、その中の一人が思い出したかのように手を打ち鳴らす。

その波は徐々に大きくなり、会場中が拍手に包まれる。

挙げていた右手をだらりと垂らし、天を仰ぐ○○。

何かを言っているようだったけど、その声は拍手の音にかき消されてこっちまでは届かない。

だけど、見逃さなかった。

演奏を終えた○○の顔に笑顔があったことを。

しばらく拍手の音を聞いた後、○○は思い出したように立ち上がりステージを後にする。


「なんか...…すごかったな……」
「私、泣いちゃうかと思った」
「俺は怖かったよ。音が意志を持って襲い掛かってくるみたいでさ」


○○が居なくなった後も、会場はどよめいていた。

○○のことを知っていた人も、知らなかった人も、今日の○○の演奏は心に刻みつけられたんだと思う。


「やっぱさ、○○ってすげぇんだな……」
「うん……。何て言ったらいいかわからない……」

私たちの心にも、○○の今が強く、強く刻まれた。




・・・




「あ、○○きたよ!」

全参加者の演奏が終わり、控室から○○が戻ってくる。

その表情は、どこか晴れやかで、憑き物が落ちたようだった。


「お疲れ、○○」
「なんか、もうすごかった!」

「ありがと」

笑顔でお礼を言う○○。

その笑顔も、なんだかいたずらっ子のような笑顔で、昔の○○を見てるみたい。

そんな○○に、××が近づく。


「お疲れ」
「ありがと」

「そういやお前さ、演奏終わってから笑ってたよな」
「あ、見えちゃってた?」

「そりゃ見えるだろ」
「気持ちいいなって思ってさ」

「カッコよかったわ」
「だろ?」

不敵な顔をした○○。

やっぱり、○○のいるべき場所はステージの上なんだろう。

私も、頑張らないと。




・・・




○○のコンクールを見て、音楽へのモチベーションが上がった私は、翌日早速ドラムのレッスンに向かった。

○○の結果は優秀賞。

最優秀賞まではあと一歩届かなかった。

演奏は間違いなく一番だったと思うんだけど、演奏後のアレは審査員の人からの評判がよろしくなかったっぽい。


「中西さん、なんだか今日はご機嫌ね」
「そ、そうですかね……!」

「何かいいことあった?」
「幼馴染がピアノのコンクールに久しぶりに出たんです。結果は優秀賞でしたけど」

「じゃあ、中西さんも頑張らないとね!」
「はい!」

今までは見るだけだった音楽に、どんどんのめり込んでいってるなって自分でもわかる。

音を探すのは、楽しいしわくわくする。

だったらいっそ、音楽を専門的に学ぶのもいいかも。

もしかしたら、○○も……

そう思って、そんな考えを消し去るために頭を振る。

○○に依存しないって決めたんだから、自分の道くらい自分の意志で決めないと。


「休憩終わりでお願いします!」

私は飲み物を床に置いて、スティックを握った。




・・・




コンクールから一週間が経った。

今日は、バスケ部の練習試合。


「カウンターいっけ~!」


私はベンチからみんなに声援を送る。

ウインターカップ予選準決勝を二週間後に控えて、チームの士気もいい感じに高まっている。

その証拠に、攻撃でも守備でもみんなの連携はバッチリ。

特に××の調子はただでさえ良かったのに、あのコンクールの日以降はさらに上がっていっている。


「ボール!俺に寄こせ!」


××にボールを集めれば、どんな苦しい時にでも点を取ってくれる。

××にボールが集まれば、他の選手に対する守りが薄くなる。

××を中心にしてチームが回っていた。


「オッケーオッケー。みんないいかんじだ」


ブザーが鳴って、前半戦の終了を告げる。

監督の表情も明るく、それこそが何よりのチーム状況を物語っていた。


「いいかんじだね、××!」
「ああ、いい感じだ。○○には負けてらんねーからな」


ベンチに座って汗を拭く××。

その様子はどこかそわそわしていて、早くプレーがしたくて仕方がないみたい。

第3Qに入っても、××は疲れすら見せない。

外からもスリーポイントを決めて、中で仕事をすれば得点の起点に。

この調子を維持できれば、全国も夢じゃないかも。

そう思った矢先、チームメイトのシュートがリングを叩いてボールが宙に浮く。

××以外の決定力も上げてってもらわないとな。


「リバウンドー!」

ルーズボールに反応したのは××。

沈み込んで、そのパワーを一気に解放させて高く飛んだ。

誰よりも早くボールに触れた××。

これで攻撃一回やり直し。

の、はずだった。

体育館に響いたのは、ボールがネットにこすれる音でもなければ、ゴールを決めた祝福の声でもない。

響いたのは、鈍く重い音。

ゴール下に蹲る××。

ルーズボールを競り合った相手選手との交錯。

高さで勝っていた××に対して、相手選手が掬い上げる様な形で接触してしまった。

そして、その接触を受けた××が落下。

××は蹲ったまま動けない。


「××!」

駆け寄るチームメイト。

担架を持ってくる下級生。

頭を打っていることも考慮して病院へ電話を掛ける監督。

体育館の中のみんなが慌ただしく駆け回る。

救急車は、十分も立たずに到着した。


「ここ、どこかわかる?」
「学校の、体育館です……」

「対戦相手は?」
「南校です……」


意識はあったし、状況も把握できてる。

しかし、諸々を考慮して××は救急車に乗せられて病院へ運ばれた。

走り去る救急車。

私はいきなりの出来事に呆然と立ち尽くしていることしかできなかった。




………つづく

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