『 』との想い出だけが 《前》
バス停の古いベンチ。
変わらない静かな海。
太陽と防波堤、影が動く。
進学を機に地元を出て二年。
あの頃は飽きるほど見ていた海も、なんだか懐かしく思える。
潮風の匂いに、潮騒に。
脳の隅の方をくすぐられる。
息を吸い込むたびに、心がもやもやする。
瞬きをするたびに、『 』がそこにいるんじゃないかと思う。
でも、肝心のそれが思い出せない。
『 』が誰なのか。
そんな簡単なことが、思い出せないままだった。
==========
水に包まれていると、どうしてだか落ち着く。
海に浮かんでいると、自分がこの世界のものではないように感じる。
今日も空が青くて。
《君のことは、絶対に助けるからね》
《○○!しっかりして!》
波は、幼いころに死にかけた海とは比べ物にならないくらい穏やかで。
朝はこうして、ゆったりと波に揺られるに限る。
「おーい!○○ー!」
そんな癒しのひと時を、ビックリするくらい響く声でかき乱される。
「遅刻するよー!」
「そんな大きい声で言わなくても聞こえてるって」
海から出て、犬を連れた声の主に近づいたって、声量は精々九から八に下がったくらい。
「姫奈の声そんなに大きい!?」
「大きいよ。花火もびっくりだよな~」
俺はしゃがんで、姫奈が連れている犬、もとい花火の首元を撫でる。
花火の毛並みは柔らかく、指に心地の良い感触を与えてくれる。
花火の方も、撫でられて気持ちがいいのか、目を細めて喉を鳴らす。
「花火はご主人様と違っておしとやかだな~」
「ちょっと、それどういうこと?」
「姫奈は昔っから騒がしいなってこと。バレエ続けてたらもう少しおしとやかになってたんじゃない?」
「言っちゃいけないこと言った!」
姫奈とは、保育園の頃からの付き合い。
小さいころの俺たちは向こう見ずでやんちゃで、そのくせして何にもできないもんだから、よく迷子になったり問題起こしたりしたものだ。
「にしてもさ、いつも思うんだけど、小さい頃に溺れた場所でよくぷかぷか浮かんでられるよね」
「んー……なんか、ああしてると落ち着くんだよね」
「普通逆じゃない?」
「多分そう思う」
やんちゃというか、無鉄砲エピソードの筆頭が、小さい頃に溺れた事件。
子供の好奇心と言うのは怖いもので、親が目を離した隙に足が付かない、波の強いところまで行ってしまって、俺はまんまと溺れてしまった。
それからの記憶はだいぶ薄い。
気が付けば俺は波打ち際に横たわっていて、号泣した姫奈がいて。
確かに誰かに助けられた気がしたんだけど、あんなところまで行ける大人もあの場にはいなくて。
結局、誰が俺のことを助けてくれたのか、真相は海のみが知っている。
俺が毎朝、海に浮かぶ理由の一つがそれだ。
ああしていれば、いつか俺のことを助けてくれた人と再会できるかもしれない。
一言くらい、お礼だって言いたいんだ。
「って、時間!遅刻するって!」
「やべ!」
砂浜に作られた無骨な木製のベンチ。
その上に畳んで置いておいたジャージを脇に抱えて、ウェットスーツを着替えないで走る。
「あ、ちょっと待って」
走っている途中。
横目に見えた小さな神社。
「ああ、いつもの」
日課になっている、その神社でのお参り。
小さなころからの習慣。
「よし、走るぞ」
再び、俺たちは海沿いの道を走り始めた。
・・・
窓から見える海は、太陽を反射して宝石のように輝いていて。
その輝きは妙に心地よくて。
五限の古典なんて、起きていられるはずもなくて……
《君は、私の恩人だから》
《たとえ君が私のことを知らなくても》
《君のことだけは助けて見せるから》
「○○!」
「んん……姫奈……?」
姫奈が隣の席に座ったまま声を掛けてきた。
その声で目を覚まし、俺は寝ぼけた頭でスマホを見る。
気が付けば、時計の針はだいぶ進んでいた。
どうやら俺は授業中に寝てしまっていたらしい。
「もう授業終わったよ。ほら、帰る準備して」
「はーい……」
一つ、大きなあくびをしてから教科書を鞄に詰める。
帰り道も、海の匂い。
いつだって海を感じられるこの環境が好きだ。
それにしても、あの夢はなんだか懐かしい気分になった。
溺れた時の、沈みゆくときの。
陽の光が遠ざかる中で聞いた声。
「また海見てる」
「あぁ……今日の海、綺麗だよな」
「そう?私にはわかんないや」
「もっかい行こうかな……」
口に出してしまったら最後。
海に行きたいという衝動が、さざ波が寄せて返すように、どんどんと自分の中で大きくなっていくのを感じる。
「じゃあね~」
向かいあったお互いの家。
姫奈と別れてすぐ、乾ききっていないウェットスーツを着て、海へと駆ける。
こんなにも海に行きたいと思っているのは間違いなく俺のはずなのに、思考は自分から分離したかのよう。
俺は、なんでこんなにもあの場所に惹かれているんだろう。
それでも、この胸のざわめきは思考しても答えが見つかるものではなかった。
理屈とかじゃなく、本能があの場所に行けと言っているようだった。
息を切らしながら、夕日を反射する海にたどり着いた。
準備運動をしっかりとして、ゴーグルもはめて。
このざわめきの正体を求めて、海を泳ぐ。
海は、どこまでも自由だ。
塩辛さも、息苦しさも、全部が俺を満たしてくれる。
夢中になって泳いでいるうちに、夕日は沈み、月が優しく照らす。
流石にこれ以上は危ないと思い、渋々ではあるが海を出る。
ウェットスーツを着たまま、持ってきておいたタオルで髪を拭く。
ふと、心の波が大きくなる。
星空にすら届いてしまいそうなほどの灯台の光だって、限界がある。
しかし、その一点だけ。
名前も、素性もわからないたった一人の女の子がいる場所だけ、俺には輝いて見えた。
言葉を失った。
「きみ、は……?」
ようやく絞り出せた言葉は、間抜けなくらいに素っ頓狂な声だった。
だって、それほどまでに綺麗で。
俺は、
「わたしは……」
目の前の神秘的なほどに美しい子に、
「アルノ……。わたしの名前は、アルノ……」
一目ぼれした。
「アルノ……」
ようやく現実だと認識できて、俺は呼吸すら忘れていたのだということに気が付く。
「この辺で見ないね。引っ越してきたとか?」
「うん……。君は」
「俺は、鳴海○○。同い年くらい……かな?そしたらうちの高校に転校してくるの?」
「そうなる……かな」
「そっかぁ……。そっか……」
「はやく、帰った方がいいんじゃない?」
「やべ……。じゃあ、学校であえるの楽しみにしてる!」
俺が手を振ると、彼女も手を振り返してくれた。
心が、ざわつく。
肺の痛みすらも無視して、無性に走りたくなる。
夜じゃなかったら、大声も出していたかもしれない。
そんなくらい、おかしくなって。
これが、恋なんだと知った。
・・・
私たちにとっての死は、忘れられること。
私のことを知っていてくれるのは、彼一人。
ニンゲンになりたいと願った。
彼に触れたいと願った。
神様としての記憶を封じて、自分に一つ縛りを掛けて。
その縛りを破った時、私は人間ではなくなる。
その縛りを破った時、私は彼の記憶から消える。
彼に自ら、この想いを伝えてはいけない。
そうして私は、神様として最後の眠りについた。
・・・
次の日教室に行くと、思わせぶりな、不自然な席が一つ追加されていた。
それだけで、みんな何かを察して、教室中がそわそわとし始める。
「はい、みんな着席」
先生の一言で、ざわつきそのまま、みんなが席に着いていく。
「今日はなんと、転校生が来ています!」
三年生の梅雨。
それも夏がもうそこまで迫っていて、夏休みも目と鼻の先のこの時期の転校生は珍しい。
ふと、昨晩の出来事を思い出す。
あの子だったらいいな。
「どうぞー」
先生に促されて教室に入ってきた女の子。
短い髪、猫みたいな目。
「アルノ……」
間違いない。
「自己紹介お願い」
「中西アルノです」
「……えっと、それだけ?」
「なにか、おかしかったでしょうか?」
「ううん。中西さんはあそこの空いてる席ね」
アルノは意味ありげに追加されていた席に座った。
「なーに見惚れちゃって」
「うるせぇ」
「でも、綺麗な子だったね」
「うん」
話しかけてみようかな。
昨日の今日だし、忘れられてるなんてことないよな。
そう思ったまま、気が付けば放課後になっていた。
「○○帰ろー」
部活に、遊びにとクラスメイトは散り散りになっても、さすがにまだ馴染めていないのかアルノは一人で窓の外を見ていた。
そう言えば、ずっと窓の外を見てるな。
「どうかした?」
「あぁ、いや。帰るか」
どこまでも度胸が無かった俺は、結局アルノに声を掛けることもできずに教室を出た。
「今日来た転校生……アルノちゃん?だっけ。なんか不思議な感じの子だよね」
「言いたいこと、なんとなくわかるかも。何となくこの世界の人間っぽくないんだよな」
「ミステリアスだよね」
「そんな難しい言葉使えるんだな」
「ねー!ばかにしたでしょ!……てかさ、今日の○○、ずっとアルノちゃんのこと見てたよね」
「マジ……?」
「自覚なかったの……?」
全くなかった。
思えば、アルノはずっと窓の外を見ていたなと思っていたけど、そのずっとが誇張抜きでずっと……俺がアルノを見ていたということにもなるんだ。
「そんなに話したいなら、自分から話しかけに行けばいいのに~」
にやにやと俺の方を見る姫奈。
ごもっともすぎて何も言い返せないのが癪だ。
「ならさ、私が仲良くなってきてあげようか?」
「できんのかよ」
「できるんじゃない?」
姫奈は、軽ーくそう言い放った。
姫奈のコミュニケーション能力は、正直常軌を逸している。
もはや天性の才能とも言えるだろう。
ただ、そんな姫奈でもアルノは難しいんじゃないか?
・・・
「○○ー!カラオケ行こー!」
なんて、思っていた俺がバカだった。
朝、自信満々に「待ってて」なんて言ってた時は信じていなかった。
しかし放課後、満面の笑みの姫奈の隣にはアルノの姿があった。
「アルノね、話してみると面白いよ!」
ちゃっかり呼び捨てにもなってるし。
どんなコミュニケーション能力してんだ。
「昔のことあんまり覚えてないんだってー!」
「なにそれ、気になる」
「カラオケでじっくり話そーよ」
「行こ」とアルノに声を掛けて、姫奈が教室を出る。
俺も、急いで鞄を掛けてそれに着いていく。
姫奈と話すアルノは、相変わらず表情が読めない。
それでも姫奈との会話が途切れない辺り、この二人の相性は悪くなさそうだ。
「それで、昔のことを覚えてないってどういうこと?」
402号室に入って、姫奈はドリンクバーに飲み物を取りに行ってしまったけど、俺は気になったことを聞いてみることにした。
「記憶が曖昧で……」
「ただいまー……って、もう話し始めてる感じ?」
「ああ、すまん。気になっちゃって」
「続き、話して」
「私には、家族もいないし、この町に知り合いがいるわけでもない。でも、どうしてか海に惹かれたんです」
「海……」
「懐かしい……。あの海が、家みたいに感じて……」
「わかるよ、その気持ち」
あの海は、魔性のものだ。
引き寄せられるんだ。
「この間も、海で泳いでたもんね」
「覚えててくれたんだ」
「え、ちょっと。知り合い?」
「おととい、夜まで海にいた時にちょっと話したくらいだよ」
先に行ってよ。
てか、それなら自分から話しかけに行けばよかったじゃん。
と、言いたげな視線を無視して俺は話を続けた。
「アルノも海、気に入ってくれたんだ」
「うん」
「○○なんかさ、毎朝海潜ってんの。ちっちゃい頃溺れかけたのに」
「おい、言うなよ」
「六歳の頃……」
アルノの呟いた言葉。
俺は、耳を疑った。
そんなこと、一言も話してない。
それどころか、クラスメイトの中でこのことを知っているのは姫奈だけ。
姫奈がこの出来事をアルノに話したのも今が初めてのはず。
「なんで、それを……?」
「なんでだろう……。ごめん。私が言ったのに、わからない……」
「エスパー!?それか、超能力者!?」
「両方同じような意味だろ」
「なんかそっちの方の素質あるんじゃない?」
「どうだろ……」
アルノ、苦笑いしてるじゃんか。
「まあそんなことより、カラオケ来たんだから歌おうよ!アルノも、ほら!」
「いや、タイミング」
姫奈はそんなアルノのことなんかお構いなしに、自分の歌う曲を入れてアルノにデンモクを渡す。
いや、お構いなしなのではなく、アルノが話しにくそうにしていたからその空気を換えるためなのかもしれない。
「よーし!今日は目いっぱい歌うぞ~!」
いや、やっぱり歌いたいだけなのかもしれない。
・・・
アルノが転校してきて一週間。
一週間もすれば、アルノが俺と姫奈と仲良くしてるのも自然になってきた。
アルノのこともちょっとわかってきた。
歌が上手い。
頭もいい。
運動が苦手。
足が遅い。
所々ぬけてるところもチャームポイントか。
なんて、アルノのことを考えていると無性に海に行きたくなって、もう夜だというのに俺は広い海に体を委ねていた。
月明かりに照らされながら海原を揺蕩うのもまた一興。
流されていく危険はもちろんあるけれど。
それでも、今はこの海と一つになっていたい。
俺はそっと目を閉じる。
「……る季節の……さないでいて……」
歌が微かに俺の耳に届いた。
俺はその歌に引き寄せられるように、海から上がる。
いつも俺が着替えを置いている無骨な木製のベンチ。
そこに座って、月に向かって歌う影。
暗くて、近づかないと姿はわからなかったけれど。
その歌声は間違えようもない。
「アルノ……」
「やっぱり、○○だった」
「やっぱりって」
見透かしたように笑うアルノ。
クールで、不思議な印象のアルノ。
普通に笑うと、こんなにかわいらしい。
「なんとなく、ここに来たら会えると思ったんだよね。○○って、自分の部屋より海の方が落ち着くとか思ってそうだし」
「そんなこと……!ないとも、言い切れないかも」
「私も、こうして海を眺めてると安心するんだ」
遠く、灯台の光が途切れても続く、水平線の向こうを見つめるように、アルノが目を細める。
「ちょっと、砂浜でも歩く?」
「いいよ」
アルノがベンチから降りて、体を伸ばす。
砂浜には二人分の足跡。
「海って、広いよね」
「なに、急に」
「海を見てるとさ、ふと自分があの中に飲み込まれて消えちゃうんじゃないかって思うの」
「ほう……」
言っていることは、あまり俺には伝わらなかったが、アルノはそれを冗談とかじゃなく、本気で言っているんだと、その表情を見てなんとなく感じた。
「記憶も、戻るのかな……」
「戻るよ、きっと」
「ありがと」
寄せ返す波の音に、声が吸い込まれる。
ああ、確かにこれは、飲み込まれてしまうかもな。
・・・
「夜の空気、気持ちいい~」
なんとなく、夜風にあたりたかった。
言い回しはちょっとカッコつけてるかもしれないけど、散歩したい気分だったのは事実。
家を出た時、○○の部屋の電気が消えてた。
まだ二十時だし、寝てるなんてことは無いだろうから、きっと夜の海にでも行ってるんだろう。
散歩ついでに、ちょっと声でも掛けてこっかな。
私は、スキップでもするかのように海の方に足を向かわせた。
こんな時間に出歩いてたら、○○はビックリするかな。
「あ、”ハルジオン”」
道すがら目に入った、白く小さな、かわいらしい花。
名前はハルジオン。
この花の名前、確か○○が教えてくれたんだっけ。
小さいころから○○は物知りで、花の名前とか、いろいろ教えてくれたっけ。
それに、ケガした時も、海外の話が無くなった時も、○○がいなかったらどうなってたことか……
なんか、私ずっと○○に支えられてばっかりじゃない?
「ま、今に始まったことじゃないか」
優しい風に乗って、いつものように潮の匂い。
ぼんやりとした月明かりしかないはずなのに、私の視界はチカチカした。
こんな時に限って、風はやさしい。
「やっぱり……」
最初に出た言葉は、感情は”納得”。
次に、”悲観”、”絶望”。
納得できてしまったことが、何よりで。
私はどこか、心の片隅で、あの二人が話しているところを見て「お似合いだなぁ」なんて思ってしまっていたんだと突きつけられた。
だからこその絶望。
「なんで、こうタイミング悪いかなぁ……」
足跡が二つ並んで、ぽつぽつと続いていく。
天秤が傾く。
朝起きて、花火の散歩には行かなかった。
だからその代わり、自分の中で一つ割り切って考えるのに時間を費やした。
○○の幸せは私の幸せだから。
私は、○○の恋を応援するんだ。
玄関を出ると、もうすでに○○はあくびをしながらスマホをいじって待っていた。
大きく息を吸って、吐いて。
「おはよ!」
元気に行こう。
元気じゃない私なんて、”私らしくもない”。
「おはよ」
「……どうかした?もしかして寝癖取れてない?」
いつもなら軽い挨拶をしたら学校へGO。
って感じなのに、今日は○○がじっと私の方を見てくる。
「なんか、今日姫奈、元気ない?」
「え……」
「俺の勘が違ったんだったら全然いいんだけどさ。なんとなく、今日の姫奈はなんか悩みありそう」
なんでこう、勘が鋭いのかな。
誤魔化せないなぁ。
だけど、この気持ちは○○であっても。
○○だからこそ、隠し通すって決めたんだから。
「あはは。もー、何言ってるのさ」
「そうか?ま、なんもないならいいんだけどさ」
二歩先を歩く背中。
その背中に、決意が揺らぐ。
「きょ、今日さ、放課後用事あるからアルノと二人で帰ってよ!」
こうでもしないと。
私は、弱いから。
・・・
放課後になって、本当に姫奈は先に帰ってしまった。
マジで帰るとは思わなかった。
「アルノ、帰ろう」
言われた通り、アルノはちゃんと送り届けねば。
「うん。……そうだ、また海に行きたいんだけど、いいかな?」
「いいね、行こう。俺も今朝行けてなかったから。日課もまだできてないし」
アルノと二人、いつもは騒がしい通学路を歩く。
二人きりって言うのにも慣れてきたかと思ったけど、特殊な状況下でのものだったからか、こういう普通の時に二人きりはまだ緊張する。
「夕日に照らされた海、綺麗だね」
そんな緊張すら、海は吹き飛ばしてくれる。
「やっぱ、落ち着くな」
「○○の日課って何だったの?」
「あぁ、そうだった。ちょっと歩くけどいい?」
「うん、もちろん」
海岸沿いの道。
海を見渡すように建てられた鳥居と、古く小さな神社。
「ここにお参りするのが日課なんだ。なんか、もうほんとに小さいころからここの神社が好きだったんだ。それで、幼いながら掃除とかしてて…….。小さい頃、溺れて死にかけたって話し姫奈がぽろっとしてたじゃん」
アルノは小さく頷きながら俺の話を聞いてくれる。
こんな話、しなくてもいいのに。
アルノには、聞いてほしかった。
「ほんと、六歳とかだったんだけど、マジで死んだって思ったよ。でも、誰かが助けてくれたんだ」
「誰か……」
「あれ、ここの神様だったんじゃないかなとか思ったりしてさ。ずっとお参り続けてればいつかもう一回くらい会えるんじゃないかって」
「海に行き続けてるのも、同じ理由?」
「それが大半の理由かな。あとは、単純に海が好きで、落ち着くから」
長話を謝って、神社に向かって手を合わせる。
「よし。……どうしようか。海、見ながら話しでも……って、アルノ!?」
アルノは、泣いていた。
「あ、あれ?ごめん、どうしちゃったんだろ……」
「えっと……えっと……」
こんなまさかの状況に対応できるほどできた人間でもなければ、恋愛経験豊富な人間でもない。
おどおどと、あわあわと。
何もできずに慌てるだけが関の山。
「と、とりあえずこれ使って……!」
制服のポケットにたまたま入っていた、ちょっとだけシワの残るハンカチ。
こんなことなら普段から綺麗にハンカチをしまっておく習慣をつけておくんだった。
「ありがと……」
五分くらい、アルノはハンカチで目を覆って。
「ごめん、落ち着いた。ハンカチ、どうすればいいかな?」
「あ、もらうよ」
「ありがとう」
アルノから受け取ったハンカチを雑にポケットに突っ込む。
どうして泣いていたのかは、流石に聞けない。
「海、見に行こう」
そっと、アルノに手を握られて。
手を引かれて、”海原”へ漕ぎ出す。
潮風に、心を打たれた。
痛いくらいに夕日を反射した海面に目がくらんだ。
「”私、君に出会えてよかった”」
その言葉は、心に沁みわたるように、じんわりと俺の中に溶けていった。
なにより、その笑顔が俺には何よりも……
………後編につづく
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