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ひまわりと月明 『第6話』

私には、夢がない。

目標がない。

才能がない。

なのに、私の周りには眩しいくらいの才能を持った幼馴染が三人もいる。

○○は、中学生の中でも指折りのピアニストだろうし、××も県大会で大活躍できるくらいのバスケットボールプレイヤー。

アルノだって、思わず涙がこぼれてしまうくらい歌が上手。

対して私は?

私には何があるの?

運動神経、並。

学力、並くらい。

夢、無し。

目標、無し。

こんな私が、あの三人の近くに居てもいいのかな。

劣等感だけが、心の中で育っていく。

だからこそ、○○がピアノを弾けなくなって、追う夢が無くなった時、【一緒だ】なんて思った私の醜さからは目を背けていた。




・・・




そんな私だけど、マネージャーをやっているのは楽しかった。

元々ちょっとの間だけどミニバスをやっていて、××が中学でバスケ部に入るからって理由で中学の頃から続けていたマネージャーだったけど、結局高校に入っても続けている。

他にやることが無かったからじゃないの?

って言われたら言葉に詰まるけど、やめる理由にはならなかった。

だけど、劣等感は早々ぬぐい切れるものでもなかった。


「菅原咲月さん、だよね」
「は、はい……!えっと……?」

「俺、サッカー部のキャプテンの大林っていうんだけどさ」

高校に入学してすぐ、私の周囲で一番変わったのは先輩、同級生問わず告白されることが多くなったことだった。


「えっと……」
「急でごめんね。困らせちゃったかな」

「いえ……。あの、大林さんは、夢とかありますか」
「夢か……。無難に、インターハイかな」

「そうですか……」

この人も、そうだ。


「俺、プロ野球選手ガチで目指してんだ!」

「将来は小説家になりたくて」

「一流の大学に行って、一流の企業に勤めるのが僕の使命さ」


みんな、夢を持ってる。

夢を追う人たちが、私に好意を抱いてくれている。

こんな、空っぽの私に。

私には眩しすぎるその人たちの好意を、私は上手く受け取ることができなかった。

だから、誰とも付き合う選択肢を取らなかった。

だけど、○○だけは違う。

××でもない、○○だけ。

○○は、私に興味がない。

興味がないというのは言い方が悪いかもしれないし、なんとなくのものでしかない。

だから、○○の傍にいるのはなんだか安心できた。

だからと言って、××の傍が居心地悪いのかと言われると、そう言うわけでもない。

××には、○○と違った感情。

それの正体は、何なのかわからない。




・・・




「そういや咲月ってさ、何でマネージャーやってんの?」
「なんで……。なんでだろ……」


ある夏の日、練習が終わった帰り道で××が急にそんなことを聞いてきた。

大きな槍が心に刺さったみたいな感覚がした。

痛いところを突かれたから。


「そ、そんなこと言ったら××こそなんでバスケ続けてるのさ」
「俺は……」

それを口にする前に、××はなんだか恥ずかしそうに笑った。

言いにくいこと、言うのがはばかられること。

気恥ずかしいことなのかもしれない。

夕日だけではない赤さが、××の頬にはあった。


「笑わないで聞けよ」
「笑わないよ」

「俺、○○になりたかったんだよ」
「…………?」

「○○はさ、ピアノも凄くて、勉強もできて、友達想いで、優しくて、かっけぇ奴だろ」
「うん」

「でもさ、今は○○……一番大切だったもん無くしちまってさ……。○○がもう一回ピアノ弾けるようになるまで、俺がバスケ頑張って、あいつのこと元気づけてやりたいんだよ」

なんだろう、この気持ちは。


「○○は俺の太陽だったから、今度は俺が○○の太陽になりたいんだよ。まあ、俺の憧れた○○みたいにはなれないかも知れないけどな。あ、これ絶対○○にだけは言うなよ」

はにかんだ××は、私の心の陰ですらも吹き飛ばした。

ずっと××に抱いていた気持ちの正体がようやくわかった。

きっと、尊敬だ。

そして、私の夢……ってほどでもないけど、やりたいことも見えてきた。

××の夢を近くで応援したい。

二人のことを、応援していたい。

××の夢にタダ乗りしている気持ちは否めないけど。

それでも、今の私がやりたいことが明確になった。




ーーーーーーーーーー




こんな時に、痛いほど感じる。

私は、今の××にかけられる言葉なんて持ち合わせていない。

持ち合わせるほどの人間でもない。

すすり泣く声が中途半端に開けてしまった扉の隙間から漏れ出てくる。

私はどうするべきなのか。

私には何ができるのか。

ぐるぐると頭の中で巡らせながら、校門まで戻る。

無い手札をじっくりと眺めて、とりあえず××にメッセージを送っておくことにした。

『校門の前で待ってる。いつまでも待ってるから、ゆっくりでいいよ』




・・・




枯れるくらい泣いて、もう涙も出てこなくなって。

携帯に届いた咲月からのメッセージを見て帰りの支度をする。

正直、こんな子供みたいに泣きじゃくった姿を咲月に見られなくてよかった。

咲月にだけは、こんな姿見せたくない。

深呼吸をして、部室を出る。


「ごめん、お待たせ」
「いいよ、全然」

いつもよりも、湿っぽい帰り道。


「今日、××が好きなもの作りに行ってあげるよ」
「咲月、料理できないじゃん」

「ちょっと!レシピ見ればできるよ!……多分!」


だったけど、咲月のおかげでちょっとだけ元気でた。


「ねえ、××」
「ん?」

「××はもう、○○にも負けないくらいの太陽だよ」
「そう……かな……?」

「そうだよ」

「だったら、いいな」





・・・




この部屋に入るのは。

この椅子に座るのはいつ以来だろうか。

埃をかぶったピアノ。

その前の椅子に腰を下ろす。


「はぁ……」

随分長い間、触るのを避けていたこのグランドピアノ。

いざ向かい合うと、呼吸は浅くなるし、鼓動も早くなる。

緊張、恐怖。

他にもあるかも。

こんな気持ちになることはわかってたけど、今日この気持ちに向かい合わざるを得なかった。

さっきみた××の試合。

相手はかなりの強豪校で、勝つ確率を正確に弾き出そうとしたら数パーセントも無かったかもしれない。

だけど、××は最後まで逃げなかった。

戦って、ぶつかって、負けて。

それでも、××は立ち続けていた。

かっこよかった。

背中を押された。

眩しかった。

太陽の様に、輝いていた。

僕はそっと、鍵盤に指を乗せる。

針金で固定されたように指が固くなって、天井からつるされているように指が落ちない。

わかっていた。


「はは……。だよなぁ……」


わかっていたことだけど、それもよし。

自分の現在地を知ることができたから、これもまた一歩。


「○○……?」
「あぁ、アルノ。ごめん、ご飯まだ作ってないや」


そう言えば、今日はアルノが家でご飯食べるって言ってたな。

すっかり忘れてた。

「ううん、そんなこと全然いいよ。それより……大丈夫なの?」
「大丈夫。勇気、貰ったから。俺、もう逃げるのやめるよ」

「○○……」
「そんな顔しないで。心配いらないよ。心配だったら、そうだな……力貸してくれると助かる」

「わかった」
「ありがと。の前に、晩御飯も手伝ってくれると助かる」

「しょうがないなぁ」


弾けないって言うことがわかった。

まだ自分の音もわからない。

弾けるようになる方法も何にもわかってない。

きっと、一人だったらまたどこかで折れていたかもしれない。

でも、逃げないって誓った。

それだけでなんだか心強かった。


「○○、なんで笑ってるの?」
「いや、ただ……アルノにありがとうって言いたくて」

「え、ちょ……私、何もしてないよ……」
「それでも。ありがとう」

「ど、どう……いたしまして……」

少し照れた様子のアルノと、並んで防音室を出た。

また、来るから。




・・・




「えーでは、合唱コンクールの伴奏者を決めたいと思います。誰かやりたい人いますか」

週明け、ホームルームで学級委員が前に立つ。

七月の末、夏休みの直前に行われる校内の合唱コンクール。

意外と力の入ったイベントで、各学年のトップだけに贈られる最優秀賞もあったりするイベント。

去年、一昨年と伴奏が出来る人がクラスに居たし、その人たちが立候補してくれていたから僕はやらずに済んでいたのだが。


「あー……誰かいない?別に推薦でもいいけど」

今回のクラスは違うらしい。

立候補者が出ず、学級委員は困り果てている。

かくいう僕も、立候補してあげたい気持ちは山々なのだが、如何せん今のままでは迷惑をかけてしまう。

すまんと心の中で謝って、誰かが手を挙げるのを待つ。


「いないか……。どうすっかな……」
「はーい!」

そんな中、一人の男子生徒が手を挙げる。


「○○とかどうですか!確か中学の頃ピアノの賞とか出てた気がする!俺中一までしかピアノやってないから間違ってるかもだけど」


まさかの推薦。

あの頃の僕のことを知っている人がいるとは想定外だ。

視線が僕に集中する。

期待の視線が大半だが、別の感情を孕んだ視線が三つほど。

××も、咲月も心配そうに僕を見つめる。


「○○……」

アルノの小さなつぶやきも、耳に飛び込んでくる。

合唱コンクールまであと一か月くらい。

一か月で間に合うのか。

唯一にして最大の懸念。


「嫌ならいいんだけど……」


でも、誓ったんだ。

逃げないって、誓ったんだ。


「やれるだけ、やってみるよ」
「お、マジ!」

「でも、僕は昔の出来事があってピアノが上手く弾けない。一か月後までに何とかして見せるけど……。もしものための、保険の伴奏者も用意しておいてほしい」
「○○、お前……!」


××、驚いた顔。

咲月もアルノも、同じ顔。

クラスメイトも驚いた顔をしているけど、三人のものとはちょっと違う。


「いや~助かるよ。じゃあ、楽譜後で渡すな」
「ありがとう」

学級委員の表情だけは明るかった。

多分、伴奏者が決まったってことが大きいからだと思う。

ざわつく教室の中、ホームルームの終わりを告げるチャイムが響いた。




・・・




試合に負けたあの日以来の部室。

ロッカーに残った荷物の片づけ。


「それにしても、○○が伴奏引き受けるとは」
「びっくりしたよね」

「あいつも、変わろうとしてるんだな」
「××のおかげかもね」

「はいはい。荷物片づけたら部室棟前で集合な」

咲月と別れて、懐かしい部室に向かう。

三年間使ったロッカーは思ったよりも整頓されていて、荷物もさほど多くない。

これなら早めに帰れるかな。


「××先輩。ちょっと、いいですか」


ロッカーの掃除をしている俺の背後から声を掛けてきたのは後輩のバスケ部員。


「ああ、いいぞ」


神妙な面持ちの後輩に、俺は背筋が伸びる。


「着いてきてください」

そう言われて、着いていった先は体育館。

今更、この時間に立ち寄ることも無いと思っていた場所。

中に入ると、引退した三年生や、監督も含めた全員が勢ぞろいしていた。


「なんで、こんな集まってんの?」


輪になっているところに入って腰を下ろす。

すると、後輩が一人立ち上がる。


「僕たちからのお願いです。先輩方に、ウインターカップまで残ってほしい。先輩たちと、もう一回全国目指したいです」
「…………!」

うちの部は、ウインターカップまで三年が残る方針じゃない。

受験もあるし、その方が後輩たちの新しいチーム作りのためにもなる。


「これはな一、二年生からの要望があってのものなんだ」


監督が口を開く。


「俺だって驚いた。ただ、これは全員で話し合って決めたものらしい。三年生の中には受験でそれどころじゃない奴もいるだろう。だから、強制はしない。それでもウインターカップまでもう一度このチームでバスケをしたいと思うものがいるのなら、明日の放課後の部活動からもう一度参加してほしい。今日はこれで解散だ。一日よく考えてくれ」

部室に置いていった荷物を取りに帰ると、ニヤニヤした咲月が俺のことを待っていた。

きっと、咲月もこの話を聞いていて、俺の答えが決まっていることもお見通しなんだろう。


「後輩に慕われてるじゃん」
「ぽいな」

「うれしいくせに~」
「ビックリのが勝ってるよ」

「××は残るんでしょ?」
「そのつもりだよ」

「じゃあ、私も残ってあげないとね」
「じゃあって何だよ、じゃあって」


ビックリから、わくわくに。

○○も一歩踏み出したんだから、俺もそれに遅れてらんない。


「よし……!」

高揚した気持ちを抱えて、家までの道を歩き出した。




・・・




楽譜を広げて、中0日のグランドピアノの前。

震える指を鍵盤の上に落とす。

間違いなく、鍵盤は押し込んでいるのに、音が聞こえない。

楽譜からは音符がいるぞと主張してくるのに。

まるで、耳に指を突っ込んだみたいに、溺れているみたいにくぐもった聴覚。

こんなんじゃ、全然だめだ。

これは、俺のきっかけにするための伴奏。

何度も何度も挑戦はするけど、変わりはない。

解決策も何も思い浮かばない。


「どうすっか……」

一人で考えていても堂々巡りで小一時間が過ぎる。


「するだけしてみるか……」


翌日。

いつもの、学校に行く前の合流地点。


「正直、ピアノの音が全く聞こえない」

三人に打ち明けることにした。

これが、中三の頃の俺からの成長。

みんな頼りになるんだから、頼らない選択肢はない。


「やっぱりか……」
「何か方法あるかな……」

「私、ずっと思ってたことあるんだけど……いい?」


アルノが、口を開く。


「音が聞こえないならさ、聞かなければいいんじゃない?」
「いや、ピアノの音が聞こえなくてどうやって弾くんだよ」

「こんなこと言ったら失礼かもしれないけどさ、結局音符なんて、記号の羅列じゃん」


アルノは時々すごく大胆なことを言う。

それも真顔で。


「そんなこと、考えたこともなかった」
「でしょ。でも、歌が無かったらやりにくいと思うから、それは私が録音して送るよ」

「でも、弾くところまではいいけどさ、○○はどうやって自分が弾いたやつを確認するんだよ。○○、ピアノの音聞こえないんだろ?」
「それは大丈夫。○○、いつも音楽室で聞いてたのって自分の昔のコンクールの演奏でしょ?」

「うん、そうだよ」
「なら、大丈夫じゃん」

「それが大丈夫な理屈になるんかよ」
「だって、逃げないって決めたんでしょ?」


アルノは、僕の方を真っすぐに見つめてくる。

吸い込まれてしまいそうなほどの真っ黒な瞳。

誓いは嘘だったのかと、問いかけてくるような眼差し。


「楽譜がただの記号の羅列だなんて考えたことも無かった。……そうだね、逃げないって決めたから。やるだけやってみるよ」


その日の夜、アルノが防音室を使いにうちに来て、帰った後にメッセージアプリに音源が届いた。


『無理そうなら無理って言うこと』とメッセージも一緒に添えられていた。




………つづく

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