見出し画像

解けないように、魔法をかけて

『もしもし』

電話口から聞こえる声は、大きな音を立てる洗濯機にかき消されてしまいそうなほどに小さい。

「もしもし……なんか、声聞くの久しぶりな感じする……」

私は寝ころんでいたベッドから起き上がり、せわしなく部屋をうろつく。

『そうかな……』
「うん、十日くらい電話してなかったよ」

『あー……もう、そんなに』
「ちょっと!忘れないでよ、私のこと」

『美空のこと忘れた日なんてないよ』

言わせたみたいになったその言葉。

でも、いいの。

その言葉で、少しだけ私は安心できるから。

「あ、そうそう!誕生日プレゼント届いたかな?」

先週は、彼の誕生日だった。

私が送ったのは、黒いキーケース。

物の管理がヘタクソで、特に鍵をなくすことの多い○○にはぴったりだと思った。

『うん、届いたよ。ありがとう』
「よかった……」

『俺のこと考えてくれたんだなって……嬉しかったよ』
「よしっ……」

私は、控えめにガッツポーズ。

たくさん悩んで、○○のことを考えて、ちゃんと選んでよかった。

『なんか言った?』
「う、ううん、なんでもないよ!」

心が浮足立つ。

やっぱり、○○のこと、好きだな……

自然と、頬が緩む。

顔がぽかぽかとあたたかくなる。

「そう言えば、夏だね」

久しぶりだからかな……

会話が、上手くいかない。

『ああ、そっちはもう夏休み?』

いくら変な会話の切り出し方をしても、○○はちゃんと話しを広げてくれる。

「うん!二年生になって、だいぶ学校にも慣れてきたよ。○○の方はどう?」
『俺も同じ。二年になって必修が少し減ったからだいぶ楽かな』

そっか……

「ねえ、○○のお誕生日、会って直接お祝いしたいな……いつなら空いてるか、わかる?」
『あー……』

少しだけ、○○が言い淀む。

『どう、かな……バイトとか忙しくて、そっちに帰ってる暇ないしな……』
「……来月は?上旬とか、私空いてるよ?」

『その辺は友達と海外旅行に行ってるから……ごめん』
「そっ……か……ごめんね忙しいのに。わかったら、教えて」

チクリと心が痛む。

久しぶりに、○○に会いたかったんだけどな……

『うん、明日早いからもう切るね』
「わかった……おや……」

すみ。

言い切る前に、○○の声は、息遣いは、聞こえなくなった。

…………。

「はぁ……」

私は、再びベッドに寝ころんで天井を見上げる。

「ぁ……」

ふと、横を見る。

サボテンの隣、飾られた写真立ての中。

楽しそうな私たち。

あれは、去年……だったっけ。

あれも夏だったなぁ。

あの時も、○○は少し忙しそうにしてた。

だけど、私が我儘言ったんだっけ。

会いたいよ~。

寂しいよ~。

なんて。

笑っちゃう。

だけど、○○は嫌な顔一つせずに私に会いに来てくれた、

デートにも連れて行ってくれた。

少し足を伸ばして、遊園地に。

帰りはしんみりと、潮騒を聞きながら海岸線を。

それで、スニーカーもプレゼントしてくれたっけ。

思い返せば、キラキラと輝く、特別な日々。

まだ、輝いてる。

だから、大丈夫。

私は、彼とのトーク画面を開いたままのスマホを胸にギュッと抱きしめる。

【美空のこと忘れた日なんて無いよ】

○○も、そう言ってくれたじゃん。

だから……

私たちは、大丈夫。

離れていたって、きっと上手くいく。

私たちは、大丈夫だから。

大丈夫、だから……


おはよう!
7:36                                           
今日は友達とカフェに行くんだ~!
○○は今日何するの?
8:09                                                                                                                                                       

お昼時。

玄関に出ている二足の靴。

ローファーか、スニーカーか。

どっちにしようかなぁ。

顎に手を当てて、私は考える。

【やっぱり、似合うね】

うん、こっちだ!

水色のスニーカー。

足を通す。

ちょっと、汚れてきちゃったかな。

そろそろ、洗ったり磨いたりしないと。

靴紐を結んで、携帯に目を落とす。

今日も、おはようは来なかったな。

いつからかな。

去年は、毎日送ってくれたんだけど……

私は、そんな念を振り払うように首を振る。

そして、無理やりにでも笑ってみる。

忙しいんだから、仕方ないよね。

○○が落ち着いたときにでも、返してくれればいいんだ。

「よしっ!」

力強く立ち上がり、私は家を出る。


「あ!こっちこっち~!」

カフェの奥の席から手を振るのは、友人のアルノ。

同じ学部で、いつも一緒にいる。

私とは違う角度の考え方をしているから、一緒にいても飽きないんだ。

「ごめんね、待たせちゃった?」
「ううん。早く着いたから、先に入ってただけ」

「よかった~」
「はやくたのも」

メニューを開いて、写真とにらめっこ。

どれもおいしそうに見えてくる。

「私は決まったけど、美空は?」
「もうちょっと待って……」

優柔不断だなぁと、つくづく思う。

あまり待たせるのも申し訳ないから、私は直感的で苺のパフェを注文。

近況報告とか、他愛ない会話をしていると、

「あ、私の方が先届いちゃった」

五分くらい経って、アルノの注文したチョコレートのパフェが来た。

あ、それもおいしそう……

「先、食べてていいよ」
「じゃあ、遠慮なく~」

まだかな。

私は、携帯を開いてみる。

おはよう!
7:36                                          

既読……付いてないなぁ……

「お待たせしました~」

やっときた!

スマホを机の上に置いて、運ばれてきたパフェにスプーンを入れる。

「美味しい~」

スマホに通知が届き、画面が光る。

私は反射的にそこに視線が吸い寄せられる。

だけど、その通知はただのニュースアプリの通知。

「……?」

アルノが首をかしげる。

「どしたの?」
「今日、やけにスマホ気にしてるなと思って」

すごいな、アルノは。

何で気が付くんだろ。

「実は……」

アルノになら、話してもいいかな。

私は、彼からのメッセージが帰ってこないことを話す。

それから、昨日の電話のことも。

「私たち、上手くいくと思うかな?」
「うーん、それは……」

アルノはスプーンを置いて考えだす。

「もう、無理なんじゃないかな?」

無理……?

「それはどういう……」
「だって、もう相手は美空のこと考えてないんじゃないかなって」

【美空のこと忘れた日なんてないよ】

○○は、そう言ってくれたから。

「でも、○○は今忙しいみたいだから仕方ないよ!」

私は、強く拳を握る。

「じゃあ、次はいつ彼と会うの?」
「えっと、それは……」

力が抜けて、握った拳が解ける。

「ほら」
「あ、会わなくたって、好きなのは、好きだし……!」

思わず身を乗り出す。

声も、少しだけ大きくなる。

「ふふ、そっか。そんなやつ、振ってやったらいいと思うけどな、私は」
「も~!アルノはまたそんなこと言って!」

その後は、二人で一本映画を見て。

夜が遅くならないうちにアルノと別れた。

映画を見ている最中も、帰り道を歩いているときも、アルノの言葉がぐるぐると頭の中を反芻していた。

【もう相手は美空のこと考えてないんじゃないかなって】

素直に、寂しいって言おうかな。

あの日みたいに、会いたいなって言おうかな。

不満は貯めこまない。

不安は打ち明ける。

そうやって、約束したもんね。

大丈夫。

きっと、大丈夫。

私は髪も乾かさずに、ベッドに体を預ける。


ねえ、最近お話できてなくて寂しいな
20:42                                          
やっぱり、忙しいかな?
22:14                                          
もしかして、私のこともう好きじゃないのかな……なんて
23:51                                          

彼からの連絡はない。

既読もつかない。

今日は、もう寝ちゃおう。

電気の消えた部屋。

私は瞼をそっと閉じる。

忘れる魔法をかけて、眠りに落ち......

短針と長針が重なり、小さな音を立てる。

秒針は、毎秒一定のリズムを刻む。

スマホの画面が煌々と光を放つ。

私はなにか、変な予感がして目を開ける。

一件のメッセージがあります

私は慌ててメッセージアプリを開く。

通知は、彼から。

恐る恐る、トーク画面に移行する。

美空の気持ちは、まだ変わらない?
0:03

秒針の音よりも早く、私の心臓が鼓動する。

いやな汗が伝う感覚。

それって、どういうこと?    
 既読 0:04                                        
俺達、もう終わりにしよう
0:05

大丈夫。

離れていたって、上手くいく。

……鈍器で、頭を殴られたみたいだった。

得も言われぬ衝撃で、グワンと視界が揺れた。

現実を飲み込まなきゃいけない時間が来たんだ。

わかってたよ。

なんとなく、わかってたんだよ。

きっと、好きなのは私だけだって。

○○は、もう私のことなんか……って。

私は、何か文字を打とうとして、指が固まった。

気付いちゃったから。

気づきたくなかったのに。

魔法が解けちゃったんだ。

童話の中のシンデレラみたいに。

哀れに踊る舞踏会は、もう終わりなんだって突きつけられちゃったから。

心が、ずたずた。

涙がとまらないよ。

私は居てもたってもいられなくて、部屋着のまま、スニーカーを履いて外へと飛び出した。

外は、いつの間にか打ち付けるような雨が降っていた。

水たまりを踏み越えて、私はあてもなく走った。

雨でびしょびしょになりながら。

涙で、顔をぐしゃぐしゃにしながら。

ただただ走った。

焼けるような肺の痛み。

つんざくような、胸の痛み。

噛み締める唇は、ほのかに血の味。

どのくらい走ったかな。

限界が来た私は、電池の切れたロボットのように地面にへたり込んだ。

スニーカーは脱げて、足はボロボロ。

服は少しはだけているのに、それを直す気力もない。

すすり泣きながら、周りを見渡す。

ブランコ、滑り台、雲梯。

ここ……

【あの、〇〇くんが好きです!】
【おれでよければ!】

【そっかぁ、○○は東京行っちゃうのかぁ】
【寂しい思いはさせないようにするよ】

ここは……

「うわぁぁぁ!!!」

声をあげて泣いた。

吐くように。

駄々をこねる子供みたいに。

胸の痛みをかき消したくて。

胸の苦しみを取り除きたくて。

汚れてしまって、靴紐もほどけてしまったスニーカーの傍らで。

縋りつくように、追いすがるように、声がかすれるまで。

私は、雨に打たれながら泣きじゃくった。

恋の終わりに、その身を貫かれながら。

彼との思い出に、心を切り裂かれながら。


……end



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?