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ひまわりと月明 『第7話』

休日の午前九時。

楽譜を広げ、イヤホンをはめてピアノに向かう。

ピアノを弾くのにイヤホンで別の音源を聞く奴なんて早々いないだろう。

しかし、今の自分にとってこれが最適解。

再生された音源に合わせてピアノを弾く。

耳はイヤホンから流れてくるアルノの声に集中し、目でひたすらに音符を追い、脳みそから指に指令を送り続ける。

何度も何度も弾いて、その録音を聞いて。

テンポも、強弱もバラバラ。


「はぁ……」

こんな簡単なものも弾けなくなっているのか……

二年強のブランクは、指の動きも楽譜から意図を感じる感性も根こそぎ奪い去っていっていた。

一回、アルノの声無しで弾いてみるかと思い立ち、今度はイヤホンを外して鍵盤に指を乗せる。

しかし、小刻みに震えた指が弾き始めることを許してくれない。

次第に心臓の音が大きくなり、視界は狭まり、汗が頬を伝う。

鍵盤から指を離して深呼吸。

やっぱ、まだ怖い。

トラウマと、呪縛。

絡みついた鎖は体中を締め付ける。

それでも、その鎖に縛られ続けていてはここから先には進めない。

きっと、この一音が今後を左右する一音になる。

もう一度、そっと鍵盤に指を乗せる。

そして、思い切り押し込む。

勢いに任せて楽譜をなぞる。

きっとこの音は荒々しくて、ガタついてて、とげとげしくて。

繊細なんて言葉とは程遠いだろう。

しかし、何かが吹っ切れた感覚がした。

鎖にひびが入った感覚がした。




・・・




「で、本番は三日後だけど調子はどうなん?」
「あー……まあまあ?」

来る日も来る日もピアノと向かい合って、昔に戻ったんじゃないかってくらいピアノを弾いて。

それでも、自分が満足いくような音はまだ奏でられていない。

そのことを、××に相談してみることにした。


「理想が高すぎるんじゃね?しばらくピアノ弾いてなかったんだし、昔のようにはいかないっしょ」
「そうなんだけどさ……。だからって、妥協してこのままの出来で本番行きます!……とはしたくないんだよね」

「おー……なんか、懐かしいな○○のこの感じ。ちなみに、アルノの送ってくれた音源まだ聞きながらやってんの?」
「うん。だけど、頼りきりにならないようにはしてるよ。本番はイヤホン付けながら弾くわけにはいかないし」

「確かにな~」
「詰められるだけは詰めてみるよ」

「無理だけはすんなよ」
「しねーよ」

部活のある××と別れて、足早に家に帰る。

正直、どこまで詰められるのかわくわくし始めている自分も居た。




・・・




「どう?どんな感じ?」
「緊張九割かな」

向かえた本番。

練習とは違った緊張感。

僕のピアノはメインじゃない。

それでも、人の前で弾くのがあまりにも久しぶりで、体がこわばる。


「○○なら大丈夫だよ」

アルノからの一言。

たった一言だけど、心が軽くなる。

アルノが大丈夫って言うなら大丈夫かって気持ちになる。

クラスの名前が呼ばれて、全員が位置について。

指揮者が腕を上げるのと同時に空気が引き締まる。

楽譜と、指揮者と、指先と。

意識をどれにも偏らせること無く分散させる。

指揮を見ろ、歌を聞け、音を拾え。

指がよく動く。

体中を熱が走る。

音に沈むように、しんと頭の中がクリアになる。

まだ、まだ、まだ。

およそ四分。

潜り続けた先は、拍手の嵐。

音が聞こえない。

その根本的な問題の解決にはなっていないかも知れない。

だけど、人の目がある前で一曲弾ききれたという事実はそこに間違いなく存在する。

鳴りやまない拍手を聞きながら、高揚した気持ちと共に拳を握る。

鎖が、音を立てて壊れはじめた。




・・・




無事に合唱コンクールも終わり、照り付ける日差しとうっとおしいくらいの暑さと共に夏休みがやってきた。

勉強と、勉強と、ピアノと、勉強と。

高校生活最後の夏休みは存外地味なものだ。


「勉強飽きたな……」


ふと携帯に目をやると、メッセージが一件届いていた。

送り主は咲月。

グループに一言。


『今日の夏祭り、神社の前に集合ね!』


予定も立ててないのに、もう来ること前提で話が進められている。

毎年の通例行事だし、誰もこの日に予定を入れないのは流石だ。

勉強にひと段落付けて、クローゼットを開いて準備を進める。

本当は甚平とかがあればいいんだろうけど、毎年普通の私服で行ってしまう。

××はともかく、咲月もアルノもそんな感じだし、気にしたことはあんまりないけど。

戸締りをして、アルノの家のインターホンを鳴らす。

普段なら、神社まで一緒に行っているのだが……


「ごめん、準備時間かかりそうだから先行ってて!」


今年はそうもいかないらしい。

さっき起きたんかな。

とりあえず、言われた通り一人で集合場所に向かった。


「あれ、○○一人?」


鳥居の前にはもうすでに××の姿。

ここも毎年咲月と二人だから、何となく違和感。


「準備時間かかるから先に行ってって言われて」
「俺も。お互い寝坊かな」

「昼寝失敗パターンか」


しかし、今年も××は私服だ。

仲間がいてよかった。


「んで、最近ピアノの調子はどうよ」
「悪くは無いよ。なんか、重荷が少しだけ下りた感じがする。××のほうは?」

「俺は今絶好調。感覚めっちゃいいんだ」
「期待できるね」

「今度こそ全国行きたいからな」


互いに勉強の話題を避けた近況報告をしていると、


「ごめーん!お待たせ!」


聞きなじみしかない声。


「遅え……よ……?」
「浴衣、着るのに手間取っちゃって」


何年もこの四人で夏祭りに来ていて初めての出来事。

咲月も、アルノも、浴衣に身を包んでいる。


「二人は今年も私服か~」
「ね!ムードがないよね!」

「なこと言ったって、毎年そうじゃねーか!」
「なんで急に?」

「今年で高校生活最後だし、もしかしたらみんな揃ってって言うのは最後になるかもだし」


記念に。と儚げにアルノは笑った。


「早く行かないと場所無くなっちゃう!」


それとは対照的に、咲月は浴衣を着たことでいつもより気合が入ってるみたい。

花火がよく見える土手に向かってぐんぐんと人混みの中を突き進んでいく。

その甲斐あってか、ベストポジションの確保に成功。

手早くシートを敷く。


「さて、場所も取ったことですし、いつもの通りじゃんけんで負けた二人で買い出しに行くとしますか!」


全員が拳を突き出す。


「行くよ。じゃんけん……ぽい!」


負けたのは、


「くっそ~!」
「負けた~!」


咲月と××。

二人共悔しそうな顔をしながらさっきよりも人混みの中に消えていった。


「咲月、また負けたな」
「何連敗?」

「三とかじゃない?」
「てか、○○全然負けなくない?」

「今年で四連勝になります」

なんてことを話していると、周りがどんどんと騒がしくなる。

花火の時間も近づいてきて、人が増えてきた。


「この前の合唱コンクール、ピアノ凄かったって話題になってたよ」
「そう?」

「ピアノ、本格的に再開するの?」
「そうだね。ちょっとずつ光明も見えてきたところだし、出来るとこまでやってみようかなって思うよ」

「そっか」


『プログラムナンバー……』

花火がもうすぐで始まるというのに、××も咲月も姿が見えない。

観客が増えていく一方。


「遅いね、二人共」
「ね。ちょっと心配だね」

周りの人たちが一斉に空を見上げる。

真っ暗な夜空に明るい花が咲く。

未だに二人は帰ってこない。




・・・




「なんか、いつもより人多くね?」
「確かに、すっごい混んでるね……。始まる前に戻れるかな……」

長い行列と、流れる人の波。

今年はなぜだか、例年よりもお客さんの数が多い。


「とりあえず、焼きそばとたこ焼きは買ったし、文句は言われないだろ」
「だね!始まっちゃう前に、早く戻ろ!」

屋台が並ぶ場所から、人の流れの中へ。

ちょっとずつではあったけど、確実に進んでいたから何とかなると思ってた。


「あれ……?」

流れがぴたりと止まる。

イラつく人の声、困惑する人の声。

ざわざわと不安が伝播していく。


「なんかあったっぽいな」
「プログラムの最初からは四人で見られないかもね……」

「まだそうと決まったわけじゃないだろ」
「うん、そう……」

「邪魔くせえな」
「きゃ……!」


停滞した人混みの中を、我が物顔で突き進む傍若無人な男が咲月にぶつかり、舌打ちをしながら去っていく。

よろけた咲月。

普段なら平気なんだろうけど、今日は浴衣に下駄。


「危ない……!」


俺はとっさに、ふらついた咲月を腕で支える。

手が空いて入れば、腕を掴むだけで済んだのかもしれない。

だけど生憎、俺の両手は焼きそばたちで埋まっていた。

だから支えるには心許なくて、思わず咲月のことを自分の胸の方に抱き寄せてしまった。


「あ……。ごめ……」
「いや……。その……」

言い訳を考えている間に、空が明るく照らされた。

同様をかき消すほどの衝撃を感じた。


「花火!」

咲月が空を見上げる。

俺もつられて上を向く。

背中を汗が伝い、心臓は強く胸を叩く。

火照った顔は夏の所為。

高鳴る心臓は花火の所為。

あれこれ言い訳は思いつくけど、どれも根拠は薄くて。


「やっぱりここの花火はすごいよね」
「うん」

花火の光に照らされて、夜に溶けきれなくなった真っ赤に染まった頬を同課咲月に見られませんようにと祈った。

最初のプログラムが終わるころには、焼きそばもたこ焼きもぬるくなっていて。

それに気が付けないほどに、俺の体温は上がっていた。




・・・



花火の余韻が残る帰り道。

ぽつぽつと街灯が照らす住宅街。

「いや~、満足!」
「毎年クオリティ高いよね」


二人きりだった緊張から解放された後は、それなりに花火を楽しめた。

時々、花火じゃなくて咲月の方に目が行ってしまったからそれなりに。


「明日からまた頑張ろうって思うよね」
「だね~」

「頑張るついでに、三人に聞いてほしいんだけどさ」


○○が足を止める。

俺たちは振り返って○○の方を向く。


「僕、もう一度、コンクール出ようと思ってる」


ビリビリと肌を空気が撫でる。

意志を持った眼差し。

高揚感に満ちた眼。


「もう一回、本気でピアノと向き合おうと思う」


その宣言をした○○は、どこか昔の姿と重なった。


「ああ、期待してる」
「ありがとう」

昔の俺なら、そんな○○に負い目引け目を感じていたかもしれない。

だけど、今の気持ちは違った。

負けたくねぇな。

心の奥で、熱い何かが燃え上がった。




………つづく

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