10000人に5人の奇病「トゥレット症候群」と付き合ってきた20年間

「トゥレット症候群」をご存じだろうか?

症状としては、
運動チックと音声チックが絶え間なく出続ける病気である。

と言っても、「何それ?」って人の方が多いだろう。
分かりやすく芸能人を例に出すと、
ビートたけしのやってるまばたきとか、
プラスマイナスの岩橋さんが舌で変な音を出したりする、
あんな感じの症状がずっと出続ける病気である。

百聞は一見にしかず
https://www.youtube.com/watch?v=Bnqnb05sl2w

私は小学1年生で発症して、今年でちょうど20年になる。
節目なので、自分の体験談を書きたい。

この病気のせいでめちゃくちゃ辛い思いをしてきた。
誰にも理解されなくて死にたいと思ったこともあったし、
病気を持っていない人にバカにされるのが悔しくて、
殺してやろうと思ったこともある。

20年経った今でも、変わらずトゥレットは辛い。
辛いけど、この病気を持っててよかったとも思っている。
なぜなら、「人と違う」ことが全然怖くないから。
自分の好きなように生きて、人の目におびえなくて済むのは、
皮肉にもトゥレットのおかげなのだ。

もちろん、ここに来るまでは正直辛かった。
多感な思春期を、「人と違う」ことを強いられて生きてきた。
その経験を消化したくて、この記事を書くに至った。


先ほど軽く説明したが、トゥレットとはどんな病気なのかを知って欲しい。
学術的な説明ではその辛さは分からない。
ここからは、体験をベースに書いていく。

初めて症状が出たのは、小学1年生の時。
自分では気づかなかったが、物の受け渡しの際、
腕に力が入ってブルブル震えていた。

母にそのことを指摘されて、「アレ?」と思った。
たしかに腕が震えている。

しかし、自分では力を入れようとしていないし、
力を抜くように言われても出来なかった。
どうして普通に出来ないのか、言われたとおりにしないのか、
母にそう怒られた。

でも、自分の意思とは関係なく腕が動いた。
怖かった。

やがて、症状は腕だけでおさまらなくなった。

「ウッ」「アッ」という大声を上げてしまう
自分の脇腹を殴る、あざが出来ても止められず痛い
下腹部に力を入れてしまう、結果として尿がもれる
自分の舌を噛む、吸う、口内炎が出来て舌が真っ白になった
足を踏み鳴らす、1階に住んでいたのに上階から苦情がくる
太ももをげんこつでなぐる、痛くて歩けなくなる
座っていると膝を蹴り上げてしまう、机に当たってまともに授業に出れない
力んで息を止めてしまう、酸欠で倒れたこともある

これだけでも相当だが、
ここに書いたのはほんの一部だ。
実際にはあと100個くらいの症状が出たり引っ込んだりを繰り返す。
その症状のリストだけで、20000文字くらいの記事が書けると思う。
もしくはそれでも字数が足りないかも知れない。
さながら無間地獄だ。

まぁ、まともに生活できる状態ではない。
遺伝性の病気なので根治しない。
ついでに治療法も確立されていなかった。

唯一、寝てる間だけは症状が治まる。
そのため、新宿の病院で強力な向精神薬をもらい、
半分眠ったような状態で生活していた。


こんな状態なので、小学校では「障害者」という扱いだった。
先生も級友も、表向きは普通に接してくれたが、
気を抜いたときに出る言葉の節々に、皆の本音を感じた。

でも頭は普通に回るし、何なら勉強は人より出来た。
自分には何もおかしいことなんてない。
ただ、チックであることを除いては。

そう思うと悔しかったし、
なんで自分ばかりこんな目に合わないといけないのかと思った。

チックの症状でひんぱんに尿が漏れるので、小学校でもオムツをしていた。
介護用のオムツだった。
体育など着替えの際には、教師用トイレで着替えた。

意地の悪い人間がそんな私を見逃すはずもなく、
ほどなくして秘密は明るみに出た。
もちろんバカにされた。さらし者にされた。
恥ずかしかった。悔しかった。
自分だって好きでオムツなんかはいてる訳じゃない。

小学校はこんなだった。
当時の級友とは、今はもう誰もやり取りをしていない。
おそらく、一生関わることはないだろう。


辛かったのは、学校の中だけじゃなかった。
電車に乗ればにらまれる。
道を歩けば指をさされる。
家にいても、両親や家族に音と動きで迷惑をかける。

この世のどこにも逃げ場はなかった。
生きているだけで人に迷惑をかけた。
死のうと思ったが死ぬほどの度胸もなかった。

中学校に上がると、症状は少し落ち着いた。
とは言え、自分の中では落ち着いた、ということに過ぎない。
周りから見れば、相変わらず私は奇声をあげるモンスターだった。

いじめられたし、嫌な思いもした。
理解を示してくれる人もいた。
初対面のたびに、自分の症状を1から説明しなければならなかった。
どうして自分は、普通に生きられないのだろうか。

チックを「我慢出来ないのか」と言うのは、よく質問されたことだ。
答えとしては出来ない。

なぜと問うなら、呼吸を止めたまま1日生活してほしい。
出来るだろうか?
私の場合チックは呼吸と同じで、一瞬なら止められる。
ただ、止めた分だけさらにひどくなる。

歳を重ねるごとに症状は軽くなっていき、
高校2年生の時には薬なしで生活が出来るようになった。
そうは言っても、今でも症状は続いている。


この病気は、私に絶望と羞恥と怨恨と無力感と孤独をもたらした。

何をしても無駄。
どうせ誰もこの苦しさは分からない。
健常な体を持つみんなが、苦しむ自分をあざ笑う。

気が狂いそうだった。

だから、狂わないために考え方を変えた。

自分は「人と違う」ということを受け容れたのだ。

自分だってチックさえなければ普通の人間だと思っていた。
だが本当は、チックがある以上普通の人間ではなかったのだ。

自分は人とは違う。
それは諦めでもあり、希望でもあった。

もう誰のことも気にしなくていい。
どうせ自分は違う。仲間になんてなれない。
人に合わせなくても良い。
どうせ同じにはなれないから。

そう思った時、
にわかに「自信」がわいてきた。

とにかく人と違う方向へ、進んでやろうと思った。

中高一貫の付属校にいた私は、黙っていても大学に行けた。
同級生の97%はそうしていた。

私は、みんなと一緒は嫌だと思った。
だから必死に勉強をした。
模試で全国2位になったりしながら、慶應の法学部に受かった。
嬉しかった。
付属の大学より、ランクでいうと2段階か3段階上の学校だった。

そこからはもう、人と逆に行くことばかりを考えている。

大学で落語をやったのもそう。
新卒で入った大手企業を辞めて、待遇の悪い仕事に就いたのもそう。
そこを辞めて、さらに過酷な独立の道を歩いているのもそう。

全ては、自分は「人と違う」という認識から来ている。

トゥレットは、私から「普通」という感覚を奪った。
代わりに、「人と違う」ことを恐れない心をくれた。

私はこの病気を憎んでいる。
同時に、別れたくても別れられない腐れ縁とも思っている。

この病気は、死ぬまで完治することはない。
逃れたければ、死ぬより外に方法はないのだ。

今はまだ、その時ではないと思っている。


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