白夜

白夜

地震があってからどうも夜が来なくなった。
夜がこないとどうなるか。それはずっと日が出ているということである。婆なんかは慌てふためきちょっと田んぼを見てくるといってそれきり。兄はきっとこれはパチンコで設定5を引く吉兆だと言って出掛けたまま帰ってこない。そうなると困るのは俺で家には米も無ければ金もない。婆が帰ってこないと知ると否や家にやってきた役所の人間が年金を打ち切ったせいで、どうにもこうにもならない。生活保護を…と帰ろうとする役所の人間に言うと「あなた、体は」というので、「花粉症が少々」と胸を抑えたが「そうですかぁ」と日の中に消えてしまった。

困ったと言えば困ったが、こうなると働かねば腹が膨れないのは道理。腹は膨らましたい、できれば肉で。しかしここで闇雲に通りへでて「仕事をくれ」と叫んでも低賃金の雑用か、過酷な漁にでも連れていかれるのは目に見えている。大事なのは知識である。兄が言うには「パチンコでビックなヒットをゲットしたいなら、必要なのは知識だ」だそうだ。ということで兄の部屋に入ってみると本棚にずらっと並んだ本の背表紙。その全てが『カーネギー自伝』であった。優に数百冊はあるだろう。兄が通っていた、そして今現在ナウいるであろうパチンコ屋は元々街の本屋が経営しているパチンコ屋なので、景品が全て本なのである。俺は兄の布団のわきに開いておいてあった『カーネギー自伝』を開いた。日差し窓からぎらりと差し込んだ、その光が本の真っ白な紙に反射して、俺の目をくらますが、なんとか文字を捕まえてみるとこう書いてあった。「よく考えてみろ、勝機はそこにある!」

なるほど、と俺は思った。どうも俺は考える前に行動を起こしていつも損ばかりしている。大事なのはよく考えてみることなのだ。俺は自分は液体だと信じ込み、その液体が徐々に畳の中に吸い込まれていく様を想像した、こうして自分の雑念を払うのだ。よく考えるということは一つの事に集中するということで、これはよく考えて導き出した勝機でいかに雑念をそぎ落として一つのことに集中ループを作り出すかがカギなのだ。そして俺は何千回かの『よく考える』ループの乱反射の中でついに、今、この世に足りないのは暗がりだと看破した。そう結論がでると俺のシナプスは早い、速攻筋肉と腱に電気信号を起こし、家の窓という窓、隙間という隙間を湿った土や粘土で埋めてしまった。まるで家の中は真夜中。そして、家の外に『安眠堂 根室店』と掲げるとじっとまった。

一時間くらいたっただろうか。作ったばかりのTwitterアカウント観るとフォロワーが徐々に増えていく。値段がいくらかわからない、とメンションがきたので、1000円ですと返した、その瞬間にお客第一号が。「一時間?1000円って」「いえ、一日です」「え」とそのお客が愕然としていた。安すぎたかと後悔もしたが、肉は1000円あればいくらかは買えるだろう。俺は1000円を受け取ると客を家の中に入れた。どうも客が一人でもいるとみんな安心するようで、家の周囲から客がわらわらと顔をだしてきた。こいつはとんでもないビックビジネスを引き当ててしまったぞ、と急にお金を持つ恐怖感を感じつつ客をどんどん家の中へいれる。皆、暗がりを切に求めていたのだろう。全ての人が家に入ると空いている床に臥せってそのまま寝てしまう。これが現代社会か、と俺は思った。しかしビックビジネスには代償がつきもので、俺は家に人がいるのが嫌なのだ、とてもじゃないが眠れない、仕方がないので庭の隅で寝ようとするのだが、日は照ってるし、なにより客たちの寝言がうるさい。近所の疋田さんがどうとか、死んだ夫の相続がどうとか、過去になくしてしまった車のキーがどうたら、もはや誰も聴いていない井戸端会議である。家は苦しそうに柱を軋ませている音も酷い。眠りには重さが伴うので仕方がない。俺は一冊だけ家から持ってきた『カーネギー自伝』を開いた。チャンスは二度来る、と書いてあった。太陽は白々しくその文字を照らしている。俺は天啓とはまさにこの事と、電気屋で収音機とパソコンを買ってきて、客たちの寝言の塊を録音し、ありとあらゆる音声プラットフォームで配信を始めた。これにはカーネギーも小躍りし「ビックヒット、ビックヒット」と連呼していた。俺が配信した音声を聴いた人は仕事の効率が7倍にあがることが分かり、世に働くビジネスマンは必ず聞く、なんなら会議中にも流しっぱなし、というありさまで、家の庭に居ながらにして、俺は世界的長者になっていた。町を行く人々が、俺のことを「あれは寝言長者じゃ」と言ってはやし立てた。俺は有頂天だった。その内、兄がカーネギー自伝をリアカーいっぱいにして戻ってきた。するとどうも潮目が変わったようで、寝言音声を聴く人が次々と死んでいるという報告が各国から寄せられた。いやそれはみんな寝言を聴いて寝たつもりになって仕事をしているからで、そりゃ体は壊れるだろうと俺は反論したが、色んなところから丸め込まれて結局は素寒貧になってしまった。運が悪いことは重なるもので、再び地震が起こり、こんどは太陽がどこかに消えてしまって、ずっと夜のままになった。そうなると寝るのはどこでもいいわけで、お客たちは家をでると二度と戻ってこなかった。今では俺は兄と一緒にカーネギー自伝を焼いて、暖と灯りをとりながら、婆の帰りをじっとまっている。

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