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【致知教師木鶏会で求められるもの】その1 令和3年8月1日 モラロジー道徳教育財団道徳科学研究所教授・麗澤大学大学院客員教授 高橋史朗先生のお話から
致知という月刊誌を知っていますか?毎月の父を読んで感想文を読みあう会を木鶏会といいます。
8月1日の致知教師木鶏会の時。
私は初めて高橋史朗先生からお話をお聞きしました。
史朗先生は🐔教師木鶏会🐔に参加する皆さんは,こんなことを意識していけばいいんじゃないかな?というご提案をしてくださいました。
正直、史朗先生のお話を理解するためには,もっと勉強しないといけないのでしょう。
半分も理解することができませんでした。
しかし,とても興味深かったので
一つ一つ振り返り自分のものにしたいと思います。
学校の先生をやっていると,教えているつもりの子供たちから,実は教えていただくことがたくさんあります。
実は私は教えてばかりでは、思った通りにならないことに対してイライラしてしまうことがあるんです。自分が未熟だからイライラする。
しかし
子供たちと生活していると,人間として何が大切なのかを改めて考える機会になるのです。
子供たちの中には大人以上に徳性の高い子供がたくさんいます。
学校の先生はそういう子供たちに頼りにされ,慕われるのです。
學ぶ力は子供たちのほうがはるかに大きく,わずか3日で驚くほど考え方が変化する。子供たちの成長ではそれはよくあることなんですよね。
体の成長でもスキルでも,子供たちの成長スピードは驚くほどです。すべてにおいて子供達にはかないません。そうならば、せめて徳性・人間力は子供たちよりも高く在りたい。
1.偉人の精神を次世代に伝える役割
(1)安岡正篤先生→元号「平成」の考案者 歴史を次代に伝えていこう!
①終戦の御詔勅「義命ノ存スル所」→「時運ノ赴ク所」
この言葉の意味するところは,【日本の降伏】は,どんな國の敗戦,降伏の場合にもなかった黄金の文字,日本の天皇なればこそという権威のある言葉をどうしても選びたかったということです。
力尽きて仕方なく降伏するのではなく,道義の命ずる所,良心の命ずる所によってという思いを【義命】として安岡先生は入れたかったのです。
場合によっては,堂々と勝ち戦をしていてもやめる。
戦えばまだまだ戦えるという場合でも,道義良心の命令なら敢然として辞める。これが【義命】です。
しかし,この言葉は國民がわからないだろうとほかの人に言われて言葉を変えられたのです。
「この漢字はわからないから平仮名にしよう」とか「この内容はわからないから後の学年で教えよう」とか私はよく考えます。
でも、それは子供たちの力を見くびっていることなのかもしれません。
古城に訪れることが好きな私は、私は東京の嵐山町にある菅谷館に向かいました。菅谷館は鎌倉幕府初期の有力御家人「畠山重忠」の居館です。
重忠は元久二年(1205年)執権北条氏に謀反の嫌疑をかけられ討たれて滅亡します。
そこに向かう途中カーナビで安岡正篤記念館と出てきました。
致知でその名前をよく読んでいたのを思い出した私は行き先を変更してこの記念館へ行ってみたのです。
その記念館には、敗戦の時の原稿が残っていて、その肝心な部分に赤で「義命の存する所」とするという直しがしてありました。
正篤先生は亡くなるまで「義命」を「時運」と変えるように言われたことを後悔していたそうです。
私たちは安岡先生の思いを受け継がないといけないです。
そしてここから何ができるか。そして何をするかです。
②修養學(自らの心を治め正す)
謙虚に自分を振り返ることが修養につながります。研究は子供たちへの教え方を考えることですが,修養は自分の人格を磨くということです。
③郷学→地方の先賢を顕彰し志気を振起する。
私は同じことを言っていても学校外の人や自分の故郷からなるべく遠い人の話を有難がって聞こうとするところはないでしょうか?
例えば,サッカーの監督でも今回のオリンピックでメダルが取れなかったのは外国人の監督ではなかったからだという議論がよく起きます。
しかし安岡先生は自分の故郷で教養を高め,學を治めた人について調べていくことを【郷学】としてお勧めしています。
そういうわけで私も利根町に偉人がいないかな?と探してみました。
赤松宗旦先生という利根川図誌を著したお医者さんの偉人がいます。あ、この本を見ると校訂したのは「柳田國男先生」ですね!
④木鶏と双葉山の逸話
大相撲の連勝記録は双葉山の69連勝です。。70戦目の相手は前頭4枚目の安藝ノ海。安藝ノ海は双葉山の右目が半失明状態であることを作戦に入れて,左の外掛けで双葉山を倒しました。
いつも双葉山は勝っても負けても全くその言動や表情が変わらないといわれていましたが,この一番の後の支度部屋ではとても珍しいことに「あーーーーくそーーーっ」と叫んだと新聞に書かれています。
その夜,双葉山は師と仰ぐ安岡正篤先生に対して
「イマダモッケイタリエズ」と電報を打ちました。
⑤一灯照隅・萬燈遍照(一隅を照らす教師が全国に広がれば教育が変わる)
伝教大師最澄先生は「一隅を照らす」大切さを話し,自分のいる家庭や職場,地域を自分の力を生かして明るくすることが重要と話しています。
小さな灯明もたくさんになれば日本も世界も明るく元気になっていく。
自分の役割で最善を尽くすことで周りの人を癒し,勇気づけ導くことができますよね。
⑥「三識」→知識・見識(歴史古典に学ぶ)・胆識(現実の困難を乗り越える決断力・行動力)
識と呼ばれる胆識を付けることが肝心です!本を読んで理がわかったら現実の困難に直面し乗り越えるべく行動すること。(決断力・行動力)
(2)森信三先生の教え
・時を守り,場を清め,礼を正す。
・人間形成の三大原理(遺伝的資質・師匠・逆境)
逆境に処する心の準備をする。
立腰(腰を立てる)
2.日本文化の創造的再発見
(1)日本文化の感性
①「活」の文化
→自然から生き方を学ぶ,自然を活かす,自然に従う「学・活・従」
②「道」の文化
基本の「型の継承」が人間教育の基本……「守破離」の精神
③「礼」の文化
エドワード・シルベスタ・モース先生の『日本その日その日』を読んでみるのもいいだろう!
④「鎮守の森」の文化
⑤里山 (さとやま)とは?
木材の供給源としてだけでなく、落ち葉や下生えは田畑の肥料(緑肥)になり,牛や豚などの家畜に与える飼葉に利用されていました。
農作業の合間の時間にに里山に入って,燃料である薪や食事のキノコを得ることは、近世の農民にとって現金収入を得る最も簡便な方法でした。
緊急時の木材・現金供給源を兼ねた水源涵養林として住んでいる人たちは,意図的に森林の伐採を行わない里山もありました。
その他、困窮した家が数年間、里山に籠もって自給自足の生活を行い、現金支出を徹底的に抑えて家計を立て直すという行動が昭和以前に見られたという(群馬県上野村の事例)
⑥奥山
⑦残し柿
⑧平山先生もyoutubeの動画で上げていらっしゃいます。
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