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【22/29】樫野さんを魅力的に感じられる要因は星の数ほど存在する。 煌めく星のようなちっちゃな魅力の集合が、樫野さんという稀有な生命体となるのだ。: 樫野さんの魅力分析レポート


【樫野さんの「自信」について】

樫野さんの魅力分析レポート第三十七回。
樫野さんの「自信」について。

今まで、何度となく樫野さんは「自信がない」といった発言をしてきた。歌でもダンスでも自分が存在する理由が見つからないのであれば、それはかなり苦しい思いをしたのだろうと分析できる。職業が「アイドル」なんだから、余計に感じたことだろう。しかし、私は最近、というか二〇〇九年になってから、樫野さんがかなり「自信」を持ち始めたのではないか?と分析する。その判断は、樫野さんがステージ上で「ジョジョ立ち」を披露したことに起因する。
二〇〇八年初頭、樫野さんファンの誰が「樫野さんはステージでジョジョ立ちをする」と予測できたであろうか。ツアー大阪では「来年来たときに」と発言していたので、「ああ来年の楽しみが増えたな」とホクホクしていたのに、それは数日後の横浜公演でいきなり披露された。ここまで来ると妄想だが、二〇〇八年の樫野さんであれば、同じような状況に置かれても、ジョジョ立ちの披露までは行かなかったと思われる。大阪から横浜までの数日間に何があったのかは分からない。しかし、「勇気」と「自信」が樫野さんの背中を押したのだと妄想する。自分の存在する場所を、しっかりと見つけられたような気がしてならないのだ。

人間は誰もが、正解だけを選んで生きていくことはできない。時には不正解ばかり選んでしまう時期もあるだろう。しかし、正解も不正解も、選択するために前に進んだ者だけがつかみ取れる回答だ。目の前に立ちはだかる壁を乗り越えるためには、一歩前へ出て答えを出さなければならない。樫野さんが、樫野さんなりに出した答えが、樫野さんの自信に繋がったのだろうと分析する。

結論。
樫野さんに「キャー!」と叫ばれておもちゃのゴ○ブリを投げつけられてテケテケと逃げられたい。そして隣の部屋からサングラスをかけてモヒカンのヅラをかぶった樫野さんが戻ってきて「オブチュハ消毒ジャァー!」と叫ばれて火炎放射器で焼いてもらいたい。

【樫野さんの「歴史」について】

正直に告白すれば、二〇〇七年の夏にパヒュームを知ったとき、一番初めに感じた印象は、
「へぇ~最近の秋葉原のおっさんたちは、こういう女の子が好きなのか~」
といったものだった。計算高い大人たちが、手っ取り早く集金するために作られた寄せ集めユニットだと思い込んでいたので、「楽曲はいいけど、この三人はないだろう」とまで思っていた。その後に彼女たちの歴史を知り、表現の質の高さを見せつけられ、最高を求めて終わりのない土下座の旅が始まったのだが。

それからは、いつかのアンチの愛情あふれる分析にあったように
「彼女たちが進行形で作り続ける物語への参加意識」
を、思う存分に楽しんでいる。
という訳で、本日の樫野さんの魅力分析レポート第三十八回。
樫野さんの「歴史」について。

皆さんはお手元の直角二等辺三角形ツアーパンフレットを開いていただきたい。
そして、樫野さんの自分撮り、正面を向いている写真を眺めてほしい。いつものようにチューをしないように。
しみじみと美しい…。
今でこそ、「初めて見た瞬間に大好きになった!」という樫野さんファンも多いが
(特に今回の直角二等辺三角形ツアーではパンデミックを起こしただろう)、私のように「無関心」から入り、二年の歳月をかけてかし脳になった人間には、この樫野さんの美しさが、樫野さん自身が積み上げてきた「歴史」とリンクして感じられる。これは、「二十歳の挑戦」や直角二等辺三角形ツアー千秋楽以降に聴くDreamFighterが何か特別な印象を感じさせることと類似している。
「樫野さんは絶世の美女か?」
と問われれば、答えはノーだ。
しかし、「樫野さんはイチイチカワイイか?」
と問われれば、「たまらんちょたまらんちょ!」と泣き叫ぶだろう。
樫野さんの魅力は、毎日少しずつ塗り重ねられて厚みを増していく。
事象の表層のみしか見ない、見えない人間には、樫野さんの魅力は遠く感じるだろう。また、樫野さんを美しいと感じる心の数だけ、美しい樫野さんは存在するだろう。
その美しい樫野さん達は、各々叫ぶのだ。
「ナカタサンキモチワリュイ!」と。

結論。
手際よく火炎放射器を用意している樫野さんに「ネェ チュー シヨウ♪ ッテハヤクチデ イッテミテ!」と言われ「熱中症!」と叫びたい。そして「蒸発シロ! オブチュハ消毒ジャァァ!」と叫ばれ、チリも残らず焼き払われたい。

【各話保管庫】


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