50歳おじさんが38年ぶりにマイティフロッグに再会したお話
もう一昨年の話になるけど、私のマイティフロッグがあまりにもかっこいいので書き残しておきます。
マイティフロッグとは、1983年に発売されたタミヤのラジコンカーのこと。
当時はラジコンカーブームで、近所の公園へ行くと友だちの何人かは何かしらのラジコンカーを持ってきていて、一緒に遊べた。
私が初めてマイティフロッグを購入したのは、1985年のお正月だったと思う。
小学6年生、12歳の頃。
車体の価格が¥14,800で、それにコントローラー、サーボ、バッテリーなど遊ぶのに必要なものを含めると、¥20,000以上はしたと思う。
小学6年生にとって¥20,000は未知の価格帯だったので、考えに考え抜いて購入を決めた。
ラジコンマガジンだったかラジコン技術だったかな?当時のラジコン雑誌の通販広告を、それこそ穴が開くほど毎日見て考えた。
こうして毎日あれやこれや考えながら雑誌を見たり空想したり。
欲しいものが手に入ったらどうなるんだろう?
結局はこの空想の時間が一番に楽しい
(この楽しさが大人になっても抜けないので困る)。
雑誌に掲載されていたマイティフロッグのフルセット(車体、プロポ、サーボ、バッテリー)を通信販売で注文し、夜も眠れないくらいワクワクしながら到着を待った。
到着し大興奮で作り始めたが、わからないことが多くて、父親と兄にも手伝ってもらって(父親も兄もなんだかんだ楽しそうに作っていた。またそれも子ども心に嬉しくて楽しかった)なんとか完成にこぎつけた。
完成したマイティフロッグはむちゃくちゃかっこよかった。
ボディは透明の「ポリカーボネート」で作られており、塗装は裏側から行う。
がっつりマスキングの技術が問われてまあこれがむちゃくちゃむずかしかったのだけど、衝撃に強いポリカーボネート製のボディだからこそ、その後に何度もクラッシュしても無事だった。
ギヤからはオイルの匂いがかすかに漂い、実にこの感覚が大人っぽい。
バッテリーに繋げば制御ができないくらいに凄まじいスピードで走る。
今まで自分が遊んできたプラモデルとはまったく次元が違う存在感があった。なんだか自分がずいぶん大人になったような感覚があった。
その後はエアガンブームがやってきて、私のマイティフロッグは…たぶん今でも実家の倉庫とかに眠っているかもしれない。
そして1985年から時は流れて2022年のクリスマス。
なんだかんだここ何年もずーっと欲しい欲しいと思っていた
「マイティフロッグ」
をください、とサンタさんにお願いしてみた。
50歳になった私に再びマイティフロッグがやってきた。
小学6年生の頃に作り走らせ楽しんだ製品が、38年経ってもまだ楽しめる水準で存在している。もうここで涙腺が崩壊しそう。
私のことを待っていたわけじゃないだろうけど、ずっとタミヤが私のために席を用意してくれていたような錯覚に陥る。
ただいま。タミヤ。
50歳のおっさんが、12歳の頃の自分に
「このとき俺はどうしたっけ?うまくできたかな?」
と問いかけながら作業を進める多幸感。
38年前に時間を戻してくれる、最高に最高な時間の始まりだ。
操縦席に座ってるおっさんは面倒臭いから作らなかったよな。
そして38年後の今でも面倒臭いから作らない!
12歳の頃にはとてもむずかしかった組み立てが、大人になった今ではするすると滞りなく進められる(いや正直に言うとちょっとむずかしいところもあった)。
12歳から50歳になった私は進化したのか退化したのかよくわからないが、確実に変化したのは辛抱強くなったこと(もしくは簡単に諦める?)。
若い頃だったら生き急いで失敗したであろう箇所が、歳を重ねたことにより、焦らなくなったことだ。若い頃であったら120点を目指していたところが、現在は80点でOKになったところか。いや60点でもOKだな!いいや40点でもOK!低い点数でもいいから前に進もう!と思えることかな。
そして12歳から50歳になってもまったく変わらない部分もあった。
それは、作りながらドキドキわくわくする感覚だ。
いや歳とってもっとドキドキわくわくするようになったかも知れない。
このドキドキわくわくする感覚ってたぶん自分にしかわからないんだろうな。
まあともかく。
自分の中に12歳の頃と変わらないドキドキわくわくする感覚がまだ残っていることがわかって嬉しかった。
素晴らしき時間旅行であった。
↑そのマイティフロッグを持って三男と河原で遊んでみた記録。