この時期の18時から19時の間が好き。
昨日、思いがけず家族それぞれソロ活動となり……
●夫氏→引っ越し作業で豊橋→東京→長野→蒲郡→豊橋、
●娘→お友達の家でサプライズ誕生パーティーをされにいく
●私→娘と過ごす予定がサプライズを企画してくれたことによりfree!!!←!!!!!
この完全フリーな状態は年に3回あるかないか。当たり前の話ですが、どちらかが出かけたい時はやはりどちらかがこどもと過ごすのが通常でありまして…
普段ライブやお友達との約束で家を空けることに罪悪感は持っていないと思ってるけど、どこかで「見ていてもらっている」「任せてしまっている」という感覚があるんだなーって全員がバラバラの活動をしていいときの気持ちの軽やかさにびっくりして認識した。
なので、一人で串焼き屋さんに行って、久しぶりに住んでいる町のライブハウスへ。歩いて行けるところにかっこいい音楽が鳴っているのってすごくうれしいことだなーとニヤニヤしながら、知り合いも増えたなぁとしみじみ。
地域性という一言で括っていいなら、私の住んでいる町に染み付いている感じはなかなか好きとは言えないけど、外と中を混ぜ合わせたり、たくさんの人が関わることで起こる化学反応を面白がれる人が企画をしているものに場所は関係ないんだなーと思った。
そういえば、ずっとそうだった。だから、離れても大丈夫だし、ずっとそこにいたって良いのだった。思い出せてよかった。
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そして今日は少しのんびりと備える日に。
今までの防災グッズを見直してレトルト食品や備蓄品を買い込み。やっぱりなにかあってからじゃ遅いし、自分の身は自分で守らなければとは思いつつ 少しでも分けられるなにかを持っていたいなぁとね。
あとは地震の場合、津波がこない限り冷蔵庫の中身も有効に活用できるんじゃないかなと思うと可能性が広がったりして、そこも含めた暮らしのデザインをしたいなと希望的観測。パターンに対する傾向と対策。
死んでしまうならそれはそれで完結しちゃうけど、生きていた場合生き延びなければならない。自分だけじゃない。娘もいる。
その時に必要なものはお金よりも知恵の場合もきっとあるだろうなって。
そうなったとき、自分にはなにができるかなーと考えたら、「食事に関する」ことならできるかもしれないなとぼんやり思いました。お店を続けている数年間は、それはもう綱渡りで生きていますが、その間にひねり出す力や身についたものはピンチのときに生きるのかもしれないと思っています。自分に合ったものが一番いいからこそ、「試せること」や「選択肢」は多い方がいい派。
何より遅すぎるということはないので、皆さんも今一度そばにいる人と意識の共有を。
なんて偉そうですが…会えなくてもいいから生きていて欲しいのよ。
ついでにお酒も買ったので夜はワールドカップを見るよー。みなさまも良い日曜日を…!
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