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人が老いていく過程

6月中旬。
認知症の母を一人で介護している弟のSOSで5ヶ月半ぶりに1泊2日で実家に行った。
実家までは同じ関西圏ながら電車で片道2時間半はかかる。電車と徒歩なので1泊しないとお役目が果たせない。

弟の依頼は認知症母の薬を徒歩数分の近医と、実家から徒歩と電車で片道約1時間離れた総合病院にもらいに行くミッションだった。
両病院とも今回は母を連れていく必要がないが、かと言って母を一人家に置いて長時間留守にできないから、姉である私に頼んできた。
こんな時自家用車があれば良いが、弟も私も弱視ゆえ免許を持てない。免許持ちの親族がいるが疎遠で頼れないし頼りたくない。
かくして実家での母の現状と、弟が担っている介護負担度を改めて知る機会ともなった。

実家に行くたびに、母の現状を見て弟の話を聞いて、人の肉体が少しずつ機能しなくなっていくってこう言うことなんやなと突きつけられる。
と言うことは時差はあれど、いつか自分もそうなるってことだ。
自分はどう朽ちていきたいか、どう死を迎えたいか、その時のために備えておくべき事は何か、備えられるのか。
自分の後始末をするってことは大きな課題だ。

さて、5ヶ月半前と母の認知症がどう進んだか。

弟に「姉ちゃんが来たで」と言われて、私の顔を見て頷く母だが、どれくらい私を認識しているかは怪しい。
「知っている人かも知れないなぁ」
「自分と関係ある人かも知れないなぁ」
「初めての人ではないみたいだなぁ」
ってところでしょうか。
自分の子どもである認識はもうないようだ。
私と弟が話していると「怖い」と言ったり僅かに震えたりすることが見られた。
自分の生活域に(安心安全圏)、人が増えたことへの不安、弟以外の人の話し声がすることへの不安、普段聞かない話し声の音量への不安が「怖い」の発言に繋がっている。
余談だがTVを見ている時、画面に映る人が怖くなって手元に置いたコップをTVに投げつけることも増えているようだが、大好きな推しの演歌歌手三山ひろしさんの録画を見せると「怖い」と言う事もコップ投げつけも全くないらしい。推しがいるって大事なことなんだね。ちなみに私には推しはいない。

5ヶ月半前より母の体重がぐんと減っていた。
老化により消化機能が少しずつ落ちてきているからだろう、食欲はあっても食べ過ぎると嘔吐する。
むせて誤嚥にならないよう、弟は食材の大きさ柔らかさなどの形態、栄養に留意して調理し、摂取量を調整しながら食事やオヤツを摂らせている。
加えてもともと母は便秘体質だが輪をかけて排便が困難になっている。排便が滞ると体調が相当落ちる。2、3日に一度は摘便や浣腸を弟は施している。

老化によって人の肉体は萎びて行くが、母の食事と排泄の現状を見て、これが老いることの一旦かと改めて思う。食べることは好きな母だがいつまで口から食べられるだろう。

実家滞在中、母の目が大きく開き瞬時にキラリと輝く時があった。
私が編んだ帽子とチャームを見せて、これなぁ私が編んでんで、どう?うまく編めてる?と問うと、じっと眺めてから「きれいやぁ。上手に出来てる」と目を輝かせて応えた。
さすが編み物の先生やなと弟と驚いた。母は長年編み物講師を職業としていたのです。
今でも自分が編んだものは、しっかりと認識できていると弟が言う。

今は歩行器で十数歩歩けてるし、歩行器を持って立てているし、傾眠時間が増えているとはいえ、テーブルについて食事したり、三山ひろしさんの動画を楽しめている。
でも次に会う時は、もしかして寝たきりかなと、いつ介護用ベッドを置いても良いように模様替えが済んでいる部屋を見渡し実家を後にし、また2時間半かけて帰宅の途についた。

【追記】
弟は月3のデイと月1のショートを母に利用させているが、訪問看護やヘルパー導入をしていない。
導入しない理由を聞くとわからないでもないが、弟が疲弊しないか心配である。
でも今回、「近いうちに介護ベッドいるようになると思うねん。そうなったら(場所を指して)ここに置こうと思うねん。2人での介護になったら両側からせんなんしな」と言う言葉が聞けて安心した。
「家にいたい、病院は嫌や」と今も強く要望する母の願いを聞いて、家で看取ることに決めている弟。
離れて暮らしていて9歳上で体力のない私が、母の介護のあり方にあれこれと口出し指図は出来ないが時々LINEで様子伺いはしている。
鍼灸師でケアマネで老人施設での仕事経験もある頼りになる、介護を引き受けてくれてる弟に感謝しかない。

もしサポートしてもろたら脳内活性化認知症予防対策に使わせていただきます。 (コンビニスイーツと珈琲代)