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宗教の話


およそ58年前に遡る話です。ある体験から特定の宗教に対する嫌悪感を今も拭いきれない私です。
昔の体験を何故今更呟こうと思ったかというと、今もなおそのような宗教活動をしているらしいと知ったからです。
※ 信仰の自由を否定しているのではありません。

私は小学校低学年から高2くらいまで大阪のHS区に住んでいました。最寄駅から自宅まで徒歩15分ほどだったでしょうか。その間に事件?は何度も何度も起きたのでした。毎日ではないけど少なくとも週に2回はありました。初めて体験したのは小学校3年くらいだったと記憶しています。

駅そばに商店街や市場があり、そこにお使いに行った帰りでした。
二人の中年のおばさんが「お家どこ?」と声をかけてきました。なんで家を聞くの?この人らヘン!と思い返事せず歩きました。すると、なんと、その二人が「お家教えて。一緒に行くから」とついてくるのです。

振り向いて睨むと「ええ話あるねん。おばちゃんらと一緒に拝んだら、あなたの病気治るってお母さんに教えてあげたいねん」と言いながらついてくる。もう完全にヘン!と思って走って逃げました。角を曲がったあたりで後ろを見ると二人は諦めて踵を返していました。

以後、二人は私を見つけると必ずついてきました。その都度道を変えたり走って振り切りました。そのおばさん二人組の執拗な“勧誘”は半年は続いたのです。
母にこのことを話すと『ほっとき、相手にしな』でした。でも、いつ、どこから、そのおばさんらが現れるか小学生の頃は恐怖でした。

中学生になると、駅前から執拗についてくる顔は変わりましたが二人組中年おばさんは同じでした。バトンタッチしたのでしょうか?
「お嬢さん、大変やね、可哀想に」
…またかよ、何が可哀想やねん…
「私らと一緒に拝んだらほんまに治るからね」
…治ったら苦労せんわい。先天性やのに治るか!…

中学生になると走って逃げなくても言い返せるようになりました。
…しつこくついて来たり、しつこく話しかけるのやめなかったらこのまま交番に行くよ…などと睨んだものです。
遠回りでしたけど実際に交番の前を通るように道を選ぶと、交番が見えたあたりで二人組おばさんは帰って行きました。

私が養護学校(現特別支援学校)に就職してからも、この宗教の執拗な勧誘に辟易している保護者が大勢いました。入信するまでつきまとうので根負けして入ると何倍もの苦痛があると語る人もいました。
その人たちの言葉を信じ、我が子の障がいや病気が治るように一心不乱な保護者もいました。

先天的障がいや治らない病気に対する科学的根拠のない“拝んだら治る”作戦は、ほかの作戦に変わったのでしょうか?
障がいは前世のカルマだとか、だからこの世で徳を積みなさいとか、様々なことを言ってくる人らも少なくないようです。そんなこと言われて誰も救われず悲しさが増すだけ。

一番酷かった宗教だけ書きましたが実はもう一つありました。それらの宗教を心の拠り所にしている方がいらしたら、それは非難しません。

宗教というものは、その宗教を信じる人の心を穏やかにし生きる元気を与えるものだと思います。“執拗に勧める宗教は本物ではない”が私の持論です。

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