見出し画像

愛する曲が愛する彼らの手で生まれ変わった日

2024年7月24日。
私が、あなたが、愛するロックバンドの結成20周年記念の日。

私たちはこの日をいつからどれだけ待ち望んでいたのだろうか。

明日(正しくは今日)、ベース田淵智也が異常な執念を抱いていた記念ライブが日本武道館で開催される今日、東京に三日間旅立つ前夜。

私の中には、どうしようもなく文章に起こしておきたいことが生まれた。

日付を回った今日めでたくリリースとなった、20年間走り続けてきた愛するロックバンドのベストアルバム、【SUB MACHINE, BEST MACHINE】。

説明は不要だと思う。
だって私たちは恋焦がれるほど、この日を待ち望んでいたんだから。

DISC1にはインディーズ時代の音源化されていない楽曲たちの再収録音源が11曲と、新曲が1曲。

DISC2,3にはこれまでのシングル曲の収録。

初期のシングル曲たちは【S.B style】として新たにレコーディングされた、ファンからするといわばほとんど新曲のような立ち位置だと思っている。

【cody beats】。

私がこれまで特別感を持って愛して、支えられてきた大好きなシングル曲。

人がなにかの曲を特別に愛することは世界にありふれていることで、それには「歌詞に救われた」だったり、「歌詞が自分の背景と重なって」だったり、「自身の大事な転機のときに聴いていた曲だったから」だったり、もっと言うと「一番愛していた元カレが、元カノが、愛していた曲だったから」だとか、かなり幅が広く、その理由は見事に様々だと思う。


なぜ私がこの曲に特別感を持っているかは人様に大きな声で話すことでもないし何なら恥ずかしいから聞かないでほしいのだが、ひとつ大きな声で言えることは、

「心が死にかけていたときになぜか救われた曲、そしてこの曲がなぜか自分と一緒に歩幅を合わせて一緒に生きてくれているような気がする不思議な曲」であるということ。


シングル曲の3曲目にあたるこのcody beatsは田淵曰く「いい曲が書けなかった」頃の曲。

いわばユニゾンが売れたと言われる【オリオンをなぞる】が収録されているのは3枚目のアルバム、【Populus Populus】。

1枚目のアルバム【UNISON SQUARE GARDEN】はメジャーデビューの勢いそのままに、インディーズ時代のライブでの定番曲も収録されたいわば「新人バンドを売り出すためアルバム」のような立ち位置だと思っている。


じゃあ、その後は?

そのバンドの実力が試される、世間に見定められる、ある意味でのスタート地点だったとしたならば。

2枚目のアルバム【JET CO.】。

田淵智也曰く「暗黒期」と呼ばれるその時期は、後に振り返ると「苦しかった」、「辞めたいと思った」と言われる時代の曲たちが収録されていることとなる。

そんな時代に生まれたcody beatsだからこそ、後々ファンになった私はこの背景も込みで、この曲を愛していたりする。


暗黒期と呼ばれる時代の曲をあまりライブで披露することがなかったのだが、15周年辺りからその流れに変化が訪れた。

15周年記念ライブの舞洲で、cody beatsが久しぶりにセットリスト入りしたのだ。

これは正直に言うと、そういったファンの気持ちも汲んだ田淵智也の企みでもあったと思っている。(田淵は非常にオタク側の気持ちがわかるタイプの首謀者だと思う、田淵自身もオタクだから)(小声)


当時私は「この曲を次に聴けるのは5年後(20周年)、もしかしたらもっと先の未来かもしれない、最悪最後の可能性だって否めない」と思って聴いていた。

驚くことに、後の新規感染症の渦中のツアーでのセットリスト入りとなった。(リバイバルツアーではない)

「え、もしかしてコーディって救われた?」

歩幅を合わせて生きていたと思っていたその曲が、通常のユニゾンの「どこか遠いその曲」になるかもしれないと思った。

それから約2年半後の今日、新しい命が吹き込まれた新しいcody beatsに出会った。

「あ、この曲も、また私も、救われた」

そう思った。

いつ聴いても、どこか暗く重く感じられたその曲が、雲がぱっと晴れたように、まるで世界が明るくなったように、救われた。そんな気がした。


【夜が明けないのを誰かのせいにして僕は君を見失ってた】
【夜が明けないのを誰かのせいにしてるやつはもうどっか行ってしまえ】

【何度も繰り返して大人になるそんなのちっともかっこ悪くないよ】


これからも何度もこの曲に、勝手に、救われ続けるんだと思う。

夜は明ける。今日はお祭り。派手に祝おうね。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?