「リスナー」という表現についてあれこれ思ったこと
この記事はラジオを聴いている人を表す言葉である、聴取者という表現に関しての個人的な記事だ。いわゆるチラシの裏のようなものではあるが、ラジオに関係する話だとは思う。
論文や書籍のように出典や論拠を示しながら書いているわけではないので、情報の信頼度的にはポエムや怪文書、日記の類と大差無い。
暇潰しの読み物として、話半分ないしは4分の1くらいの気持ちで読んで貰えば幸いである。
ふと思ったこと
この記事を読んでいる時点でラジオに対してある程度興味がある人であろうから、Queenの「Radio Ga Ga」を知らない人はいないはずだ。レディー・ガガの名前のネタ元であるといった有名な小噺はさておいて、この曲の歌詞を見て頂きたい。
同曲がリリースされた1984年の時点で私は生まれていないのだが、歌詞を見る限り、この時点で既にラジオは終わったコンテンツ扱いを受けていたことは想像に難くない。
そう考えると、(執筆時点で)少なくとも40年近くはオワコン扱いを受けているのにも関わらず、ラジオはいまだに存在しているし、リスナーという表現は廃れることなく今も使われ続けている。
それどころか、ある世界においても「リスナー」という表現が使われていることを知った。
なぜ「オワコン」扱いされた世界の表現がいまだに使われるのか?
あれこれ考えた結果を書き連ね、電子の大海原に放流するという完全な自己満足記事が本記事だ。
なぜかリスナーと呼ばれる世界
昨今のインターネットにおいて、ラジオ以外に「リスナー」と呼ばれるファン(やそのコミュニティ)を形成している世界があることをご存知だろうか?
それは、VTuberなどに代表されるネット配信"界隈"(注:ネット上でよく用いられる俗語であり、"業界"や"ジャンル”といった言葉に相当する)である。
私はVTuberなどに明るくないので詳述はできないが、YouTubeなどで「映像」を配信している彼/彼女らのファンのことをリスナーと呼ぶらしい。
何も知らない状態で考えると、「映像配信なのに映像を見ていないのか?」とか「言葉自体が矛盾しているのでは?」といったような気持ちになる表現である。
少し詳しい方は「雑談配信」のようなラジオ放送のような形態での配信が多いからだとか、「PeerCast」などの音声配信時代からの表現がそのまま引き継がれているからだと思うかもしれない。
ただ、明らかに映像配信を前提にしているのにも関わらず、「リスナー」と呼ばれているのは明らかに不自然であるし、何か理由があるはずだ。
それを整理するために本記事を書くことにした。
まずは、我々は「放送を見聞きする人」をどう呼ぶか?というところから始めてみようと思う。
放送を見聞きしている人のことをどう呼ぶのか?
当たり前ではあるが、テレビ番組を見ている人のことを視聴者というように、ラジオ番組を聴いている人を聴取者(お堅い表現)とかリスナーと呼ぶ。
さて、ここで少し思い出してほしい。
ラジオ番組では「リスナーの皆様」といった表現が頻繁に使われるが、
テレビ番組では「視聴者の皆様」だとか、「番組をご覧の皆様」といった表現がよく使われ、「ウォッチャーの皆様」といった表現は使わない。
ウォッチャーという言葉を辞書サイトで引いてみると、
観察者。観測者。見張り人。番人。「バード―」
などとある。
この中でも、「見張り人」だとか「番人」といった言葉のニュアンスに堅苦しさを感じないだろうか?
単純にテレビ番組を見て楽しむ人というよりは、「批評」や「批判」だとか、(ある種の粗探しのような)悪趣味な目的で番組を視聴しているようなニュアンスが出てしまうため、使われないのだと思う。
これは(私だけではなく)読者の方々の直感的理解とも一致しているのでは無いだろうか?
整理すると、放送を見聞きする人の表現はテレビとラジオで異なるのだが、単に横文字か漢字かと言った話に限らず、どうも別なニュアンスがありそうだ。そのために、対象となる”人々”、つまりテレビやラジオ番組のファンやそのコミュニティの特徴を踏まえながら、考えていこう。
放送形態とファンのコミュニティ
大半のテレビ番組は、放送局が作成した内容を一方的に(文字通り)放送するものである。一方でほとんどのラジオ番組というのは、メールやハガキなどの形で寄せられたリスナーからのメッセージを放送中に読み上げる。
さて、これらを踏まえた上でファンのコミュニティがどう行動するのか考えてみよう。
テレビの場合は、その放送を見た視聴者が、SNSへの投稿やイベント参加などと言った形でファンとしての活動やコミュニティを形成していく。
雑に言うと、ファンのコミュニティは放送の”外”にしか存在しない。
一方でラジオは、パーソナリティのトークなどといったコンテンツを楽しみつつも、電話、ハガキ、メール、FAXなど様々な媒体から集められたリスナーの声を取り上げる。つまり、放送内にファンのコミュニティが存在するのだ。
その上、SNSへの投稿(実況除く)やイベント参加などと言った形で放送外でもファンとしての活動やコミュニティを形成していく。
言うまでもなく、放送の”外”にもコミュニティがあると言うことである。
整理するとラジオ番組のコミュニティというのは、放送の外側だけでなく、”内側にも”存在するのだ。確かにこの差は大きい差である。
ただし、いわゆる"実況"行為というのは、”放送内”とも”放送外”とも呼べるある種例外的なコミュニティであることに注意する必要がある。
(確約はできないが、この辺りはいつか記事化したい)
コミュニティのリンクが「リスナー」を作る?
前述の通り、「リスナー」という言葉は、単に番組を聴いている人だけでなく、聴いている人同士のコミュニティを指す場合にも使われる。
結局、同じ番組を愛する人同士のコミュニティであるから、その中でのメインテーマは当然その番組の話となる。そして、その"話”はパーソナリティだけではなく、リスナーからの投稿やその内容も含まれる。例えば、あの名物リスナーが云々と言った話である。
時々、それらの行為に対して、「常連の馴れ合い」などと揶揄されることがあるが、それは常連が常連たる所以を理解していないと個人的には思う。
番組がメインに取り扱う投稿が、メッセージだろうが、ネタ投稿だろうが、音楽リクエストだろうが、番組の”色”を理解し、秀逸な投稿をする者は称賛されるのが世の常であるのだから。
番組内で育まれた内容が、番組外のコミュニティ(現実/ネットの双方)に反映され、それらがまた番組内に持ち込まれる。と言った流れで、両者が密接にリンクしているからこそ、リスナーが「聴取者」以上の意味を持っているのではなかろうか。
配信界隈における「リスナー」を再考してみると
話を配信界隈における「リスナー」に戻そう。前述のラジオ放送におけるコミュニティと照らし合わせて考えてみると、共通項が見つかるはずだ。
現在主流の動画共有・配信サイトには、当たり前のようにコメントやチャット欄が存在する。当然、動画・配信中において「リスナー」と呼ばれる存在はチャットでコミュニケーションをとる。その対象は、パーソナリティだけではなく、「リスナー」間も含む。
例えば、スーパーチャット※1が投げられた際に「ナイスパ!※2」などとコメントするのもある種のリスナー間のコミュニケーションである。
※1YouTubeで、配信者に対してメッセージと共に金銭を送金できる機能。略してスパチャ。要は投げ銭。
※2ナイススーパーチャットの略。スパチャが投げられた時に発せられる。
当然ながら、配信以外にもSNSや実世界にもファンコミュニティは存在するし、「コメントとかはしないけど配信は見ている」という人もいるのだから、まさにラジオのコミュニティと瓜二つなのだ。
こういったことを踏まえると、配信界隈においてファンやコミュニティを指す言葉として「リスナー」と呼ぶのは自然に思える。
「リスナー」がいる限り、ラジオは死なない
これまでに書いてきたように、配信界隈でも「リスナー」という言葉が使われている以上、実は世代や性別を問わず「ラジオ的なDNA」というのは廃れることなく継承され続けているのでは無いだろうか?
そういったDNAが継承される限り、媒体を問わずラジオは生き残り続けるだろうと私は考えている。無論、媒体自体は時代によって流行り廃り等はあるだろうが、ラジオ的なものはフォーマットを変えても生き残り続けるだろう。
意外にも思えるかもしれないが、インターネットラジオ等の普及により、電波のラジオというのは音声情報を最速で配信※する手段になっているのだ。
上記を踏まえても、電波のラジオはまだまだ健在なのだ。
補足:
※インターネットで配信する場合、バッファ時間を設けるためその分遅延する。また、テレビはデジタル放送により、圧縮・展開(解凍)の必要が生まれ、その時間により遅延するため。
小難しい話が苦手な人は、アナログテレビの時代では野球中継の際に「ラジオで見ながらテレビで聴く」ことができたが、地デジ化によりズレるようになったことを思い出して貰えれば良い。
だからこそ、私は「ラジオ」はオワコンでは無いと思っているし、ラジオをこれからも聴き続けるであろう。
長くなってしまったが、この記事を書いて私が思ったことをこの本文の結びの言葉としたい。
「リスナー」がそのDNAを継承し続ける限り、「ラジオ」は死なない。
そのコミュニティとしての「強さ」があるからこそ、「ファン」などではなく、「リスナー」という特別な言葉が用いられているのだから。
おわりに
まとまりのない記事ではあるが、「リスナー」という表現についてあれこれ思ったことを書いたつもりだ。
書いているうちに、あれも書きたい、これも書きたいとなってしまったが、とりあえず「リスナー」という表現に関連することに抑えたつもりだ。
そして、そのほかの部分はまた別途記事にしようと思う。
最後になるが、もし、この記事を読んで1mmでも心が動かされたよって人は、「スキ」を押すでも、コメントするでも、私のTwitterに何かリプライするなどでも、手段は問わないので、何かのアクションを取って貰えればこの上ない幸せです。
それではまた、どこかの世界でお会いしましょう!
更新履歴
2022/10/23:初版
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