歴史改変をもくろむ悪の組織と闘ってます

「歴史改変をもくろむ彼らがまた動き出しました」
 関根さんの間延びした声が携帯から聞こえてくる。石川はため息とともに起き上がる。カーテンの隙間から入る光はずいぶん短く、昼近いことがわかる。いい年をしてこんな時間まで寝ていたことがばれるのも嫌で、とりくつろった声で石川は聞く。
「こんどはいつ?場所は?」
「場所は本能寺。と言えば、いつかはわかるよね」
 いえいえ、私は歴女じゃないのだから即座に何年何月何日かまで言えませんて。そのくらいきちんと調べて伝えるのがあなたの仕事でしょう、と石川は思うけれど関根さんのポンコツぶりを今さら責めても仕方がない。これでうっかり「時間遡行装置の設定に必要なので、正確な日時を知らせて」とでも言おうものなら、「そんなこともご自分で調べられないのですか」と言わんばかりの見下した反応が来るのが見えているので黙る。嫌味を言われるくらいなら自分で調べるわ。ちょっとくらいずれても、現地で訂正すればいいし。この甘さが関根さんのような税金泥棒を助長させていることは判っているのだけど、仕方がない。
「本能寺、何年何月?」。関根さんとの通話の後、携帯に向かって語り掛けると『織田信長についてお調べですか、それとも現代の本能寺についてお調べですか』ときびきびしたAIの声が帰ってくる。「信長の方で。場所もそっちで」
『本能寺、織田信長。天正十年六月一日、西暦1582年6月20日から翌日にかけて宿泊。空間座標は…』
 いわれたとおりのデータを手動でポチリポチリと入力する。携帯の情報と連動させて自動入力できればいいのにと思いつつ。確か最新バージョンではそれができると聞くけれど、とにかく石川が持たされている時間遡行装置は何世代か前の型落ちだから仕方がない。仕方がないとあきらめることが多いなぁ、と思いつつ、石川はスタートボタンに指を伸ばす。

 石川は歴史改変主義者のテロ組織、レキカイ団と闘っている正義の味方だ。別に歴史に詳しいわけでも好きなわけでもない。きっかけは定年後に暇を持て余して訪れたシルバー人材センターだった。
「希望の職種はありますか」と受付の男が聞くので
「希望する職種につけるのですか」と聞き返したところ、「無理ですね」とケンモホロロの変事が帰って来る。できないのなら聞くな。本当にお役所仕事は無駄が多い。
「別に特に希望もないけれど…そうね、おもしろい仕事がいいかな」。どうせ具体的なことを言っても無理ならと、ふわふわとした希望を伝えておく。
「わかりました。おもしろい仕事、と。では登録料10万円と、ああ、それからこちらにサインを」
 渡された書類に目を通すと、就業中にケガをしたり命を落とした場合、いっさいの責を貴センターには問わない、という誓約書だった。
「そんな危険な仕事なの?」驚いて聞く石川に
「いえいえ、形式的なものですから。万が一の保険、のような。ボランティア保険だってそうでしょう?普通のボランティア活動にそれほどの危険なんてないのに、皆さん入るでしょう?あれと同じですよ」。
 この辺でおかしいと気づくべきだった。
 最初の仕事は、区内の行方不明のおばあちゃんだった。石川とほとんど年の違わないお年寄りの、最後の目撃情報があった場所・日時に戻り、そこでおばあちゃんが家に置き忘れていたGPS入り入れ歯をはめさせるというもので、おばあちゃんのかたくなな口をこじあけようと悪戦苦闘したのも今となっては懐かしい。なんてことはない、近くのコンビニで菓子を買ってそれをちらつかせたら涎のたまった口がパカッと開いて万事解決したのだが、ナウイング(注1nowing。現時点に戻ることを言う時間遡行の用語である)後、その菓子代を経費で落とせるかどうかでひと悶着あった。標的はブツを見せただけで口を開いたのだからその段階で目的は達成できておりその後コンビニに返却することも可能であった、という相手の言いぐさは、まあ、百歩譲って「仕方ないなぁ」と思えないこともない。しかし、レシートの日付が仕事依頼日より前になっているので支払い処理ができない、という言い分には、さすがの石川も仕方ないでは済まされなかった。時間遡行が任務である以上、依頼日より実行日が過去になるのは当たり前で、それを理由に必要経費を却下されたら何もできないではないか。
「他のメンバーは、そんなことに納得しているのですか?」石川は詰め寄った。
「はあまあ、他の方から言われたことはございませんねぇ」こんなことで文句を言ってくるのはお前だけだ、といわんばかりの言葉に内心たじろぎつつも、石川は粘る。
「びた一文まかりませんよ。こればかりは支払っていただきます」。
何日も粘りに粘り、石川はついに108円を勝ちとった。
このような些細な摩擦はあったもののあとの仕事は比較的順調で、初めのうち石川は長くても1週間くらいの時間遡行仕事の依頼をうけ、大した苦労もなくこなしていた。どうやら石川は時間遡行との相性がいいらしい、とシルバー人材センターの受付で言われたときは、ちょっとうれしくもあった。
「ナウ、つまり現実に執着が強い人は向いていないのです。家族や友人恋人などの人間関係、地位や名誉や財産などの社会的評価などで恵まれていると、どうしても執着は強くなりますから」
 つまりお前は人間関係も社会的地位も恵まれていない、現実世界で負け犬だと言われたのだ、と気づいたのは数日後だった。今さら文句をいいようもない。
『でもまあ、時間遡行で役に立つのなら、まあそこに価値を見出すしかないか』と自分を納得させるしかなかった。何しろリタイア組の自分に「あなたしかできない」という仕事があるだけでありがたいのだ。
歴史改変をもくろむ悪の組織の存在が明らかになったのはそれより少し前の頃だ。時間遡行が可能になれば過去をいじってみたいという誘惑が生まれるのは必然だ。そういう誘惑に負ける者が増え始めると、彼らは水面の油粒のように呼び合いくっつきはじめ、グループを作り始める。群れる、というやつだ。それが成長して、いわゆる『悪の組織』となるのは時間の問題だった。そうなるとこんどは、それを阻む正義の味方も組織されるわけだ。当初、正義の味方に立候補する人間は若者を中心に多かったが、時間酔いから始まり幾多の副作用—中でも過去から戻る、つまりナウイング後にどんと加齢が進むという相対性理論の四次元バージョンが証明されると、前途ある若者たちはそんなリスクを負ってまでヒーローにならなくてもいいや、と、早々に人気がなくなった。
 こうして、時間遡行は年齢的に惜しげのない年寄り仕事の領域となった。ということで、試験期間で適正ありとなった石川は、次第に遠い過去に出向いてこのレキカイ団と闘うようになった。けっこう危険である。
 
 さて、今回の任務の話に戻る。レキカイ団は本能寺の史実を変えるためにどの手でくるだろうか。明智軍が本能寺を包囲する前に信長に異変を知らせるか。もしかしたら張本人の明智光秀を殺害するという荒手に出るかもしれない。とにかく本能寺の変を変じゃなくそうとするはずで、それには信長が死んだ六月二日未明より前に動くはずだ。ということは彼らより早くに現場に行くかなくては。あとは現場でレキカイ団の動向を見て、信長を『守らない』か明智を『守る』か考えよう。石川は時間座標を天正十年六月一日夜にセットした装置のスタートボタンを押す。

 うまく移動できた。ここは本堂裏の庫裏近くだ。月のない晩の伽藍は暗く静まり返り、大武将が宿泊しているとは思えない静けさだ。信長は客殿だろうか。別に本人に会う必要はない。レキカイ団の動きを確認して邪魔すればいいだけの話だ。
 闇に慣れてきた目を、石川はゆっくりと周囲に向ける。おっと、いたいた。白い服を着た人物が屈んでいる。服装から見て、天正十年当時の人間ではない。レキカイ団だな。さらに目を凝らして、石川はぎょっとする。相手もじっとこちらを見ているのだ。
「…」
「…」
 しばらく二人は見つめ合う。好きで見つめ合っているのではない。動けないのだ。典型的な闘争・逃避反応だ。戦うか逃げるかの逡巡で交感神経が興奮しすぎて固まる状態だ。そして、二人はほぼ同時につぶやく。
「レキカイ団…か?」
 なんとこの白服の人物も、対峙する石川をレキカイ団の一味だと思っているらしい。
「いやいや、違う、ちがう。私は歴史を守る方」
 石川は思わず闇の中を相手に近づきつつ否定する。
「でも、この時代にそんな服を着ているのは、時間遡行者でしょう?」白服は疑わしそうに石川の格好を値踏みし応える。
初めの頃、石川は行先の時代に合わせた衣服を用意しわざわざ着替えて任務についていたが、どんなに時代考証をしても実際に行ってみると、色彩の時代的好みや素材の流通の違いがあって、妙に浮いた存在になってしまう。病院の中にコスプレのナースがいるような感じだ。とにかく悪目立ちをするので最近はやめている。それに衣装代も「ご自分の趣味でなさっていることだから」と自前だし。
「服のことをあなたにいわれたくないわ」石川が言う。深夜の本能寺に行くのに白い服を着るか、ふつう。『とにかく目立たないこと』という時間遡行の初歩的な約束事も守れない素人か。
「で?あなた信長を殺しに来たレキカイ団なの?そうはさせないわよ」相手の白服は、そう言い放つ。違うという石川の言葉など聞いちゃいないのだ。
「何を言っているの?レキカイ団なら信長を殺すのではなく、殺させないようにするでしょう?あなたこそ、光秀の陰謀を阻止しようとするレキカイ団なんでしょう?そうは問屋が卸さないわよ」。
 石川の言葉に、相手がけげんそうな顔をする。
「ああ、『問屋が卸さない』っていうのは言葉の綾でね」これも死語になったのか、と石川は自分より若そうな白服に説明しようとすると、白服はぴしゃりと
「その意味くらい知ってるわよ。わからないのは、明智光秀を阻止することが、なんで歴史改変になるか、ってことよ」
「だって、本能寺の変よ?信長が死んで、明智光秀の三日天下になって…」
「待って、待って。信長が今晩死ぬの?それがあなたにとって正しい歴史なの?」
「そうよ。あなたの歴史は…違うの?」
「今晩死ぬのは明智光秀です。森蘭丸に討取られて。信長は見事脱出成功しますよ。浪曲とか歌舞伎でも人気の演目じゃない。信長を逃がすために蘭丸は幾万の矢をその身に受け、光秀の首を掲げつつ死ぬ段は役者の力量が問われるシーンよね。そして花道での信長の慟哭。あそこは泣けるわ。亀屋東西の代表作よ。ああ、慟哭といっても泣かない演出もあるわね。六代目が考えた画期的な演出よね。人によって評価は分かれるけれど、私はそっちのほうが好きだわ。」と白服はひとしきり語って、うっとりしている。
 石川は混乱してきた。白服の世界では、信長は生き延びて、明智光秀が死ぬ?それが正しい『本能寺の変』だというのか?白服もうっとりタイムから脱してようやく石川の言葉を反芻し、おかしいと気づいたようだ。しばらく沈黙が続いた後、二人は同じ結論に至った。
「私たち、違う未来から来たのかしら」
 時代遡行で過去を変えると、そこが分岐点になり平行世界が生まれるという説は聞いたことがある。そんなことは机上の空論だと片付けられていたが、どうやら本当にあるらしい。
 石川ははたと気づく。異なる未来から、自分と白服はここにやってきている。それはつまり、この時点、天正十年六月二日未明の本能寺では、信長が死ぬ過去と死なない過去が存在しているということか。そうだとすると、すでに本物のレキカイ団が来ていて、オリジナル過去を改変していたことになる。そして、石川か、この白服か、どちらかは改変された過去に続く未来の人間で、正義感に燃えて自分の信じる『正しい過去』を守ろうとやってきたのだ。平行世界には真逆の正義が存在するわけだ。正義なんてそんなものなのか。石川の中の『正義の味方』であるはずの時間遡行者の存在意義がぐらりと揺らぐ。
「ねえ、どっちだと思う?」白服が聞いてくる。今夜、自分たちがいるこの過去は信長が死ぬ過去なのか、生き延びる過去なのか、と聞いているのだろう。白服も石川と過去について同様の考察をしたようだ。
 石川は不思議な感覚になる。生きのびる信長と死ぬ信長が同時にここにいる。二つの過去が重なっている。もしかしたら時間遡行という状況下で見る過去はシュレディンガーの仮設的なもので、観察者が確認するまで不確定なものなのかもしれない。
「見届けるしかないわね」石川の言葉に、白服がうなずく。
 こうして二人は、過去に手出しをすることなく事の成り行きを見守ることにした。
 長い時間が過ぎ、一人の侍が客殿から現れた。見回りの者だろうか。手灯りが闇の中にその顔を照らし出す。
「はうっ」。
 石川と白服はほぼ同時に、変な声を漏らした。う、美しい。暴力に近い美の圧に気おされたため息が漏れたのだ。この若侍は話に聞く森蘭丸その人か。当年とって十八のその頬は殻を脱ぎ捨てたばかりの若蝉の、滑らかに伸びきった色素の薄い羽根を思わせる。たった今まで何をしていたのか、その透明な肌がわずかに上気しているのがこれまた艶めかしい。
二人は気配を消すことも忘れて、匂い立つ美青年に見入っていた。
「誰だ」
 当然、気づかれる。その場で首をはねられなかったのは、おそらく二人の風体の怪しさのせいだ。石川の服はシャツにカーゴパンツ、白服はなんと、フリルのついたワンピースだ。こんな格好でレキカイ団と闘うつもりだったのか。しかし、おかげで助かった。これらは見方によっては『南蛮風の服装』だ。この時代に合わせた衣裳にしなくてよかったと、石川は心の底から思った。そして自分の上を行く風体の白服にも感謝の念を送った。
 二人はさっそく、珍しいもの好きの信長の前に引き出された。そう、蘭丸は殿がこの異様な二人に興味を持つだろうと判断したのだ。
「これは南蛮の装置か」
 信長は、二人の人物よりも彼らが持っていた時間遡行装置をいじくり回している。驚くことに、平行世界の白服が持つ装置は石川のものと酷似していて、機能性を追求すると形は似るのだなぁ、と、石川は自分の置かれている状況のまずさも忘れて感心する。
「どのような働きをするのか」
 適当なことを言っても、この男は納得しないだろう。石川と白服は正直に装置の概要を説明する。変な先入観がない上に、日頃から南蛮渡来の先端技術に心を寄せている信長は、なんと、すんなり二人の説明を信じた。ついでに、こうしている今、伽藍周りを明智軍がとりかこんでいることも告げる。我々はその過去を見届けるために来たので、決して怪しい者ではない、ということもアピールする。石川はほんとうは信長殺害派であるが、そこは黙っておく。明智のたくらみを聞いた信長はそんなことはどうでもいい、とばかりに軽く鼻を鳴らして尋ねる。
「二人同時に時を旅することは可能か」
「できると思います」と白服。石川もうなずいて、「手をつなぐとか、どこかしらが接触していれば1アイテムと認識されて同時タイムリープが可能です」と、わざと外来語を交えて付け加える。
 うなずいた信長は、
「では、成利、いくか」
「はい」。
 装置を借りるぞ、とかの断りもなく、目の前の男はためらいなくスタートボタンを押した。もう一方の手で蘭丸を抱き寄せながら。『成利』とは蘭丸の諱であった。主君やごく親しい者しか使用しない名だ。ふっと二人が部屋から消えた。装置の時間設定がいつになっていたのかはわからない。
 残された石川と白服は顔を見合わす。
 やっちまった。500年もの昔に時間遡行装置の存在を顕かにし、信長と蘭丸を別の時代に送り出してしまったのだ。レキカイ団の犯罪を阻もうとした自分が、歴史改変犯罪史上最大の罪を犯してしまったわけだ。
 
 とにかく明智軍が攻め込んでくる前に逃げようと、二人でこそこそ客殿を出る。途中白服が明智軍にみつかって『庫裏近くで〈下げ髪の白き衣の女〉を捕獲した』と史料に書き残されることになるなど、時間遡行の掟破りを次々に侵しながらも、二人はどうにか明智軍の包囲網をかいくぐり、安土桃山時代の京都の夜陰に消えた。

 嵐山の小さな庵に、年老いた女性が二人でひっそり暮らし始めたことを知る者は少ない。時間移動装置はもう一機二人の手元にあるが、二人がその装置を使った気配はない。本来ならば、過去を改変した罪の意識か、いつか未来から断罪の追手が来るという不安に押しつぶされそうなものだが、けっこう楽し気に日々を送っていたようだ。どこに逃げても同じと思ったのか、自分たちがここの存在し続けることで瞬間瞬間に『新たな過去』が確定し、そこから幾多の平行世界を生み出している、という創造主感に溺れていたのか。
実は石川は、自分の世界の『正しい過去』でも本能寺で信長と蘭丸の遺体は確認されていなかったことから、今回のやらかしてしまった過去と結果大差ないわ、私はオッケー。と内心居直っていることは白服には生涯黙っていた。そして白服は白服で、信長と手に手をとって消えた蘭丸の姿を思い出しては日に何度も「尊い…」と満足気につぶやくのだった。

※「時間遡行」「歴史改変」などのワードは「刀剣乱舞」から拝借しています。

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